心に大法があるから3回の病業を乗り越えられた
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 文/江西省の大法弟子

 【明慧日本2022年3月15日】私は『周易』を研究している人に、「将来、肺病で死ぬ」と占ってもらったことがあります。しかし幸いにも、法輪大法という宇宙大法を得たので、私の運命は徹底的に変わったのです。

 法輪大法は正法修煉なので、修煉者は必ず修煉の道で多くの思いがけない難や関に遭うのです。修煉者としてそれらの魔難が現れたら、「師父が体を浄化してくださっている。借りを返すことだ」と考えるべきだと思います。その過程で修煉者の心性が向上することができるからです。

 ですから、私はいつも体に病気のような症状が現れると、病気だと思わず、師父が体を浄めてくださっていると考えています。それで、体が軽くなり、気持ちもよくなるのです。

 2009年、後半のある日、私は胸部が膨らみ、胸腔内に水が溜まっているような音をはっきりと聞きました。心臓が元の位置からずれているように感じ、体全体も鉄線で縛られているように感じました。その上、胸部から背中まで、両腕から両足までの皮膚に多くの赤い斑点も現れました。掻くと黄色い汁が出た後、赤くなり、痛みや痒みが伴いました。「これは毛穴から、体内の毒を大量に排出しているのだ」と思いましたが、それを見た家族に、「病院で検査をするように」と勧められました。

 師父は、「真に修める人には病がなく、私の法身がすべて取り除いて、やるべきことは全部してあげました」[1]と、説かれました。

 私は、真に修める人になりたいのです。ですから、私は病気ではないと考え、病院へ行きませんでした。法理から「人のすべての苦難や病気はみんな、自分自身の業力によるもので、しかも、この業力は生々世々積み重ねたものだ」と認識しているからです。

 症状が出ると、常人なら食べ物にも気をつけなければならず、風に当たってはいけないのですが、私は何も気にせずに、毎日やるべきことをやっていました。そのうち病業の症状がなくなりました。それを目の当たりにした家族は、「病院で治療すると、お金がかかるし、治るかどうかもわからない。法輪大法は本当にすごい! 奇跡的だ!」と感動しました。師父のご加護の下、私はこの難を乗り越えることができました。

 2019年後半のある日、家には私と孫娘しかいませんでした。朝、孫娘を学校へ行くように起こしましたが、なかなか起きなかったので、私は「起きて!」と怒って大声で叫びました。その瞬間、激しいものが大脳に流れ込んだと感じました。その瞬間から、頭が重くなり、頭や顔に蕁麻疹のようなできものが出ました。とても痛くてかゆいのです。右目が腫れてしまって何も見えず、左目は腫れて少し開けられるぐらいの状態になったのです。心臓は激しく鼓動していました。

 しかし、師父が見守ってくださっていたので、頭がはっきりしていました。「修煉者は怒ってはいけない。私は間違ったことをした」と気づきました。私は毎朝、煉功をした後に師父の説法のビデオを見たり、師父の説法の録音を聞いたりしてから、家事をしました。午後からは『轉法輪』を読みました。そして晩ご飯を食べた後も、また師父の説法ビデオを見たり、説法の録音を聞いたりしました。私は「大法に同化すれば、この難を乗り越えられる!」と悟ったからです。

 1週間後、娘夫婦が帰ってきて、私の頭、顔、目が腫れているのを見て、とても驚きました。 「大丈夫だよ。だいぶ良くなっているから」と娘夫婦を慰めました。1カ月後、私に会いにきた義妹も、「お姉さん、どうして顔が腫れているの?」と驚いて聞きました。常人から見ると本当に深刻な症状だったのですが、修煉者の私はこれらの症状を病気とは思わず、自分の業と難によるもので、自分で償わないといけないと思っていたからです。

 その後、師父のご加護の下、次第に回復していきました。私は2度目の難関を乗り越えました。

 2019年の年末、胸腔にまた痛みが現れました。しかも、激しい痛みでした。それは肺なのか、心臓なのか、それとも胃なのか、自分でも痛むところが分からない、言葉では言い表せないほどの痛みでした。遂にその痛みは苦痛の限界に達し、とうとう「死」まで考えてしまい、死ねば楽になると思ってしまいました。その時の私は、そのような修煉状態だったのです。

 「生死を放下する」という言葉は簡単に言えますが、本当に「生死を放下する」ということとはどんな意味なのでしょうか? 私は「『死』を手放すと同時に『生』も手放すこと、つまり生死を考えず、ただ難の中で自分の内に向けて探し、自分を修め、師父の按排に従うのだ。このように行えば、『死』の問題がなくなるのだ」と、今回の難から悟ることができました。「大法は正しいもので、超常的な科学だと実証し、周りの人に大法を理解してもらい、中国共産党の大法に対するでたらめな宣伝を信じないようにすること」、それは私が存在する意味だと思いました。

 表面上の私はいつもと変わらず、誰も私が病業で苦しんでいたことを知らなかったのです。一緒にいる同修さえも、私の異変には気づかなかったのですが、師父だけが、難関の中の弟子を見守ってくださっていたのです。

 「武漢肺炎」が爆発的になってから、師父は新経文『理性』を発表されました。

 師父の経文は、私に正念を与えてくださいました。学法グループに行ったとき、私は同修たちと、今回の「病業を乗り越えた体験」を分かち合いました。そのとき同修たちは、初めて私が3つ目の生死の関を乗り越えたことを知ったのです。

 今回のことは、師父が『轉法輪』で唐山地震に関する説法と、苦の中で苦を嘗めることを、私は身をもって体得したのです。

 近所の人からは「どんどん若くなるね」とよく言われます。また孫娘(今、15歳)の幼稚園の園長先生からも「以前と全然変わらないですね。年を感じないですね」と言われました。

 もし、中国共産党のメディアが法輪大法に対して誹謗中傷する宣伝がなければ、もっと多くの人が大法を修煉し、もっと多くの人が大法の恩恵を受けているはずです。人々が健康で道徳が向上すれば、国や家庭、個人にとっても「百利があって一害なし」なのです。

 縁のある人が、いち早く法輪大法の素晴らしさを知って理解し、自分と家族のために良い未来があるように願っています!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/28/439478.html)
 
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