ICUに運ばれて4日間 正念で生死の関を乗り越える
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文/河北省の大法弟子・麗明

 【明慧日本2022年10月27日】2018年4月のある日、私はトイレに行ったとき血尿がでました。その前から、頻尿で我慢できない状態でした。そして、喉の渇き、体重の減少などがあったのですが、特に何も気にしていませんでした。5月上旬のある夜、高熱が出て、それ以来、毎晩のように熱が出ましたが、日中は平熱でした。しかし、血尿の状況が悪化し、毎日、大きな血の塊が出るようになり、食事もあまりとれず、数日で数キロ痩せてしまいました。

 同修たちが家に来てくれて、正念を発し、一緒に学法をしてくれました。しかし、私は大法の仕事をする心が強く、学法をしても頭に入らず、内に向けて探すこともできませんでした。顕示心、色欲の心、嫉妬心、闘争心、怨恨心などの執着心があると意識していたのですが、明確にわかっていないものもあり、わかっていてもどう修めて取り除くかがわからなかったのです。発正念のとき、掌が倒れたり、煉功のとき、正しい動作をしていなかったり、私は何をするにも雑に済ませていました。執着心を取り除くことを重視せず、結果的に大きな難になってしまいました。修煉は厳粛で、小さな事ではありません。

 同修と一緒に学法していたある日の夜、私はトイレへ行きましたが、尿が出ないため、少し恐怖心が出てきました。というのは、「母もこのような状態があったので、母のようにならないか」と心配したからです。この考えは旧勢力に隙を与えました。それから、私の病状はどんどん悪化していき、肺に感染症の症状も出てきました。口のなかの唾液の粘りが強すぎて、出そうとしても出せず、尿にも膿と血が混じってきました。やがて、ご飯が少しも食べられなくなったものの、私は煉功、発正念をしっかり行い、時々、出かけて人々に法輪大法の素晴らしさを伝えていました。というのは、「煉功しなければ、大法弟子ではなくなるし、煉功は学法より重要だ」と思っていたからです。

 2018年6月の初め、姉と妹(2人とも同修)が家に来た時、私はすでに昏睡状態になっていたのです。2人は私を病院へ搬送しようと決めました。夫と娘は他の地方に出稼ぎに行っていたので、姉と妹は夫に電話をかけ、家に帰るようと伝えました。朝5時過ぎ、救急車が来ると、医者が私の血圧と血糖を計ると、上の血圧が180㎜Hg、血糖値は486mg/dl、39.6℃の高熱でした。医者は家族に「危険な状態です。患者の名前をできるだけ呼んでください」と言いました。

 病院へ行く途中、妹が私の名前を呼んで、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいを忘れないように」と言い聞かせました。それで、なんと、私は突然、目が覚め、「私は大法弟子だ」と思い出したのですが、他のことは一つも覚えていなかったです。

 病院で検査を受けると、「両方の腎臓が膿と血でいっぱいで、肺の感染もひどい」という結果でした。医者から「この病院では治療できないから市の病院に転院してください」と言われました。医者は、「先月、私と同じような患者がいて、私より若いのですが、亡くなった」と話しました。市の病院への転院の際、医者が夫に「奥さんを見ると、目が動かないし、何を聞いても答えられない」と言いました。実は、私は答えられましたが、言うべきか、言わないほうが良いか、と考えていたのです。

 市の病院で、医者は早く手術をしなけらばならないと言って、まず、両方の腎臓にチューブを入れ、膿と血を出すことにしました。手術すると聞いて、私はすぐ、「手術はしない」と言いましたが、誰も私の言うことを聞いてくれませんでした。手術のとき、本当に痛くて、「痛い」と叫びましたが、2回ほど叫んでから、突然、師父のことを思い出し、そして、「師父」と叫びました。手術が終わって、妹が、手術は成功したことを教えてくれました。

 手術が終わって、ICUに入れられました。検査でヘモグロビン値が低かったため、看護師にどこか出血がありますか? と聞かれました。「医者は常人の病気しか治せない。師父がおられるから、師父が私を見守ってくださっている」と思って、血尿のことを言わなかったのです。夫も私の血尿のことを知らなかったのです。しかし、妹はそのことを夫に告げました。そして、医者は「輸血しないといけません」と言いましたが、「輸血は受けません」と断りました。「常人の血は要らない」と思ったからです。私は医者に退院したいと要求しました。医者に「ここで安心して治療してください。治ったら、退院していいです」と言われました。結果的に輸血を受けました。

 これ以上、私は何を話しても無駄だと思いました。そして、私は『論語』を暗唱し、繰り返し暗唱しました。2カ所はっきり覚えていなかったのですが、暗唱しているうち、思い出しました。少し離れた所に時計を見つけたので、正時になると、発正念しました。

 ICUでは、よく眠れなかったのです。ある晩、しばらく眠っていると、夢を見ました。「自分が2人の人間を殺し、その2人が倒れた後、私の隣に私を助けてくれた人がいたようですが、私と私を助けてくれた人は走り去りました。しばらく走った後、飛べるようになりました。なんと、私は仙女の服を着ていたので、邪魔であまり高く速く飛べませんでした。しかし、先ほど、殺した人が、私たちに追いついてきました。早く逃げようと、三方面に小さな引き出しがあるようなところに飛びこみました。私を助けてくれた人は、すぐそばの引き出しを開けて、そこから外へ飛んで行ったので、私も引き出しを引きましたが、どの引き出しも外には繋がっていませんでした。引いているうちに、殺した人が追いついてきました」とここで、目が覚めました。

 目が覚めると、私は師父の説法「宇宙で法が正される中で、私が法を正すことを妨害しないものに対して、適切な処置を取り、未来の生命になるようにします。善解されたければ、私から離れて、私の周辺で待ってください。もし本当に私から離れる力がなければ、私を妨害するための如何なる作用もしないでください。将来私が圓満成就することができれば、皆さんのことを善解します。それらの全く良くないもの、まだ私を妨害しているものは、基準に従い、残ることができなければ、根絶されるしかありません。私があなたを消滅しなくても、宇宙の法もあなたを残しません」[1]と暗唱しました。

 そのうち、お腹が空いたと感じました。「何を食べようかな? 何も思いつかず、何も食べたくないな」と考えていると、看護師が隣の患者さんに「お昼はワンタンを食べたいですか」と聞いているのが聞こえたので、「じゃ、私もワンタンにしようかな」と、看護婦に、「昼食にワンタンを買うように家族に言ってくれますか」と頼みました。家族は私が何を食べたいのかわからないので、毎日何種類も用意し、食べなければ捨てるという、かなり無駄なことをしていたのです。

 ICUは重篤な患者でいっぱいので、看護師はいつもとても忙しいのです。食事の時間に看護師が私のところへ食べさせに来ました。私は「自分で食べます」と言いました。看護師は「食べさせてあげますよ。自分で食べられないでしょう」と言いましたが、私は「座って食べれますよ」と言いました。看護師は、「座れますか?」と聞いたので、 私は「はい」と答えました。

 ICUの外で待っている家族は常に緊張していました。私がICUに入った初日、医者から2回の危篤通知が出されました。だから、私の名前が呼ばれると、家族は怖くなるのです。今回、看護師が私の名前を言って、「ご家族はワンタンを食べたいようです」と家族に伝えると、「快方に向かっている」とわかり、みんな喜んでくれました。3日目、医者から「ICUから出られる」と言われましたが、一般病棟のベッドが空いていないので、もう1日待ちました。4日目にICUから出られ、5日間一般病棟に入院したのです。そして、医者が「もう退院して大丈夫です。退院してから、薬も点滴もしなくてよいです」と言いました。退院して1カ月後に入れたチューブを取ることができたのです。

 退院の前の日、7、8人の医師や看護師が私を取り囲み、何枚も写真を撮りました。彼らは、私が生きてICUを出られたのは奇跡だと言いました。ICUにいた4日間、師父がおられると思うことで、怖くはなかったのです。師父は「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]と説かれたように、私は関を乗り越えられたのです。

 慈悲なる偉大な師父、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/16/450786.html)
 
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