【明慧日本2012年4月28日】四川省広漢市の法輪功修煉者・譚金会さん(女性)は、過去の10数年間、何度も中共(中国共産党)の役人に家財を差し押さえられ、拘禁、拘留、労働教養、強制洗脳、刑罰を加えられるなどの迫害を受けた。2009年9月13日に刑務所から釈放され、家に帰った譚さんは全身の力が抜け、食事や水を飲むことさえとても困難で、歩くことも難しくなり、ひっきりなしによだれが流れて、鼻水が出るなど中毒症状が現れ、しかもますます悪化し、2011年9月25日に亡くなった。享年67歳 。
譚さんは生前に以下のことを述べたことがある。「2008年8月のある日、私は全身に力がなくて、ちょっと寝ようとしたところ、見張りの警官が2人の受刑者を呼んで私を刑務所の病院へ送るよう指示しました。私は行きたくありませんでしたが、2人の受刑者に無理やり刑務所病院へ連れて行かれ、心電図などの各種検査を受けさせられて苦しめられ、意識が朦朧状態になった時、注射されました」
2000年10月、譚さんは真相資料を配ったという理由で、広漢市新華鎮派出所に連行された。派出所の姜天興は鋼板の物差しで譚さんをひどく殴った後、譚さんを広漢市留置場に27日間拘禁した。2001年10月13日、新華鎮派出所は何の理由もなく自宅で譚さんを連行し、不当に労働教養1年6カ月を科し、資中楠木寺省の女子労働教養所に拘禁し、しかも87日間迫害延長した。
2004年3月、新華鎮派出所の李偉・焦宗軍・陳紹勇らは、正当な理由なく譚さんの家へ押し入り、家財を没収した上、家の周囲で7、8日間、譚さんを監視し続けた。譚さんは家に帰れず、やむを得ず半年間放浪生活を余儀なくされた。2005年8月、譚さんは再び連行され、徳陽市和興洗脳班で1カ月間迫害を受けた。
2006年9月14日、譚さんは興竜鎮市場で新華派出所と広漢市公安局の6人の警官に連行された。彼らは譚さんの両手を後ろへねじり、譚さんの左手を負傷させた(それから、譚さんは力を入れることができなくなった)。譚さんは広漢留置場に拘禁され、2007年6月25日、広漢市裁判所から懲役3年を言い渡され、簡陽養馬鎮省女子刑務所に送られた。
刑務所で譚さんは第5監区に配置され、鄧と言う女性警官に尋問された時、譚さんは法律に基づいて答えた。鄧は譚さんの口が硬いと言って、当日の午後譚さんを第9監区に移送した。第9監区で譚さんは「転向」を目的とした迫害を受け、2008年1月下旬に再び第1監区(厳管区)に移送された。譚さんは高く吊り上げられ、手錠が動脈の血管に食い込んだ状態で1時間以上も放置された。
2008年8月のある日、譚さんは全身に力がなく、少し寝ようとしたところ、見張りの警官が2人の受刑者を呼んで譚さんを刑務所の病院に送るようを指示した。譚さんは拒否したが、2人の受刑者に無理やり刑務所病院へ連れて行かれ、各種検査を受けさせられた後、朦朧状態になり、その際に注射された
2009年9月13日に譚さんは自宅へ戻った。2010年1月から、譚さんの体の調子がおかしくなり、全身力がなくて、寝返りさえできなくなり、洗顔や衣服を着ることなどをすべて家族に手伝ってもらい、食事や水を飲むことさえとても困難で、歩くことも難しくなり、ひっきりなしによだれが流れて、鼻水が出るなど中毒症状が現れ、しかもますます悪化し、2011年9月25日に亡くなった。