文/中国 四川省重慶市の大法弟子
【明慧日本2012年4月11日】最近、薄熙来と王立軍が重慶の大法弟子を迫害したことを暴露するために、私は同修達に労働教養所で拷問を受けたことがあるかどうかと、よく質問しました。私が長時間の直立不動、しゃがまされること、トイレに行くことを禁じられるなどについて言及した場合、普段はそれ以上聞きません。それは私が、同修達が何を考えているかを知っているからです。それに私自身も、これらが拷問の概念とは遠く離れていると思っていたからです。しかし、よく考えてみると、長時間の直立不動や、しゃがまされることや、トイレを禁じられるなどなどは拷問ではないでしょうか。旧勢力の破壊的な試練の基準からみると、残酷な体罰と拷問は、往々にしてとても見分け難いですが、いずれも人の心身に対して酷く傷つける効果に達することができます。
絶えず学法し、同修達と切磋交流することを通じて、私は拷問の概念について、新たな認識を持つようになりました。ここで書き出し、同修達と交流することを通じて、大法弟子に対する邪悪による迫害の真実な姿を徹底的に暴き、旧勢力の大法弟子に対するすべての迫害を徹底的に否定します。不当なところについて、同修達の慈悲なるご叱正を願います。
師父は『転法輪』の第一講で、「人間の脳から発せられた思惟が物質である」と書かれました。もし、私たちが拷問について話すとき、大多数の同修が思う拷問がすべて、トラの椅子に座らせること、手錠で地面に固定されること、竹串を(爪の間などに)差し込まれること、吊るし上げられて四肢を四方へ引っ張られること、死人ベッドに縛られること、電気ショック、めった打ちされるなどなどであり、頭に浮かんでくるのがすべて血だらけの場面であれば、他の空間において、それは巨大な物質の場となって現われます。それでは、拷問に対して一つの定義をくだしたことになり、このような一つの枠を造ったことになるではないでしょうか? そうしたら、邪悪は乗じられる隙ができ、「あなた達、大法弟子は私たちが拷問であなたたちを迫害していると言うではないか? しかし、私たちはただ立たせたり、しゃがませたりさせただけなのに、あなたたちはどうして私たちがあなたたちを迫害しているといえるのか? (気をつけるべきなのは、邪悪はすでに概念をすりかえているということです)私が初めて労働教養所に監禁された時、そこの警官はまさに、自分たちは拷問をしてない、自分たちは迫害してない、ただ訓練させているだけであると言いふらしていました。甚だしきに至っては、彼ら(警官)は自分自身の訓練の時にも、立たされたり、しゃがまされたりしているのだから、私たちと待遇は同じであると主張した。これはなんと人を惑わせ、欺く言葉でしょうか。
「立つだけ、しゃがむだけ」というのは、表面的にとても楽なように見えますが、実際、長時間という邪悪な要素を隠しています。「簡単な」(姿勢に対する要求があります)、「立つこととしゃがむこと」が、人の生理のリミットを越えた時、それはいわゆる訓練で概括できることではありません。ここまで書いて、私は常人の間で、夫婦の間で仲が良くない時、「冷暴力」という言い方があり、しかもこの類の「暴力ではない暴力」、「冷暴力」は夫婦の感情に対して、その殺傷力は殴りあいや、実際の暴力を上回ると思います。邪悪は現在、大法弟子を迫害する際に、いわゆる訓練の手段を取っていますが、それは「冷暴力」とどれほどに似ているでしょうか。
大法弟子として、私たちは、旧勢力がいわゆる大法弟子に試練を与える目的に達するために、大法弟子を迫害する際にとても残酷であることをはっきり知らなければいけません。あれらは大法弟子に対して、絶対に慈悲と善の心を持っておらず、法を正す後期になればなるほど、手を尽くして大法弟子を引っ張り落とそうとします。長時間の直立不動、しゃがみ、トイレに行かせないなどこそ、邪悪が大法弟子を迫害する新しい手段であり、これらの手段は更に人を騙し、残酷さを隠蔽し、更に残忍であり、更に下品であり、更に邪悪です! 実際そうです。
重慶女子労働教養所を例にしてもそうです。転向しない大法弟子であれば、毎日朝6時から直立不動を命じられ、あるいは動かずに夜11時までしゃがまされます。場合によって、更に長い時間迫害され、しかも喋ることも禁じられます。もしまっすぐに立っていない、あるいはしゃがんでいる際に動いたら、監視役の受刑者に拳で殴られ、足で蹴られます。ただ立つ、しゃがむことでも、時間が長くなると、言葉で表せないほど脚が痛くなります。毎日迫害が終ると、多くの大法弟子は脚が腫れて、発泡した蒸しパンみたいになります。このような長時間にわたる直立不動の姿勢、しゃがみは、毎日関を乗り越えることに等しく、毎日とても強い正念と硬い意志がないと乗り越えることができません。1日、2日なら基本的に同修はみな乗り越えることができますが、15日、1カ月になると、すでに一部の同修は乗り越えられなくなり、更に時間が長くなると、乗り越えられる同修はますます少なくなります。邪悪はまさにこのような手段で大法弟子に毎日苦難を与えます。このような人を殺しても血が見えない手段について、私はしばらくそれを「冷拷問」と呼びます。邪悪は大法弟子を1人ずつ引っ張り落としています。これはなぜ労働教養所で多くの大法弟子が、手錠で床に固定させる、残酷に殴られる、電気ショックを与えられた時、大法に対する正しい信念を変えなかったが、このような長時間の直立としゃがまされる中、間違った道を歩んだかの原因です。
ですから大法弟子として私たちは必ず、私たちに対する邪悪の迫害目的が依然として変わっておらず、ただ国際世論の圧力を受けて、邪悪が実施する暴力の手段が変わっているだけであることをはっきり認識しなければなりません。例えば、厚い布を敷いてから殴ると、殴られて内臓が駄目になっても、外観からは何も見えないなどです。
私たち、特に海外にいる同修は、拷問に対して絶対に枠を作らず、私たちは観念を変えて、邪悪による迫害手段を徹底的に見破り、邪悪による各種の迫害手段を全面的に暴露し、邪悪に乗じられる隙を与えず、引き続き私たちを迫害する口実を与えず、同時に、このような迫害手段は決して邪悪が善の心を動かして、迫害を軽減し、拷問を軽減したわけではなく、より隠蔽された拷問であり、更に邪悪な迫害であることを見破らなければなりません。私たちは必ず根本から、今回の迫害を徹底的に否定し、今回の迫害を終らせ、更に多くの世の人々を救わないといけません。