文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年7月19日】私にとって、法輪大法を修める機会を得たことは大変幸せなことです。私がどのように法輪大法を修めるようになったかの経緯について、ここで同修の皆さんと交流し、話したいと思います。
1997年夏のある日曜日、私は自転車で友人宅に向かいました。ある公園を通りかかると、突然、今まで聴いたことがない特別な音楽が聞こえてきました。まるでスピーカーが耳の横にあるかのように、はっきりと聞こえたのです。どこから聞こえてくるのだろうと思いました。そして、心が洗われるような気がしました。いつも頭の中が詰まっているような感じだったのですが、この音楽を聞いて落ち着くようになりました。こんなリラックスした感覚は初めてでした。
私は短気で、率直な性格です。毎日、仕事に追われ、やることが尽きない感じでした。家事はすべて私がやりました。子供や両親の世話もしました。来る日も来る日も、毎年毎年、家から職場、職場から家へと言う、同じ生活の繰り返しです。体も心も常に緊張していました。この音楽は、そんな私の気分を一瞬にして変えてくれました。突然、心が穏やかになりました。思考も穏やかになり、軽く、静かになり、心地よいのです。
普通の音楽ではないな、と思いました。そして、この音楽がここまで伝わるということは、スピーカーの性能がよほどいいのだろうと思いました。公園に入って見てみることにしました。私の気分を変えてくれた音楽を流してくれた人に感謝したいです。
急いで公園に入ると、たくさんの人がいました。小さなスピーカーが7、8台あって、気功の練習用の音楽が流れていて、3、5人が円陣を組んでいます。私はこの種の気功は興味ありませんでした。
私は探している音楽を見つけることができませんでした。帰ろうとしたとき、そこから北の方向に行って見ることを思いつきました。すると、その場所で探していた音楽が聞こえてきたのです。
200人以上の修煉者の前に「法輪功」と書かれた旗が立っているのが見えました。横の列と縦の列は定まっていて整然と並び、喋っている人もいなく、とても和やかでした。本当に感動的な光景でした。
この美しい音楽が多くの人々を惹きつけているのだと思いました。法輪大法は、他の修煉法よりも優れているに違いないです。音楽はすぐに終わり、煉功は終了し、人々は静かに去っていきました。
私は名残惜しい気持ちになり、翌日も来てくれるだろうか、と思っていました。
その時、白髪の年配の女性がやって来て、「あなたは新人ですか? 私を見てどう思いますか? 元気そうに見えますか?」と聞いてきました。私は「はい、元気そうに見えます」と答えました。
彼女は熱心に話しはじめました。「70年以上患っていた気管支炎が、法輪大法を修煉するようになってから治りました。自分を救ってくださったのは法輪大法の創始者である李洪志師父であり、1週間の修煉で病気が治ったことを皆に知ってもらいたいです」
彼女はまたこう言いました。「私は若い頃、ひどい気管支炎になり、何年も悩まされました。この病気は、呼吸ができず、食事ができず、前かがみになれず、真っ直ぐに立てなくなるのです。顔色は悪く、唇は青くなって、話していても息切れが起こりました。毎年、注射したり薬を飲みましたが、何の効果もありませんでした」
私は彼女に、どうしてそんなに早く回復したのかと尋ねました。彼女は興奮気味に話しました。「李洪志師父が私を救ってくださいました。健康で善良な人間に変えてくださったのです。私は1カ月以上前に法輪大法の修煉を始めました」
「1週間修煉した後、師父は私の業を取り除き、体が浄化されていきました。私は7日間、痰を排出しました。8日目には咳が止まり、元気になりました」
「今、私の背中はまっすぐです。食事もでき、夜良く眠れるようになって、エネルギーに満ち溢れています。人生観が変わり、20代に戻ったような気分です。家事もするようになり、家の中も外もきれいにしました。夫は、親戚や友人を訪ねて、私の病気が治ったことを伝え、そして私と私の家族全員を救ってくださったのは法輪大法の李洪志師父であることを伝えています」
この女性の話を聞いてから、私は法輪大法のすばらしさに感動し、もっと早く法輪大法と出会っていればよかったと思いました。
5日目、私は修煉の指針となる貴重な書籍『轉法輪』を手に入れ、今日まで一人前の法輪大法の弟子となったのです。
李洪志師父の慈悲に感謝します。苦しみを取り除いてくださったことに感謝します! 師父、ありがとうございました。 同修のみなさん、ありがとうございました。合掌!