文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年1月8日】私の義父は生前、信仰を持つ私たち親戚や友人にこう話していました。「私は17、8歳の頃から仏教を信仰し始め、千年に一度、万年に一度という仏家の奥深い大法を待ち続けてきた。弥勒仏がこの世に降臨し、三文字の法を伝える時を待ち望んできた。しかし、この歳ではそれに出会うのは難しいだろう。お前たちはきっと間に合うから、将来それを得たら絶対に大切にしなさい。この万古の機縁を逃してはならない。決してお寺には行かないように。あそこには狐や霊的なものが多いから、本当の道を見失ってしまう!」と真剣な表情で言っていました。
義父が亡くなって1年ほど経ったころ、小姑が『轉法輪』という貴重な書物を私に持ってきてくれました。しかし、私は現代社会で出版された書物、特に気功に対する偏見があり、その本を読まずに放置しました。
その後も、私は古い仏典を読んでいましたが、目に異常が起こり、次第に悪化しました。医者に白内障と診断され、視力はほとんど失われ、顔の痛みもひどくなりました。薬も効かず、占い師に助けを求めても「運命として40代で両目が失明する」と告げられました。その言葉に落胆し、仏典や善書すら読めなくなり、病院にも行かず運命を受け入れようとしていました。
半年が過ぎ、視力の悪化と絶望で生き地獄のような日々を過ごしていましたが、「貴重な仏法を待っている」という一縷の希望がありました。ある日、従姉と小姑が訪ねてきて、ある功法を学べば病気が治ると言われたのですが、心が動きませんでした。祖先の教え「真の仏は十八子、姓は李で三文字の真法を伝える」を信じていたからです。
1997年8月、小姑が再び訪ねてきました。私がまだ『轉法輪』を読まず、大法を修煉していないことに気づくと、涙ながらに訴えました。「こんな素晴らしい仏法があるのに、どうして修煉しないの?」と。その上、師父の説法の録音テープを持ってきて、「お義姉さん、この仏法は千年に一度、万年に一度の機会なのよ!」と言いました。この言葉を聞き、義父が亡くなる前に語っていた話を思い出し、聞いてみることにしました。
子供たちがテレビを見ている間、私はトウモロコシの皮をむきながら録音を聞き始めました。聞けば聞くほど心が揺さぶられ、「これこそ私が長年探し求めてきた真の法ではないか!」と感動しました。その時の心情は、「何千回も探し求め、ふと振り返ったら灯りの下にあった」という感動そのものでした。涙が止まらなくなり、心が熱く高揚しました。驚いたことに、涙を流しているうちに、半年間見えなかった目が、その場で物を見ることができるようになりました。視野に広がる晴れ渡る空を見て、私は思わず叫びました。「治った! 本当に治ったんだ!」ずっと願い続けていた大法が、こんなにも早く私のもとに届くとは思っていませんでした。
それも、師父の説法テープを2枚聞いただけで目が回復するなんて、本当に奇跡としか言いようがありません。この出来事は、二重の喜びでした。部屋にいた子どもたちは、私の「目が治った!」という叫びを聞いて驚き、慌てて駆け寄ってきました。信じられないという顔をしていましたが、私の目が見えるようになった事実を見て、納得したようでした。
私はこの喜びを、かつての私と同じように仏法を信じ、大法を探し求めていた親せきや友人たちにすぐに伝えました。彼女たちは私の話を聞いて大喜びし、修煉を始めました。すると、彼女たちの体はみるみるうちに健康になり、長年苦しんでいた気管支炎や喘息が治る人もいました。
さらに、私は村の人々にも大法の素晴らしさを広め、多くの人々が修煉を始めました。その中で、いろいろな奇跡が次々と起こりました。
修煉を続ける中で、私は多くの不思議な体験をしました。2010年代の秋、従妹が馬三家労教所から戻ってきましたが、彼女の家族は、彼女が同修と接触することを厳しく見張っていました。私は「今日は必ず彼女に会って、師父の経文を渡し、声明を書いてもらう」と心に決めました。私の家から彼女の家までは5km以上の山道があります。家を出たときには、すでに午前10時を過ぎていましたが、道中で出会った人に大法の話をしたり、電柱に「法輪大法は素晴らしい」と書いたりしながら進むうちに、いつの間にか彼女の家に到着していました。
近所で話している人に「従妹はいますか?」と尋ねると、「今日は来ても無駄だよ。彼女は昼ごはんを山で食べて、そのまま作業を続けているからね」と言われました。ところが、そのとき、ちょうど従妹がとうもろこしの茎を抱えて帰ってくるのが見えました。彼女は私を見て驚き、「お姉さん、すごい偶然ね! 普段なら山から戻らないのに、今日はなんとなく戻りたくなったの。まさかあなたが来るなんて!」と言いました。私は笑顔で「それは師父のおかげだよ」と答えました。その後、従妹は無事に声明を書きました。彼女は感謝の気持ちで食事を作ろうとしてくれましたが、私は断り、時間を無駄にしないよう、近くに住む知り合いに話を伝えに行きました。
家に帰ったのはちょうど12時で、発正念に間に合いました。夫が「お前、いとこの家に行ったんじゃなかったのか?」と聞いてきたので、「行ったわよ」と答えました。すると夫は、「出かけたのは10時過ぎだったのに、こんなに早く帰ってくるなんて。あの道は石や瓦が多くて歩きにくいのに、こんな短時間で往復できるなんて信じられない!」と驚いていました。私は心の中で、「それに私は寄り道もしてきたのよ!」と思いました。これもすべて師父が与えてくださった奇跡であり、私を励まし、より精進するよう導いてくださっているのだと感じました。
2016年か2017年のことですが、具体的な日付は覚えていません。たぶん4月の初めだったと思います。午後4時ごろ、私は電動三輪車に乗り、補習クラスに通っている孫を迎えに行く途中、別の車にぶつけられて転倒し、その場で気を失いました。偶然、甥が通りかかり、すぐに家族に連絡してくれました。弟と義妹がタクシーを手配し、私を県立病院に運んでくれました。
意識が戻ると、部屋には8、9人がいて、私のレントゲン写真を見ながら「左の鎖骨が粉砕骨折していて、骨盤も損傷している。入院して手術をしなければならない」と話していました。私はその時、自分が法輪大法を修煉していることをはっきりと認識していました。これまで一度も薬を飲んだことがなく、師父が守ってくださると信じていたのです。口には出しませんでしたが、「きっと私の人心に隙ができ、それを邪悪に付け込まれたのだ」と感じていました。
娘と婿は医師の話を聞いて怯え、手術に同意しようとしていました。私は慌てて、痛みも忘れてベッドから身を起こし、「手術はしない、入院もしない! ここには一秒もいたくない!」と強く思いました。医師たちは引き留めましたが、弟(同修)が「本人が入院を望んでいないなら、家に帰らせてやりましょう」と助け舟を出し、甥の医師も同意してくれました。
その日の夜、家に帰りました。痛みをこらえながら、「内に向けて自分を探そう」と考えました。修煉者には偶然の出来事などありません。修煉者にふさわしくない人心があるからこそ、旧勢力に付け込まれて迫害を受けたのだと気づきました。その後、自分の中に嫉妬心、名利心、そして怨みの心があることを見つけました。
数日前、畑仕事のために家に戻って肥料を取りに行ったときのことです。ある家では自分たちの井戸から水を引いて苗が育たないのを心配して畑に水をまいていて、水道管が道を横切り、あちこちに水が流れ出て地面は泥だらけになっていました。私が化肥を背負って歩いていると、一歩踏み出した瞬間に泥に足を取られてしまいました。そのとき、私はつい文句を言ってしまいました。「井戸があるくらいで威張ってんじゃないよ!」と。その後、孫娘が試験で良い成績を取れず、私はまたイライラしてしまいました。「なんで努力しないんだ!」と思い、つい孫娘を責めました。「こんな点数じゃ恥ずかしくて先生に顔向けできない! 毎日送迎してるのに、もうちょっと頑張れないの?」と嫌味を言ってしまったのです。嫉妬心、怨恨心、名誉や利益に執着する心――私は常人にも劣っていると感じました。それに気づき、これらの心を取り除こうと決心しました。
翌日、息子夫婦が家に戻ってきました。娘は座ったまま排泄ができる椅子と、薬を2箱買って持ってきてくれましたが、私は「使わない」と言いました。娘が病院で撮ったレントゲン写真や検査結果を息子に見せると、息子は無言で何も言いませんでした。しかし、義理の娘が「こんな状態で入院も手術もしなかったら、2年経っても治りませんよ。私たちも遠方で働いているので、面倒を見るのは無理ですからね」と言いました。私は「面倒なんていらないし、1カ月もあれば治るよ。私は大丈夫だから」と答えると、義理の娘もそれ以上は何も言いませんでした。
私は心の中で、「家に戻ると決めた以上、どんなに痛くても息子や娘の前では決して弱音を吐かない」と思いました。彼らに心配をかけるわけにはいきません。痛みが襲うたび、私は歯を食いしばりながら『轉法輪』の中の「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」という教えを念じました。痛みが強くなるほど、私はさらに繰り返し念じました。煉功しているときも、痛みで汗が滲みましたが、一言も文句を言いませんでした。
数日後、師父は私の師と法を信じる心が揺るがないのを認めてくださり、慈悲深い師父は私の痛みの大部分を取り除いてくださいました。それ以来、私は毎日功法を練習し、『洪吟』の中のどの詩でも覚えているものを何度も暗唱しました。義理の娘はとても孝行心があり、私のことを真心で支えてくれていました。私が不自由しないよう、屋外に行かずに排泄ができるよう工夫してくれたのです。しかし、私は「修煉者には病気はない。ただ私が自分の修煉をきちんとできていなかったからこうなったのだ」と考えました。「それなのに子どもたちに余計な手間をかけるなんて、自分勝手すぎる」とも思い、義理の娘を外に使いに行かせるふりをして、その間に杖を使って自分で屋外に出て用を足しました。
親戚や友人たちは、私がケガをしたと聞いて次々にお見舞いに来て、物やお金を持ってきてくれました。私は「これはいけない!」と思い、持ってきたものを持ち帰ってもらおうとしましたが、彼らは聞き入れませんでした。私は心の中で、「これでは業を作ってしまう。自分が修煉をきちんとできなかったせいでこんなことになり、大法に悪い印象を与えてしまっている」と感じました。
そこで、義理の娘に「おじさんの家に少し行ってきて」と頼み、その間に私は鎌を持って村の前の畑に除草をしに行きました。「できるだけ草を刈って、村の人たちに私が元気になった姿を見せよう。もう誰にもお見舞いをもらう必要はないし、私は病人じゃない」と思ったのです。義理の娘が帰ってきたとき、私が畑で草を刈っているのを見て慌てて駆け寄り、「お母さん、また体を痛めたらどうするんですか!」と言いました。私は「大丈夫だよ。体を動かす方が早く良くなるから」と答えました。その日の昼、親戚の2人が私が草を刈っているのを見かけ、驚いて駆け寄ってきました。そして、「まさかこんなに早く元気になるなんて、夢にも思わなかった!」と言いました。私は「これもすべて大法の力のおかげだよ」と答えました。その日以来、誰も私を病人扱いしなくなりました。
その後、日常的な家事も少しずつできるようになりました。ある日、娘が電話で「どう? 体の具合は?」と聞いてきたので、「もう良くなったよ。本当に普通に戻った」と答えました。しかし娘は信じませんでした。「お母さん、無理してそんなことを言わないでよ。本当のことを言ってるの?」と言いました。すると義理の娘が「本当ですよ。信じられないなら帰ってきて見てみたら?」と言いました。
17、8日目のことです。その日はちょうど市が立つ日で、私は義理の娘と一緒に電動三輪車で出かけることにしました。義理の娘が「お母さん、買い物なら私が行くから、家で休んでいてくださいね」と言いましたが、私は「何も買わない。ただ、人々に私が元気になったところを見てもらいたいからね」と答えました。すると彼女は「それは顕示心理ですよ」と言いましたが、私は「自分の修煉が足りなくて大法に迷惑をかけてしまったけれど、師父のおかげでこんなに早く回復した。その大法の素晴らしさを人々に知ってもらうべきなの」と話しました。すると義理の娘も「じゃあ、行ってらっしゃい」と送り出してくれました。
市場に着いて三輪車を降り、歩き出したところで、私を病院に送ってくれた運転手に出会いました。彼は驚いた様子で「お姉さん、もう治ったんですか?」と言いました。私は笑顔で「そうですよ、本当に治りました!」と答えました。市場にいた周囲の人々もそのやりとりを耳にしていて、私は声を張り上げて「これも法輪大法の力です!」と伝えました。運転手は歩きながら周りの人々に「あの日、事故の後で俺が病院に連れて行ったんだ。医者は入院して手術が必要だと言っていたのに、彼女はそれを拒否して家に帰ったんだ。それがたった十数日で、こんなに元気になるなんて信じられない!」と話していました。
この出来事を通じて、多くの人が法輪大法の素晴らしさを知り、大法が本物の佛法であると理解するようになりました。真相を受け入れる人も増え、以前よりも受け入れやすくなったように感じました。