集団学法の重要性
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 明慧日本201249日】「皆さんに教えますが、ビデオを見ること、集団で法を勉強し煉功すること、さらに今日開かれている法会は私が皆さんに残した大法修煉の唯一の形式です」『米国西部法会での説法』

 修煉を始めてから2経っしい修煉者として、集団学法が修煉の向上もたらす重要な作用を身をもって体験しました。北京は邪悪が一番はびこっている地区で、法を得た時間も遅く、知り合いの同修は海外に住んでいて、近くには交流する同修がいません。たまに自転車のかごの中に置いてある大法真相資料を見かけましたが、誰が置いているのか知りませんでした。初めに『転法輪』を拝読したとき、多くの質問と考えがありましたが、交流する同修がおらず、非常に寂しく感じました。次元が限られていて、また悟性も悪く、向上がとても遅く感じ、常に大法を疑う考えが生じてきました。

 後で師父の加持の下で、私の家族はアメリカに移り、当地の同修と知り合いました。修煉してから一年半後、私はついに集団学法と交流に参加しました。その場で同修たちの修煉体験を聞かせてもらった時、その純粋で、和やかな場を感じることが出来で、言葉にできない感銘を受けました。以前、明慧ネットで同修たちの交流文章を見ましたが、その場で同修の体験を聞くこととは違いました。発言する同修は古い学習者が多く、私は同修たちの話を聞くとき、どきどきしていました。本当に師父がおっしゃったとおりでした。「古い学習者同士が何かについて話し合うとき、表したああいう気にかけない状態は新しい学習者を驚かせてしまうからです。皆さんにエネルギーがあるので、口にした言葉はそれほど重くありませんが、新しい学習者に非常に重く聞こえてしまいます。声が高くなくても、新しい学習者には雷が鳴ったかのように聞こえてしまいます」『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』

 私が住んでいるところは集団学法をしている場所と離れていて、往復で5時間かかります。ですから毎週参加できるわけではありませんが、参加した3回ですでに大いに得るところがありました。

 私は師父がおっしゃったことは必ず行わなければならないことを悟りました。師父が私たちに教えられたことは一番正しいことで、何の疑いも持ってはなりません。また自分がその神聖さを体験できなかったと自分を疑ってもなりません。私たちが修煉の場に入ったことが最大の光栄です。ひたすら修煉し、自分の一つ一つの念を正して、この万古にも出会いがたい機縁を失ってはならず、師父の慈悲なる済度にそむいてはなりません。

 次元が限られており、不足の部分は同修の慈悲なるご指摘お願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/4/7/255271.html)     更新日:2012年4月10日
 
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