文/アメリカの新しい学習者
【明慧日本2022年10月17日】幼い頃、私は足を組んで父と一緒に坐禅したことがあります。後に母から、父は毎日近所の公園に行って煉功していたと聞き、それが法輪功だと教えてくれました。そして1999年の冬、父は私と家族のもとから永遠に去り、二度と戻ってきませんでした。私たちは父の生死について何も知りませんでした。
父がいなくなってから、私はずっと母と暮らしていて、あっという間に20余年が経ちました。父がいないことで私はいつも孤独を感じ、利己的で冷たく、党文化の影響で臆病でありながら負けず嫌いな性格を形成しました。当時の私はいつも自分を疑い、心に葛藤を感じ、運命の残酷さを恨み、人生の本当の意味を見いだせず、欲望も満たされることがありませんでした。
中国本土で教師をしていたとき、その体制がいかに腐敗しているかを知っていた私は、小さな賄賂を受け取ったこともありました。それは当たり前なことで皆がそうしているのだと思い、何の違和感も感じませんでした。骨の髄まで共産党を嫌う自分が、知らず知らずのうちに党文化に染まっていたことを自覚できませんでした。
それからある日、私は事務室でまっすぐ立てず歩けなくなりました。額に大粒の汗をかいて腰椎がずきずきと痛みだし、なんとか母に支えられて帰宅した日の夜に、救急車で病院に運ばれました。入院中は普通にトイレに行くこともできず、幼い子どもと自分の面倒を見てくれている母の姿を見て、毎日耐え難い苦しみを味わっていました。診断では何本かの腰椎が 「折れた」とか、はっきり覚えていませんが、すぐに手術するか、あるいは帰宅して療養することを勧められました。私は保守治療を選択しました。
1年間の在宅療養中、私はほとんど横になっていて、歩くにしてもゆっくりしか歩けず、長くは歩き続けられませんでした。走ったり、ジャンプしたり、子供を抱っこすることができないのは言うまでもありませんでした。医師からは「もう運動とは無縁だと思って下さい。これからは十分に気をつけないといけません。再発すると大変なことになります」と言われました。 当時の私もそう思っていました。
2021年、私はアメリカで法輪大法を修煉し始めました。『轉法輪』を手にする前、私は帰国するか、アメリカに残るかの選択を迫られていました。出会った大法弟子の助けで私は『轉法輪』を読み始め、読めば読むほど元気になり、その夜、天目が開きました。目の前に急速に閃く時間の輪が現れて、見たこともないこの不思議な光景に興奮しました。
そして翌日、私は真面目に煉功動作を学び始めました。まるで、昔していたかのように、私はごく自然に動作を覚えました。
学法と煉功を学んで4~5カ月が経った頃、私は体に大きな変化を感じ始めました。以前は1時間ほど立つと腰が張り、休まなければなりませんでしたが、今は子供を抱いたり、水を担いだり、物を運ぶのも全く問題にならなくなりました。そのうち、私は毎日11時間働き、食事以外はほとんど立ったままで、重労働でもこなせるようになりました。これは、大法を修める前は全く考えられないことでした。
私の身に起きた大法による奇跡を目の当たりにした子供も、私と一緒に修煉の道を歩んでいます。