学法の体験
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文/アメリカの大法弟子

 【明慧日本2023年3月10日】先週の火曜日、私たちの学法グループは『轉法輪』の第七講を読みました。その前日、私はトラブルに遭って、自分を責めたりして、とても嫌な気持ちになりました。ここでそのことについて詳しく説明しませんが、法を学ぶ中で知らず知らずのうちに自分の心理状態が良くなり、嫌なことを忘れてしまい、向上したと感じたことを話したいと思います。

 私たち学法グループの学法の方法は、みんなが一緒に法を読むことにしています。その日、第七講の「しかし往々にしてこのような精華ともいうべきものは現在批判されるようになっており」[1]と師父が説かれた、この一節が私の心に刺さり、私の修煉のあらゆる面を包括していることだと感じました。というのは、修煉における「信じる」という問題に触れたからです。

 私は師父と大法を信じているつもりで、師父と大法を信じるように自分に要求しています。しかし、法を学ぶ時に無意識的に常人の観念を混ぜ込んだりしています。大法弟子は法を学ばなければならないとわかっているから、法を学んでいます。「私は現段階の自分の次元では、法に対してこのように理解しており、このように学法している」と、正しく聞こえますが、この表現の裏には、自分の真の生命が大法と同化する真義とその目的を覆い隠していると思います。それは、今の漢方のように、漢方は伝統的なものだと言いながら、受け継いだのは、漢方薬の処方箋や経験の模索という人の目に見えるものだけで、人の目に見えない超能力を隠してしまいました。そして、実はその部分が本質なのです。

 この部分を読む時、私は心から喜び、生命の回帰の道がわかったような気がして、「悩み事」をほとんど忘れてしまったのです。

 続いて、「天目が開いてから、一つの方向から同時に人の四つの面が見え、前から後、左、右が見えます。さらに一つ一つの断面をスライスするように見ることができます。またこの空間を通して病気になった根本的な原因が何であるかを見ることもできます」[1]を学びました。 

 この一節を学んだ時、「自分は表面上の物事しか見ず、道を見失うことになりやすい」と気づきました。しかし、「もしも、この世の真実が見え、この世間のこの大きな修煉場の実体が見え、この世間の至る所に修煉と救い済度の機会があることが見え、師父が大法弟子に与えてくださった様々な能力が見え、人々や万事万物の背後にある本当の因縁関係が見え、旧勢力の存在形式が見え、あらゆる不快なことの背後に人を操る旧勢力が見えていたら……」、私は目の前の小さなトラブルに悩まれますか?! きっと正念を持って大法弟子として、やるべきことをやっていくと思います。 

 文章にまとめると、文字が多くなりますが、実際、当時、学法をしていて、すぐにその考えが通り過ぎたのです。法を読んで、心が開きました。学法は本当にいいことです!

 慈悲で偉大なる師父、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/2/14/456674.html)
 
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