文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月21日】私は最近、明慧ラジオの「ミラレパの修煉物語」を聞き、とても感動しました。ミラレパは長い間、師のもとで学びましたが、特別に灌頂や教えを受けたりすることはありませんでした。その代わりに、彼の師はミラレパに家を建てさせ、そして、取り壊すように言いました。ミラレパは家を建てては取り壊すように繰り返し言われました。師によく叱られたり殴られたりしました。ミラレパは非常に苦しみ、多大な努力を払ってきましたが、師から何か教えを受けることができるかどうかは、まだ分かりませんでした。彼は時々とても落ち込んで、自殺を考えたこともありました。
これほどの苦難を受けたにもかかわらず、ミラレパは決して不平を言ったり、師父に対して否定的な考えを抱いたりしませんでした。彼は自分のすべての経験を自分の抱えた巨大な業力によるものだと考え、教えを受けるにはあまりに罪深いと考えました。ミラレパは、師に悪行をするように言われたときでさえ、それは「自分自身に何か問題があるからだ」と感じました。
番組を聞きながら、ふと「もし師父が私にこんな接し方をしたらどう思うだろうか?」と思いました。「私は師父に何かネガティブな感情を抱き、不平を言うのだろうか、それとも憤慨するのだろうか?」
私の修煉の道のりを振り返ってみると、師父が私たちに宇宙の真理を教え、限りない慈悲の心で接し、常に私たちを助けて下さっていたので、私はとても幸運だったと思います。しかし、私はこれらすべてを当然のことと考え、これらの機会を十分に大切にしなかったり、修煉するために最善を尽くしたりすることが出来ませんでした。ミラレパと比べたら、私は良い弟子なのでしょうか?
法輪大法の弟子になることは最大の栄誉であり、私は常により良くなるよう目指して努力しなければなりません。これは師父が期待されていることであり、衆生が待ち望んでいることなのです。
これは私の個人的な理解です。不適切な点があればご指摘ください。