【明慧日本2012年3月17日】法輪功修煉者・廖常瓊さん(60歳前後)は四川省彭州市蒙陽鎮に住んでいた。何度も中共に迫害された廖さんは、2012年2月29日に無実を晴らせないままこの世を去った。
廖さんは1996年6月下旬に法輪功の修煉を始めた。修煉を始める前、廖さんは多病であった。特にリューマチを患い、夏でも綿入りの服を着ていて、冷たい水に触れられず、日常生活もままならなかった。しかし、法輪功を修煉して1カ月も経たないうちに、廖さんのすべての病気がなくなった。また、法輪功が教える「真・善・忍」に従って自分を律し、何をするにしても、まず人のことを先に考え、両親を尊敬し、子供をよく教育し、家族や隣近所とも睦まじく暮らしていた。
1999年7月中共は法輪功を迫害し始めた。2000年12月末、廖さんは現地の法輪功修煉者たちと一緒に北京へ行き、「法輪大法は素晴らしい」という事実を伝えようとしたが、蒙陽鎮政府が北京へ派遣した人達により鎮政府まで不当に連行され、無残に殴られた。当時、鎮の書記は社会のごろつきを集め、その中で、江発全という人が、最も残忍だった。彼は皮靴を履いたまま、廖さんの全身を蹴り、また身体をめったやたらに踏みつけたため、廖さんは何回も気絶した。
廖さんの家族により、三輪車で彼女が家に運ばれてきたとき、彼女はすでに虐待されていて、全身傷だらけで、腹腔には水が溜まり、腹部はとても大きく腫れていた。また直腸の一部は体外にはみ出ていた。外に出ていた直腸は20数日後、やっとお腹の中に戻った。半年後、廖さんはベッドから起き上がり、歩けるようになった。しかし、臀部は一塊の筋肉がなくなっていた。
廖さんは依然として「真・善・忍」に従って、厳しく自分に要求した。しばらくすると、特に治療を受けていなかった廖さんは身体が回復してきた。しかし、間もなくすると、610弁公室の人達はまた廖さんに嫌がらせをした。2010年8月ごろ、蒙陽鎮610弁公室の警官らは廖さんを彭州市桂花鎮三聖寺洗脳班に不当に連行し、迫害を加え、強制的に転向させた。帰宅した廖さんは、極度な圧力を感じ、さらに610弁公室に監視され、嫌がらせをされた。
洗脳班で食べ物、飲み物に不明薬物を入れられ、廖さんは洗脳班から帰宅してから、全身の力が抜け、気分も悪くなった。状態はどんどん悪くなり、病院へ連れて行って治療しても効かず、廖さんは2012年2月29日死亡した。
蒙陽鎮で、法輪功の信仰を続けたほとんどの修煉者が監禁されたことがあり、その間、毎日拷問されたという。党書記は鎮政府のすべての幹部らを、法輪功修煉者に対する不当の連行と殴打に加担させた。北街小学校の荘先生は、1枚の真相チラシが問題となり、重傷を負うほど殴られ、網膜を損傷した。
蒙陽鎮の610弁公室のトップは劉正芳(40歳過ぎの女性)である。劉はかつて蒙陽鎮政府の計画生育オフィスで働いていたが、公金を着服したため、しばらくの間停職となったが、後に、蒙陽鎮610弁公室に移動し、法輪功修煉者を専門に迫害していた。自分の能力を示すために、劉は法輪功修煉者を迫害することに力を注いでいた。明慧ネットで、劉が犯した悪行について何度も報道された。多くの法輪功修煉者が劉に真相を伝えたが、劉はもっと上へ上りつめるため、懸命に法輪功修煉者に対する不当な連行に加担した。路頭に迷っていたある法輪功修煉者を捕まえるために、劉は自分を法輪功修煉者の娘に見せかけ、修煉者を騙したこともある。また、2008年のオリンピックの期間中、彭州市では6名の法輪功修煉者が不当に連行されたが、劉はそのうちの3名の法輪功修煉者の連行に加担した。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)