【明慧日本2012年4月20日】四川省新津(しんしん)県師範学校(現在の新潟県実験中学校)の教師・セン敏さん(48歳女性)は2012年3月16日、成都市のある町で人々に法輪功の真相を伝えていた際、芳草街派出所の警官に不当に身柄を拘束された。センさんは家宅捜査を受けた後、成都氏市留置場に拘禁された。
センさんは、四川省教育学院を卒業後、新津県師範学校の教師になった。かつてセンさんは肝炎、胆嚢炎、胃炎、12指腸潰瘍、腸炎、鼻炎、気管支炎、心臓病、婦人科病などを患っていた。そのためセンさんは薬物に頼って身体を維持し、仕事をしていた。家族はセンさんの病気を治療するために、様々な方法を試した。長年、病院を信頼して治療してみたものの効果がなかったため、両親は陰陽道士を招いて、センさんの病気を払う方法も試してみたが、依然として効果はなかった。
しかし1996年12月、センさんは法輪功の修煉を始めた。その後しばらくして、センさんはすべての持病が治り、元気になった。それからのセンさんはいつも法輪功の基本理念「真善忍」に基づいて己を律し、責任を持って仕事を熱心に取り組んだ。そのためセンさんが担当するクラスは、数年間連続で、県・市・学校から優秀賞を与えられた。
1999年7.20、中共(中国共産党)当局は法輪功に対する弾圧を開始した。センさんは法輪功を学んでいるという理由で、6回も不当に身柄を拘束されて拘禁された。また、センさんは労働教養2年3カ月を宣告されたことがある。また、洗脳班で8カ月間強制洗脳されたこともある。
1999年11月、センさんは法輪功の真相を政府に伝えるために北京へ行く途中、不当に連行された。センさんは新津県に送還されて拘禁され、数千元の罰金を科された。その後、センさんは学校側から不当に解雇された。
2000年5月、センさんは陳情のために再度北京へ行ったが、成都市北京駐在弁公室によって、7日間拘留された。その後、センさんは成都市に送還されて45日間拘禁された。同年6月29日、外で法輪功の煉功をしたという理由で不当に連行され、30数日間拘禁された。
2000年12月、センさんは3回目の陳情のため北京へ行った。北京でセンさんは警官に連行され、東城区留置場に拘禁された。留置場でセンさんは、数10人の警官に殴られ、全身の皮膚の80%があざになってしまった。センさんは暴力に抗議するため断食を行ったが、その後、労働教養2年を宣告され、資中楠木寺女子労働教養所に収容された。
労働教養所に収容されたセンさんは、非人道的な拷問を受けた。センさんは4カ月間、朝6時~深夜まで直立不動の姿勢で立たされたため、両足が腫れて靴もはけなくなった。また、センさんは1カ月以上、高い窓に吊るし上げられたこともある。
またセンさんは、顔にスタンガンで電気ショックを加えられたため、火傷をした顔の皮膚が腐り、赤く腫れ上がってしまったことがある。その他にも、トイレの禁止、睡眠の剥奪、野蛮な灌食などの迫害を加えられた。
労働教養所から出所したセンさんは、職場復帰を要求したが、逆に関係者によって新津洗脳班へ不当に連行された。洗脳班でセンさんは木の板に固定され、鼻から胃までチューブを挿入され灌食の拷問を受けた。灌食された後、チューブを外されなかったため、センさんは危篤状態に陥った。
現在、センさんは人々に法輪功の真相を伝えたという理由で、芳草街派出所の警官に再び連行されたという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)