【明慧日本2021年8月9日】私は大法の修煉を始めてそろそろ3年になる青年大法弟子です。ここで、私の体験をみなさんと交流します。
一. 再生
幼い頃、母に従って『轉法輪』を読み、師父の説法の録音を聞きました。当時は、まだ本当に修煉をしていたわけではありません。この本がいいと思っていただけですが、師父の法は心に根付いていました。
修煉する前は世の中にどっぷり浸かっていて、いろいろと悪いものに染まっていました。中学・高校時代には、次第にイライラするようになり、自分の思い通りにならないと親に反発したり、さらに母親を叱ったりしていました。学校では、プライドや名利を守り、成績や順位にこだわり、損得ばかりを気にかけ、どんどん利己的になっていきました。中学校から低俗なものも見るようになり、精血の気が次々と失われ、体もどんどん悪くなり、容姿も醜くなっていきました。人と話す時は、その人の目を見るのを恐れました。
大学3年の夏に家にいると、エロチックなものがどんどん妨害してきて、それから逃れることができず、自分がコントロールされているようでした。そこで師父が私を呼び起こして下さいました。ふと、私は大法を修煉したいのだと思い出し、その日から『轉法輪』を読み始め、母に煉功の動作を教えてもらいました。ある日、座禅をしていると、下腹部のあたりに突然の熱い流れが現れました。その後、家族の同修と交流し、師父が私に法輪を与えて下さったのだと知りました。
修煉を重ねるうちに、修煉の素晴らしさを実感しました。自分の気性をコントロールすることができ、心に余裕を持てるようになり、「一人の煉功者としては、まず殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、ひたすら耐えられるようでなければなりません。でなければどうして煉功者と言えましょうか?」[1]を学び、修煉者としてこのようにできなければならないと知りました。はっきりと分かるほどに、他人と衝突することがなくなりました。親孝行をし、他人を尊重しなければならないことも分かりました。学校では、成績や順位に理性を失ってこだわることがなくなり、損得を気にかけなくなりました。師父の教えに従って自分に要求し、人と競わず、心を正しく持ち、自然に任せることにしました。色欲心に振り回されることがなくなり、自分をコントロールできるようになりました。外見はどんどん端正になり、背筋も真っ直ぐに伸び、体の調子も良くなり、病気もなくなり、肌もきれいになりました。法の中で生まれ変わったのです。
二、関門の突破
修煉を始めた当初、最初の関は色欲の関でした。特にはっきりと覚えているのは、ある日の昼、寝ていると突然全身が動かなくなり、その時に美しい女性の写真を1枚ずつ見せられたことです。私は、私は煉功者だ、このようなことをしてはいけないと意識できました。
修煉してから、何度も色欲の関に遭遇しましたが、すべてうまく通過できませんでした。何度も何度も、師父の慈悲なる励ましにより、前へ進み続けました。以前、夢の中で私が道を歩いていると、空が真っ暗になり、暗雲が立ち込めました。突然、天上に幕が開き、空を埋めつくす神々が見え、一人の神が太鼓を叩きながら私を見つめていました。目が覚めた時、師父の説法が頭に浮かんで来ました。「重錘の下、精進をしる 法鼓敲いて、迷いの中の人を醒ます」[2]。
色欲心の関を乗り越える時、師父は事前に夢の中で私を悟らせて下さいました。老朽した家の中でゴミを掃除している自分の姿を見て、自分に関を乗り越える時が来たと知りました。つまずきながら、色欲の関を通過しました。夢の中で師父は、別の空間で色魔が妨害していることを見せて下さいました。夢の中で、徐々に心性を守れるようになり、色欲の関を越え、大法の条件を満たすことができました。
法を得たばかりの時、私の思想業力は特に強かったです。修煉している時、毎日のように悪い考えが浮かんできて、とても攻撃的でした。師父は「動揺しない人なら、業を消すことができます」[1]と説かれました。この一念を固め、悪い考えや念頭が出て来ても、それを排斥し、抵抗しました。しばらく修煉すると、それを排除でき、妨害されなくなりました。
学法は、私にとって毎日の必須科目です。学校では長い時間が取れなかったので、朝起きて発正念、煉功し、その後30分ほど学法し、昼に30分ほど学法し、夜に1時間半ほど『轉法輪』や師父の各地での説法を学びました
学法することで、非常に早く上達し、毎日師父に推されて前へ進んでいました。師父がおっしゃったように、「後になって法を得た人たちは向上がとても速く、彼らに対する要求も高いので、次元の向上も速いのです。皆さんは難度が高く、困難も比較的多く、魔難が多いように思っていますが、それは必然的なことです」[3]。時には様々な雑念が非常に多く、とても苦しく、各種の妨害もありました。そして、人生の苦しみを自分への不公平と受け止めて師父に苦しみを訴えてはならないと知りました。師父は「だからこそわれわれは、こういう複雑な環境の中で修煉しようとしており、苦の中の苦に耐え、かつ大きな忍の心をもつように修煉しなければならないのです」[1]とおっしゃいました。
学法することで、起きたことを偶然と思わず、自分を向上させる機会だと思うようになりました。葛藤があれば内に向けて探し、徐々に執着心を見つけることができました。嫉妬心、色欲の心、闘争心、不平不満の心、恐れる心、面子を重んじる心、安逸心、歓喜心、独り善がりなどを見つけることができました。
修煉を通じて、私は大法の素晴らしさと神聖さを目の当たりにし、修煉の厳粛さを悟り、弟子への師父の思いやりと苦を理解しました。私は最後まで修め、師父が按排された修煉の道をしっかり歩み、自分の使命を果たし、師父と一緒に家へ帰ります。
個人の次元の限りがありますが、自分の法を得た過程が青年同修の一助になればと思います。不適切なところがあれば、ご指摘下さい。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「鼓楼」
[3] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「サンフランシスコ法会での説法」