全体を成すについての少し新しい認識
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2023年1月20日】長い間、全体の形成について、自分の認識は、あるプロジェクトに取り組むとき、同修を救出するとき、あるいはある地域で全体として何かをするときに、お互いにどうコミュニケーションをとり、調整し、協力し合うかというレベルに留まっていました。

 最近、同修との交流の中から、全体の形成は、具体的に何かをするときの協力だけではなく、さらに最終的に、同修の間の溝をすべてなくすことに反映されるのだと悟りました。

 あらゆる協力と触れ合いにおいて、同修はお互いの間に形成された様々な概念、固定観念と人心を取り除き、他人の執着への執着を絶え間なく取り除いて、自分の観念を使って他人を測り、他人を見下し、自分を実証し、大法のことについて議論に陥り、相手のまだ修めて出来上がってない一面の影響を受け、自分が他人より優れていると思う言動を取り除いて、さらに、同修愛、党文化などの大法と一致しない現れと要素を取り除き続けていき、 私たちは常に修めて、個人間のいかなる不純な要素も取り除き、完全に師が法を正すことを手伝い、衆生を救い、大法を実証することを基準として立ち、互いに真心を以て励ましあい、助け合い、補い合い、全体として法に則って円融し、共に精進し、共に成就し、使命を全うすることに努めなければなりません。

 私たち一人ひとりが、大法の中の一つの粒子として、自分の正しくない要素をすべて正し、同時に大法の個々の粒子を隔てる要素を排除し、自分を浄化すると同時に互いが浄化されるのです。 個々の粒子が浄化されれば、個々の粒子の間も浄化されていきます、個々の集まりで形成された全体も浄化されます。そうして初めて、全体が不滅になるのです。全体が 正念と法力、慈悲と知恵を合わせて行うことは、まさに宇宙の真・善・忍の特性に沿ったものであり、最も清らかなものであると言えます。さらに個々の粒子は、同じことを実行しているか否かに関わらず、みんなの心は繋がっていて、エネルギー場も互換性」があり、通じ合っているはずです。大法弟子の各次元の宇宙天体と空間、および各自の自分に属する空間も互いに 融合しているのです、常に全体として発揮できるエネルギーのスケールの大きさとパワーの強さは無限である。

 私たちは皆、人を救うため、法を実証することにおいて、慈悲と正念を以て、物事を行うことができるのですが、 同修の間はどうでしょうか?  正念をもって、互いに慈悲心で思いやるべきです。

 ある日、また高齢の同修と衝突してしまい、心性を守ることができませんでした。いつになったら本当の慈悲心が生まれるのかと、とても悔やんでいました。 夜、私が法を学んでいると、師父の法から悟りを得ました。

 師は「本当の慈悲にはいかなる私心もなく、誰に対しても、衆生に対していつも正念をもって問題を見ており、慈愛に満ちています」と話されました。 [1]

 同修に対して自分本位で物事を考え、行動している時に私心が隠されているのです。一見相手のため、より良い協力のためにとった行動に見えますが、個人的な思いが混じり、完全に相手のため、純粋無私の心でいることができません。

 翌日から、高齢の同修に、人心と人間の感情、人間の思惟方式や思惟概念ではなく、法の中の正念で接するようにし、本当に心から人を思いやる慈悲な気持ちを体験しました。 その時、真に自然に、快く、法に溶け込んでる感覚を味わいました。

 状況が良くても悪くても、環境が良くても悪くても、負担が軽くても重くても、物事が複雑でも単純でも、具体的なプロジェクトでも、大和尚でも小坊主でも、皆、自分が大法弟子であることを自覚し、細心の注意を払って自分を修めて内に向けて探すと同時に、本質から自分を変え、師父が教えてくださった生命の意義を理解して、責任を取り歴史的使命を果たすのです。

 以上は、私個人の少しばかりの修煉体験です。次元に限りがありますので、法に沿ってないところがありましたら、慈悲なるご叱正をお願い致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とはなにか」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/14/454694.html)
 
関連文章