異なる二つの選択
■ 印刷版
 

 【明慧日本2024年3月13日】末後の時期、陰陽反転の天象変化の下で、正は邪と言われ、善は悪と言われる社会の現実の誘惑と情愛の覆いの下で、大法弟子は如何に正しい道を選ぶかは非常に重要なことになっています。

 ある村に、二人の年配の大法弟子がいて、その孫は兵隊になる資格があり、二人とも選ばれました。しかし、家族に法輪功修煉者がいないという条件で、政治問題に直面しなければなりません。村の委員会はこの二人の大法弟子に、法輪功を修煉しない「誓約書」を書かなければならないと告げました。

 この理不尽な要求を前にして、どうすればいいのか。Aさんは次の師父の法を思い出しました。「人が生まれた時、ある特定の空間に、その人の一生涯の存在形式があります。つまり、その人の生命のどの時点で、何をすべきなのかは、すべてそこにあるのです。誰がその人の一生を段取りしたのでしょうか? いうまでもなく、もっと高い次元の生命体がそれを行なっているのです」『轉法輪

 彼女はどのように対処すべきかを理解し、村の委員会に「人が生まれた時、その人の一生涯が既に按排されており、もし孫が兵隊に行く運命にあるのなら、彼を兵隊に行かせないように邪魔したら、どれだけの徳を孫にあげなければならないのだろう。孫は兵隊に必ず行かないといけないのか? もしあなたたちが孫を行かせないのであれば、孫は将来大官になって金持ちになるでしょう」と彼女は断固として署名せず、その結果、孫は兵隊に行きませんでした。

 Bさんは、孫に影響しないように、すぐ契約書に署名をし、法輪功を修煉しないと保証した結果、孫は兵隊に行きました。

 Aさんの孫は兵隊に行かなかったのですが、その後、孫は大金持ちになりました。孫は大型トラックで荷物を運び、月に1万元以上稼ぐことができ、孫の嫁と姑は、路上に屋台を出して軽食を売り、月に2万元から3万元を稼ぐことができました。

 Bさんの孫は2年間の軍隊生活を終えて戻って来ましたが、技術も技能も学ぶことができず、村で農民になりました。

 この二人の大法弟子の異なる選択は、全く異なる結果をもたらしました。果たして、どちらが真に自分の家族、そして衆生に責任を持てるでしょうか。

 表面的にはAさんは署名をせず、孫が兵隊に行かなかったことは悪い事で、Bさんは署名をしたことで孫が兵隊になったことは良いことのように思えますが、実際はそうでもありません。

 Bさんはただ常人の立場から見ただけで、あるいは情に囚われて、法から見なかったので、問題の本質を見ることができず、この関係を見分けることが容易でなく、村の委員会に協力してはいけないことをやってしまい、この問題に関与した人達(家族、村の委員会など)はこの大法中傷の問題の為に、自分たちがやったことの責任を負わなければならないかもしれず、救われることは難しいのです。Bさん自身は、明慧ネットで署名の取り消しを宣言したものの、旧勢力の按排を認識できず、旧勢力に利用され、自分の修煉を汚し、真に衆生に責任を負うことができませんでした。

 Aさんは法から見て、孫が兵隊になるかどうかは共産党の政策によって決められるものではなく、もっと高い次元の生命体が按排しているので、それを乱したものはその結果を背負わなければならないのです。また失と得の理が全てを量っており、Aさんの孫は兵隊になる機会を失いましたが、失わないものは得られず、必ず補償してもらえるのです。Aさんは署名しないことで、家族のため、村委員会の為に真に責任を負うことになります。そうすれば欺瞞によって悪事に利用されることはありません。

 私がこの二人の同修の異なる選択を通して見たのは、宇宙には法があり、衆生は知らないため悪事をし易く、法から逸脱しやすいのです。古い宇宙が法から逸脱した理由を理解できました。衆生が何を選ぼうとも、法は不変であり、法は全てを量っています。正法との関係を正しく定めることを選択することができれば良い未来があり、大法に同化することは正しい道なのです。法から逸脱した古い宇宙の生命体が自ら正しい選択をすることは困難であり、大法弟子は大法を実証することこそが非常に重要であり、これは衆生が救われる唯一の希望なのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/8/473969.html)
 
関連文章