【明慧法会】チーム全員が大切な存在だが、代わりがいないわけではない
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文/西洋人の大法弟子

 【明慧日本2021年7月9日】最近、明慧法会の修煉体験を書くことについてチームで交流しました。私は修煉して16年になりますが、これまでにもいくつかの修煉体験を書いてきました。しかし、今回の明慧法会において、何を書いたらいいのか全く考えが浮かびませんでした。私は交流で「チームの協調人として、このチームの運営は安定していて協調性もあると思っています。みんな自分がやるべきことを、きちんと行っています。対応が遅れているメンバーがいれば、他のメンバーが補っています。私たちは、メンバーの誰かに何かを押し付けることはありませんし、逆もありません。ほとんどの場合、私たちは一丸となっています。このチームには、さほど課題がないのです」と話しました。

 その瞬間、私は自分で驚きました。こんなに良いチームは、めったにないのではないでしょうか? 書きたいことが見つかりました。このことについて書きます。

 小さな事が大きな事に 

 私たちのチームは、2012年に明慧に加わりました。当時、私たちは地元の法輪大法サイトを運営しており、明慧の文章や他の記事を転載していました。一部の同修は、自分たちの言語の明慧を始めるべきだと考えていましたが、私は大紀元を始めるのが良いのではと思っていました。しかし、多言語の大紀元の責任者と話したところ、大紀元の前に明慧や正見ネットから始めたほうが良いと勧められました。

 そこで私は、明慧に編集者兼翻訳者として参加しました。当時、これは大紀元への第一歩と考えていましたが、9年後の今となっても大紀元に加わっていません。私たちは明慧で、修煉体験や迫害報道、法輪大法関連のニュースを伝える窓口として活動しています。また明慧は、私たちにとって安定した修煉環境でもあります。

 当初、私たちは単に翻訳者の集まりでした。メンバーは、自分の力に応じて翻訳していました。たまにしか翻訳しないメンバーもいれば、ほとんど翻訳しないメンバーもいました。チームで学法もしませんでしたし、交流することもありませんでした。私たちは、1日に1篇の記事を掲載し、それに満足していました。しかし数年後、問題が生じました。翻訳数が増えるどころか、減り始めたのです。同時に、協調人の修煉状態も悪化し、行き詰まっているようでした。私は協調人を助けようとしました。しかしそれは、同修を助けようとする気持ちからであり、協調人を助けようとするものではありませんでした。実のところ、私は協調人の役割がどれほど重要で、そして明慧の役割がどれほど重大か理解していませんでした。

 2016年、私はニューヨーク法会に参加しました。協調人は都合がつかず、代わりを頼まれた私が世界明慧会議に参加しました。そこで私は、明慧を内側から理解しました。運営の仕組みを知り、他の協調人との交流で、たくさんのことを学びました。明慧がいかにかけがえのない存在であるか、はっきりと認識できたのです。このようなグローバルなメディアに貢献する機会がいかに貴重であるかを実感しました。大紀元は大きくて明慧は小さい、という私の考えは、間違っていました。師父が認めてくださったものは、どれも大きいのだと理解しました。

 2017年にまた別の明慧の会議に参加したところ、多言語の協調人と個別に話す機会がありました。その協調人は、私たちの協調人の修煉状態を心配していました。私も心配でしたが、いったい何ができるでしょう? すると「あなたが協調人になったら?」と聞かれました。私は、どう答えたらいいのか分かりませんでした。私は、私たちの協調人と友人であり、多くのことを共にしてきたのです。しかし一方で、私たちの協調人はプレッシャーに耐えきれず、修煉をやめてしまう寸前かもしれないとも気づいていました。

 私は、協調人になることに同意しました。別のプロジェクトのことも考えていたのですが、引き受けることにしました。その時は、協調人の修煉状態が改善されるまでの一時的なものだろうと思っていました。 そして5年たった今、明慧は私の主なプロジェクトとなりました。 前任の協調人は、今は編集長として最も貢献度の高いメンバーで、とても貴重な交流ができています。素晴らしい修煉者です。

 新たなスタート

 ガイドラインによると、チームのメンバーの役割を企業の仕事として扱うこととされ、各メンバーは責任と義務を負っています。私は、メンバーに仕事を毎週引き受けてくれるかどうか聞かなければなりませんでした。ほとんどのメンバーは同意してくれましたが、中にはそれで辞めてしまうメンバーもいました。

 仕事として役割を果たすことはもちろん必須ですが、定期的に法を学び、交流することも必須です。これは企業と大法の仕事との違いで、そうして私たちは成就していくのです。私たちは、大法のメディアのために仕事をしているのではなく、この仕事を通して修煉しているのです。

 最近、師父は「『大紀元新唐人メディア法会での説法』で、「しかも、皆さんは仕事のために仕事をしているのではなく、円満成就のために仕事をしているのです」とおっしゃいました。

 ですから、交流が極めて重要です。私がチーム交流で「誰から先に交流しますか」と聞くと、メンバーが黙ってしまうことはほとんどありません。もし発言する人がいなければ、私たちは選ばれた新しい記事について交流します。そうすることが、必ず理解や経験に役立ちます。週に一回のミーティングは、交流に最適の機会です。

 チーム全員が大切な存在だが、代わりがいないわけではない

 チームの一人が、毎日1篇のトップ記事を翻訳する仕事を担当していました。1年に365日、続けていました。他の記事の翻訳とは異なり、この仕事はスピードが重要で、最大限の努力と継続が求められます。彼はやりがいを感じ、何年も継続してきました。

 ある日、彼が入院したという緊急連絡が入りました。脳卒中の症状が見られたそうです。 彼と連絡を取ることができず、私たちは、すぐ彼のために発正念を始めました。

 毎日のトップ記事が翻訳されなかったのは、これが初めてのことでした。私は、「もし旧勢力が私たちを妨害したいのなら、今がその絶好の状況ではないか」と思いました。 彼は重要な翻訳者で、1日3篇の文章のうち1篇を翻訳していました。 誰が彼の代わりになれるでしょうか?

 代替案が必要と分かっていましたが、それまではトップ記事を続けなければなりません。深く考えることもなく、私は自分で代わりを引き受けました。私は翌日も、3日目も担当し、ほとんど日課のようになっていました。

 このことが助けになったかどうかわかりませんが、彼は4日目に退院し、トップ記事の仕事を続けたいと希望しました。

 このことで、「チームメンバーの一人一人は大切。しかし代わりがいないわけではない」と学びました。もし代わりがいない人だと思えば、その心を利用して旧勢力がその人を奪っていくかもしれないと師父は何度もおっしゃいました。このことは、もちろん協調人にも当てはまります。

 より多くの読者に届けるために

 私たちは、それぞれの言語でソーシャルメディアのページを作るように言われました。 適切なプロモーションを行わなければ、多くの人に見てもらえないと思っていましたので、さほど急いではいませんでした。しかし後になって、読者層の拡大を優先するようにと求められて、納得していました。 

 私は、ソーシャルメディアでのプロモーションについては経験豊富でした。しかし、それまでにプロモーションしてきたのは、いつも動画でした。文章の記事で多くの読者に届けることができるのだろうかと懐疑的でした。

 しかし、よさそうな記事を見つけたので、試してみました。予想に反して、その記事はヒットしました。多くの読者の心を動かすことができたのです。3ヶ月間で何万人もの人に読んでもらい、何千人もの人がポジティブな反応を示しました。その記事は「心からの九文字」に触れていたのですが、それについての読者のコメントをご紹介します。

 ある人はこう書いています。「私は初めて、この言葉に出会いました。特に今はそう見えないようですが、人類には希望があります。あなた方が私たちに明かしてくれたものは、本当に素晴らしいです」

 別の人はこう書きました。「私は自分で心からの九文字を使いますし、必要な人にも伝えていきます。 ありがとうございました!」

 こんな質問もありました。「この心からの九文字を、どう使ったらいいのでしょうか?」

 この質問には、医師の処方箋のような答えがありました。「時間があるとき、何回も繰り返し念じて下さい」

 たくさんの人がシンプルに書きました。「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」

 私たちは皆、一生懸命に明慧の仕事をしていますが、その結果を目にすることはほとんどありません。しかしこうして、はっきりと結果が出たのです。私たちにとって、大きな励みになりました。

 より多くの人に知ってもらうために、みんなで明慧の認知度を上げる努力をしてはいかがでしょうか。 優れたメディアとなるためではありません。人を救うためにです。

 皆さん、ありがとうございました!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大紀元新唐人メディア法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/7/427784.html)
 
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