大法弟子は人を救い済度する心のみ持つべし ◎師父評注
■ 印刷版
 

———法の実証に対し常人の考え方で見なした中国の大法弟子との修練体験の交流

 

法を良く勉強していれば、人心を取り除くことは難しくない

 この文章は非常に良く書かれています。大法弟子が法を証明し、衆生を救い済度する時の方法をまだはっきりと認識していない学習者に、この文章をお勧めします。この文章にまだ不十分なところがあり、踏み込んで問題を指摘もしていませんが、大法弟子が法を証明し、衆生を救い済度するときに行うべき全てをはっきりと認識しています。

 実は表に出ていない学習者は、如何なる口実を持っていても、ほかでもなく恐れる心を隠しています。しかし、恐れる心があるかどうかは、修煉者が常人なのか、神なのかを判断するときの基準であり、修煉者と常人との違いもここに表れています。これは修煉者が避けて通れない心であり、修煉者が取り除かなければならない最大の人心でもあります。

 李洪志                  
 2005年7月20日               


 【明慧日本2005年7月20日】師父の《シカゴ市での説法》の中では、大法弟子は“人を救い済度する心のみ持つべし”という法理から、ある感想が浮かびました。これについて、またはこれに常人の考え方を持つ人、法に対し常人の心で見る人、これらの大法弟子と交流し合った個人の体験談を述べたいと思います。

 まず、私たちが知っておかなければならないのは、師父の正法とは衆生を救い済度する神聖なることです。いかなる生命に対し、ましてや歴史上ありとあらゆる悪事を尽くし果てた“中国共産党”という悪霊に対しても、法を正すことにおいて邪魔をしなければ、すべてが解脱され、救い済度されるに違いありません。これはどんなに偉大なのか! 殊勝なのか! 言うまでもありません。今という特殊な時期において、私たち大法弟子は師父に付いて正法を行い、このすべてが正法の働きに順応し、衆生の救い済度をめぐって力を入れています。すべては衆生の救い済度に基づきものとなって、大法弟子ならでは偉大なところに値します。法の勉強を精進するうえ自分をよく修めてはじめて、自らの世界の衆生のためとなります。正念を発することにより、正法を妨害する済度し難い邪悪を消滅すると同時に、衆生を救い済度します。真相を伝えることは、厖大な天体のありとあらゆる多くの生命が救い済度されるためです。しかしながら、正法の進めた段階ごとに、たびたび常人の心でもって正法と衆生の救い済度ということをはかる大法弟子がいます。彼らには何らかの闘争運動なのか、何らかの政治参与なのかと疑いを持ちます。これらの問題について、一つずつ顧みながら、分析しましょう。

 1999年からの弾圧迫害の後、多くの学習者は外に出て法を証明するかどうか迷いました。なぜ迷うかというと、外へ出かけて北京まで行くと、まるで闘争しているようで、政府と対抗するようになります。その時は、このような考え方を持った人が少なくありませんでした。実際に法の基点から考えれば、私たちは出かけたらどうなるのか、名利のためなのか? 反抗のためなのか? 大法弟子は、殴られても罵られても決してやり返さず、浮世の望みを捨てるはずですが、では、いったい何のためなのでしょうか? それは、大法の中で修煉している自分が法難に遭った時、自分が大法を証明できるどうか、衆生を救い済度できるかどうかということです。

 このようにできれば、多くの学習者が法を証明するために立ち向かうことで、多くの衆生に真相を知らせることができ、強靭な意志と大善大忍の心を持つ大法弟子も世に知られます。こうして法に基づいて物事をすすめれば、きっと強い正念が暗闇を照らし、修煉を固められるに違いありません。大法弟子が法を実証することは、衆生を救い済度することに重要な影響をもたらしました。しかし、常人の心を持つ学習者は、ただ単に自分自身のことしか気にかけず、法と衆生から離れて、まるで邪悪の旧勢力のようにまったく利己的なのです。

 2001年まで、多くの大法弟子は法を証明するために出向いていきました。この時、師父の説法が発表され、弟子たちは正念で法を迫害する邪悪をとり除き、正法を邪魔したり干渉したりする要素を減らすようにと要求されました。この時点で大法弟子のほとんどは、正念を発することの重要性をよく認識できました。しかし、常人の心に執着しすぎた学習者は、相変わらず法をわきまえません。彼らの障害は、正念を発すると善に背き、悪いことをしたと思い込んだことです。実は考え方を変えて、こういう常人の観念を持つ学習者は、自分の内に向かわなければなりません。往々にして、自らが個人修煉の中で闘争心をなくさないと、しばしば、闘争心を帯びながら大法と正念を認識してしまうことが分かりました。もしこの闘争という執着心をなくすことができれば、正念とは善の力であると理解できるに違いありません。法には基準があって、法を破壊する邪悪を許すと、衆生に対しての責任も果たせなくなります。

 法の基点から見ても、正念を発することは、衆生を救い済度することです。自らの世界の衆生はもとより、ほかの天体の衆生も救い済度します。多くの邪悪が襲ってきたとき、これらを取り除かないと、常人は大法と大法弟子を迫害するように操られます。そうすると、悪霊自身も、操られた常人も徹底的に消滅され淘汰されます。また、邪悪の要素を按配した高次元の高級生命でさえも徹底的に消滅せざるを得ません。そうすると逆にもっと多くの生命が消滅されることになってしまうのではないでしょうか? しかし、正念を発すれば、悪の要素をなくし、悪の作用がなくなれば、大法に罪を犯す人の宿命が変わり、高次元の高級生命の犯行もできなくなり、こうしてこれらの生命が救い済度されるのではないでしょうか? 正念を発することと衆生を救い済度することは、同じではないでしょうか? 常人の心でもって正念を正しく取り扱わなければ、邪悪を放縦させ、多くの衆生が淘汰され消滅されるのではないでしょうか? そうなったとき、あなたは衆生を救い済度する使命を果たしたと言えるでしょうか?

 師父は説法の中で、何度も邪悪を抑制する各種の方法を教えられました。例えば、 「もし、悪徳の警官と悪人が勧告を聞き入れず、一途に悪事を働いているのであれば、正念をもって制止することができます。大法弟子は正念が強く、恐れる心がない情況下で、正念をもって逆に悪事を働く者を懲罰することができます。悪徳の警官がスタンガンを使っていても、または悪人が薬物を投与して大法弟子を迫害していても、正念を用いて、電流と薬物を暴行を加える者の身に流れていくようにすることができます。掌を立てても立てなくても、正念が出れば、これを成し遂げることができます」『正念をもって悪事を制止する』

 「そのため、新しい学習者も古い学習者も含めて、全ての大法弟子は正念を発する時、具体的な目標に対して正念を発する以外、これらの黒い手にまっすぐ向け、徹底的にそれらを根絶してください。同時に、正念を発する時、考えを更に集中させ、純粋で清らかにし、落ち着いて更に大きな能力を起こし、全ての黒い手と卑しい鬼を解体し、他の空間にあるこれらの最後の妨害を根絶してください」『正念で黒い手を根絶する』

 「大法弟子は人を救い善を行うことを根本としており、この正念は悪人が悪事を働くことを制止するためであり、他の悪人に警告し、世の人が罪を犯さないようにするためでもあります。その目的はやはり衆生を救い済度するためです」『正念をもって悪事を制止する』

 邪悪を抑制する目的は、法に対する犯罪を断ち切るためであり、出発点は彼らを保護し、彼らを救い済度するためです。一旦彼らが大法に罪を犯したら永遠に償うことができません。

 ですから、一人の大法弟子として、ここまでやってきて、自ら行っていることを十分に認識しなければなりません。私たちは衆生を救い済度する心のみ持とうではありませんか? 常人の間での闘争、紛争または政治上の争いなど、私たちとは何の関係がありますか? 何の関係もありません。私たちは無私無我で、正法正覚の生命になるように修煉しています。ここまでやってきた目的はすべて師父に付いて法を正し、衆生を救い済度するためです。

 九評(共産党を評する九つの評論)が発表された後、正法は更に新しい段階に進みました。しかしながら、依然として常人の心でもって、または共産党文化の毒害の影響をうけて、今のこの形勢を認識している学習者が相変わらずおり、結局、前と同じく迷いの中に自らを閉じ込めるようになりました。私たちはいったい何をしていますか? 衆生を救い済度しているのではありませんか! 別の角度から考えて見ると、衆生に共産党の邪悪さを知らせて、すぐに脱党させないと、どんな恐ろしい結果になるでしょうか? 彼らは淘汰されるのです。神は絶対にこのような生命が新宇宙に残るのを許さないので、私たちは彼らに九評などの真相を伝えないと、彼らは必ず淘汰されます。彼らを救い出したければ、まず彼らを共産党という悪霊から救い出さなければならないのではないでしょうか?

 中国で生まれ育った人は、幼少からたくさんの共産党思想の毒害を受け、自然に思惟方式も感染しました。こうして一部の学習者も毒害されて目覚めることができなくなり、常人の心でもってどうしても法に基づいてわきまえることができません。常人の立場から考えても、一人の人間として善悪をはっきり弁別すべきで、本当に邪悪だと分かっていても抑制しないのですか? そして本当に抑制をして、かえって政治に干渉したと誹謗されれば、いっそう誰が本当の邪悪なのかがわかるでしょう。私たちには衆生を救い済度する心だけがあります。そうではありませんか?

 そのため、以前のままで、常人の心でもって正法に対応している学習者たちは、早く自分をよく見なければなりません。私たちの基点はどこにありますか? 私たちはいったい何をしていますか? なぜ、常人の心がそんなに重いのですか? ますます時間が迫ってきています。この最後の時間を大切にして、自分の道を最後まで歩み終えましょう。衆生を救い済度しましょう。私たちに無限な希望を託した衆生を救い済度しましょう。

 個人の認識であり、不適切なところはご指摘ください。

 (中国の大法弟子)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/7/20/106516.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/7/22/63124.html)     更新日:2012年1月9日
 
関連文章