【明慧法会】明慧ネットのメディアの仕事の中で心性を修める
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年7月8日】尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは! 

 今年の明慧法会がネット上で開催されるという通知を受け取った際、私はこれは得難い機会であると認識しました。師父の慈悲なる按排に対して、私に再び尊敬する師父に修煉過程を報告する機縁をくださったことに対して、心の中は感激でいっぱいでした。 

 初めて明慧メディアに参加する 

 私は2000年に修煉を始めました。当時は邪悪が天地を覆い隠すかのような時期でしたが、私は法輪大法のことを聞いたことがなく、また中共が法輪功を迫害していることを聞いたことがありませんでした。当時、私は叔父のところに行っていました。叔父が「これを試してみて、とても素晴らしいものだよ」と言ってくれました。叔父は私のことをよく知っていました。私は10歳過ぎから今まで修煉の道を探し続けていました。『轉法輪』を読み終えてから、私は大法を修煉することを決意しました。私は長年探し続けていた大法、大道を見つけました。 

 最初の3年間、私の修煉環境はこの叔父一人だけでした。2人はよく交流していましたが、2人とも個人修煉の状態でした。その後、叔父は経済的なプレッシャーのため、60歳過ぎていましたがアメリカに移住しました。叔父が去って行った後、私は突然唯一の修煉環境を失いました。そして他の同修を探しはじめました。やっと現地の学法グループが見つかり、私の法を正す時期の修煉が始まりました。 

 2003年(或いは2004年)に開催された「真・善・忍」美術展のある日、私はネット上でダウンロードして印刷した美術展の英語版資料を入れてペーパーホルダーを持っていました。地元の明慧協調人が私のところに歩いてきて、明慧プロジェクトに参加し、翻訳者になってくれないかと尋ねてきました。私は頷いて同意しました。こうして私は明慧ネットに携わることにしました。その時、私たちのウェブサイトはまだ明慧ネットと呼んでおらず、まだまだ基準を満たしていませんでした。しかしその時より、日々絶えず翻訳を続け、なぜ翻訳しなければならないのかを考えたことがありませんでした。ある日のこと、それは私が先史に行った誓約であると理解できました。 

 国際明慧に溶け込む 

 2010年にはじめて『国際明慧』に連絡した時、協調人は、私に明慧のプロジェクトに携わっている中で、向上できたか否かを質問してきました。この問題は私に深い印象を残してくれました。師父は最新の説法のなか、「しかも、皆さんは仕事のために仕事をしているのではなく、円満成就のために仕事をしているのです」[1]と説かれました。師父ははっきりと、この仕事は私たちが円満成就に向かうためであると告げられました。これは師父が明慧チームの一人一人に与えてくださった慈悲と寛容、及び千載一遇の機縁であり、このプロジェクトの中で誰がどんな役割を果たしているかにかかわらず、これらの話に私は非常に啓発されました。私は明慧のプロジェクトの中での修煉が如何に神聖であるかを意識しました。修煉過程の中、私はもちろん他の責任も背負っていて、さらにほかのプロジェクトの協調人から私に明慧の編集を止めるように要求されましたが、私は師父の教えと励ましに感謝しており、いかに小さな役割であっても、私は明慧のプロジェクトから本当に離れたことがありません。 

 意見の相違と心性の向上 

 修煉の道のりの中、はっきりいうと数年前、私たちは編集長を失いました。彼はたくさんの妨害に遭い、常人の生活のなかに浸っていました。彼がほかの都市に住んでいたため、私は一度このことのため、彼と電話で交流し、体験を交流しました。その後、彼は私たちのチームの毎週の学法に参加しました。彼が戻ってきたと思っていましたが、なんと2、3回参加した後また姿を消しました。その後、最終的にプロジェクトから完全に姿を消しました。私は我々のチームで私の代わりができる人が見つかることを望んでいました。しかし誰もが嫌がっていたため、仕方なく、協調の仕事以外、私が再び以前やっていた編集の作業に戻りました。時には文章の数が足りず、やはり自分が翻訳して足りない部分を補うことになり、毎日の掲載数を維持していました。 

 数か月前、私たちの編集者から、チームの中の1人を編集者に推薦しました。私は彼の意見を受け入れ、かつ試用期間を設けることにも同意しました。数か月間を経て、彼には明らかに良好な作業結果があったため、私は彼に私の代わりにフルタイムで編集作業を担当してもらおうと思いました。こうすれば、私はプロジェクト全体の協調と拡大に専念することができます。しかし、この考え方はもう一人の編集者に打ち消されました。彼は私に対して明らかに失望していました。彼は前に辞めた編集長となにも変わらないと言いました。 

 私は協調人として、チーム内のすでに基準を満たしているメンバーに向上する機会を与え、さらに大きな責任を負わせるべきだと理解しています。チーム内の一人ひとりがいずれも適度な時に彼が発展する機会を得るべきだと思います。 

 師父はこう説かれました。「ある神がある方法を提示した時、彼らはそれをすぐに否定し、自分の方法を示し、自分の方法が最も良いと言うのではありません。彼らは他の神から出された方法の最終結果がどのようなものなのかをまず見るのです。道が異なり、一人一人の道も異なっており、生命が法から悟った理は皆それぞれ違っていますが、結果は同じかもしれません」[2]

 師父はまたこう説かれました。「佛や神は人の心しか見ていません」[3]

 この過程において、私は自分が提案した背後の動機を見つけ出すべきだと意識できました。佛は私と私の意見に反対した編集者の出発点が、誠実であるか、純粋であるか、本当にこのプロジェクトのためなのかを見ています。主に異なる意見に直面して私がプラス的な心をもって対応するようにさせています。マイナス的な考え方を放下してから、私は突然、私と異なる意見を持っている編集者も、このプロジェクトの責任者であることに気付きました。プロジェクトの協調人の定義に対する自分の理解を振り返ると、協調人は、翻訳や、編集、仕事上の協調とプロジェクトの発展など、なんでも自分がやるのではなく、そうすると効率が悪くなります。また、チーム内の一人ひとりも彼ら自身の威徳を樹立しなければなりません。 

 私は突然師父の説法を思い出しました。「もちろん、善意をもって説明し、事実をはっきりさせるのは構いませんが、しかし、あまりこだわりすぎてもいけません」[4](第四講「業力の転化」) 

 すべてのことを明らかにしてから、私は2人の編集者と新たに加わった副編集者と交流しました。最終的に得られた結果として、2人の編集者が、新人にフルタイムの編集者に昇格し、私の職責を代わりに担うことに同意しました。また新しい編集者もこのタスクを全うし、私の職責を受け継ぐことを承諾しました。 

 同じチームにいた2人の同修、AさんとBさんの間にトラブルが発生しました。Bさんは明慧プロジェクトから離れると言いました。翌日、私はBさんに電話し、彼にもう一度考え直すよう求めました。私たちは良い交流ができました。Bさんは再び感情的になることなく、前日の決定を取り消すことにしました。それを聞き、私は一瞬にして軽やかになりました。 

 この前、Bさんは定例会で、当時彼に電話をした際、私が何を考えていたかと聞いてきました。私は非常に驚き、詳細はもう覚えていない、もう結構前のことだからと答えました。しかし当時、私はただ私たちはあなたを失ってはならない、と考えあなたの修煉がもう少し安定すると思っていたと答えました。続けてBさんは一つのストーリを語りました。衝突が発生したその日の夜、Bさんは夢を見ました。同僚Aさんがドアを開けてくれた後、彼を導いて一つの部屋に入りました。入った時、Bさんは明慧チーム全員がすでに部屋で正座して、彼を待っていることをはっきりと目にしました。目覚めた時、Bさんはこれは師父からの啓示で、退いてはならないと分かりました。 

 この二回の交流により、私は突然自分の自我に気付きました。自分が作用を発揮し、頑張って同修を助けたと思っていましたが、実はこの背後のことはすべて師父がやってくださいました。これらのことも私に自分をあまり重く見ないようにし、満足の心という執着を放下するよう注意を与えてくれました。

 またある日、明慧ネットの交流文章を読んでいたとき、よく同修が毎日2講も3講も読んでいることを目にしました。しかし、仕事において何か問題に遭遇した時、彼は普通の人のように内に向けて探していません。私は心の中で「師父、私も向上したいです。もっと深く内に向けて探したいのです」と言い終わった瞬間、先ほど読んだ内容がぱっと頭から消えました。

 またある時、本部の人と交流した後、私達のウェブサイトの内容はまだまだ足りないと感じました。明慧ラジオの責任者に対して、「私は今後、ラジオの本数を毎週1本から2本に増やしていきたいです」と言ったら、責任者は「あれこれの理由で成すすべがありません」と言いました。私はそれを聞いて、少し残念な気持ちになりました。例えば、車を速く走らせようとする時、必ずエンジン、タイヤ、その他の部品すべてが協調しなければなりません。私は心を静めた時、以前同修が私に言ってくれた言葉を思い出しました。「あなたは、忍耐強くならなければなりません。私はかつて、ある活動を進めようとする時、私の思いは実現できませんでした。しかしある日、私の願いがやっとかない、活動は成功しました。しかも、効果が非常に良く、タイミングもとても良かったのです」。この話を聞いて以降、私はずっとこの事を忘れていました。ある日、明慧ラジオの責任者が私に、「私はラジオの本数を増やしたいです。修煉体験のほかに、明慧ニュースの番組を増やしたいのです」と言いました。私はそれを聞いて、とても嬉しかったのです。ある日、責任者に、なぜ突然明慧ニュースの番組を増やそうと思ったのか聞いてみました。責任者は、「あなたが以前話していた時、私もやってみたかったのですが、妨害も大きかったのです。そこで私は師父に、どうすればいいか心の中で聞いてみました。私は突然、協調人としてこんなに簡単に希望を失ってはならず、心をもっと広くして寛容になり、同修がどんな困難に遭っているかなど、すべての事についてもっと理解しなければならないと気づいたのです。そして、師父は常に私のそばで引っ張ってくださっていると感じました」と答えました。

 師父は「大法の仕事をするのも修煉であり、常人社会の仕事の仕方は大法責任者とはまったく無縁のことです。つまり、前人にはこういう形式と仕事の仕方はなく、責任者でありながら普通の修煉者でもあるということです。皆さんは自分の道を模索しており、大法の責任者も自らを鍛えています」[5]とおっしゃいました。 

 明慧法会の通知

 明慧法会の知らせを受け取った翌日、私は直ちにチームにこのことを知らせました。この情報を聞き熱心な人もいれば、黙って何も言わない人もいました。協調の期間中、多くの人が出席せず、2人の編集者も参加しませんでした。翌日私たちは再び協調人会議を開きました。今回は一人の編集者が参加しませんでした。私が電話をかけても出て来ませんでした。私の心はすでに耐えられなくなりました。マイナス的な考えが生じて、次々と文句を言いました。このマイナス的な考えがあったためだと思いますが、私はチームの一人のメンバーに直ちにこの編集者に連絡するようお願いしましたが、やはりその編集者に連絡が取れませんでした。今回私は自分側のことを考えず、彼のことを心配しはじめました。一体何が起きたのでしょうか。 

 学法する際、師父の説法の一段落が私にヒントを与えてくれました。トラブルに遭遇した際、自分を煉功者と見なすことです。「なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです。あなたが平素から煉功者として自覚してさえいれば、それに正しく対処することができるでしょう」[4](第四講「業力の転化」)

 私は自分が再び師父にアドバイスされていると感じました。これは心性を向上させるいい機会ではないでしょうか。焦る心、マイナスの考え、不満の心を修められます。このすべてはほかでもなく自分の思想が脳裏で動いていて、彼がこうだろう、ああだろうと推測したのではないでしょうか。どうしてトラブルを避け、どうして自分から彼に電話をかけないで、他人経由で彼に連絡しようとしたでしょうか。その夜、私は自分の心を調整、是正してから、再び電話をしました。電話がつながり、相手も出てくれました。こうして、明慧法会に関する会議を私たちは3回開きました。広い心をもってこのすべてに対応した時、身体が非常に軽やかになりました。事後、この編集者も以前の怠慢な態度を変え、以前のようにプライベートメッセージにすぐ応答してくれました。これらの表面上現れた過程は、確かにすべて偶然ではなく、私の心性を向上させるためです。 

 私たちのチームには、若いのに、ネットワーク方面ですでに重要な役割を果たしているメンバーがいます。しかし毎回私と話す時、もし私、或いは他のメンバーが間違いを起こしたら、彼は少しも遠慮せず厳しく批判します。毎回私と話す時、彼が私を「お兄さん」と呼んだことを聞いたことがありません。私たちの関係はさらに、私が彼の名前を呼ばなくなるまでになり、私はいつも、この若者は礼儀を知っているのだろうかと思っていました。しかし、彼が礼儀を知らないかと言えば、他は年長の同僚を「お兄さん」と呼んで、敬意を持って接していましたが、ただ私に対してはこのような礼儀がありませんでした。このような過程がかなり長く続きましたが、私は次第にこの件からフェードアウトしていき、名に対する心、非常に強いメンツの心を見つけたので、彼に対して普通の態度を取れるようになりました。明慧法会のことを知らせる時、彼は協調人会議に参加していませんでしたが、私は積極的に彼に連絡しました。当時彼は、「ありがとうございます。お兄さん、今回私は参加しません」と言いました。本件を通じてはっきりしました。私にはどれほどの人心と執着があったのか、それにより自分にどれほどの不必要な難を増やしたのかと。名利という束縛は、人間の表面上、私に同修からの尊敬を失わせただけではなく、さらに神もこのような生命を見下すのです。 

 続いて、私はほかの編集者にどの同修が法会に参加しようとしているのか教えてほしいと伝えました。しかし、なかなか答えをもらえませんでした。私の待ち遠しい心がまた飛び出して来ました。ただ前の編集者とのトラブルの教訓がありありと記憶に残っていたため、私は自分に我慢するよう、もう少し耐えるよう、誰が参加し、誰が参加しないかはすべて按排されていると注意を促しました。本部は時間を引き延ばし、速く申し込むことを望んでいました。この要求は間違っていません。しかし進めていく過程で、如何なる執着も浮かんできてはいけません。締め切りが過ぎても、依然一部の人が申し込んでいませんでした。私はその名前を確認しました。申し込んでいない人は、実際長い間翻訳をしているが、さらにプロジェクトにさらに深く関わっていない同修でした。例えば、グループ学法に参加していない、協調定例会に参加していない人などです。全過程において、私は自分の心が絶えず師父により拡大されていると感じました。 

 これは私が明慧プロジェクトに携わっている過程での体験です。法に符合してないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。師父の教えとご加護、私に修煉の機縁を下さったことに感謝します。同修たちの全面的な協力に感謝します。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大紀元新唐人メディア説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』 
 [3] 李洪志師父の著作:『長春輔導員法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」

 (2021年明慧法会交流文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/6/427781.html)
 
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