17年の月日が流れても、忘れられない出来事
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文/中国の大法弟子 浄宇

 【明慧日本201274日】私は物事を忘れやすく、多くのことを瞬く間に忘れてしまいます。しかし、17の月日が流れても、はっきりと記憶している出来事が一つあります。それは、1995101日、滄州地区で開催された「第一回法輪大法修煉体験交流会」です。

 交流会は滄州地区体育学校のバスケットコートで行われました。会場の周囲には観覧席があり、その席に座れば会場全体を見渡すことができました。午前7時過ぎ、各県からバスが続々とやって来て、観覧席はたちまち人でいっぱいになりました。後になると、コートの中央部まで足の踏み場もないほどに人で埋まりました。その時まだ外には大法弟子を満載したバスの長蛇の列が並んでいました。

 体育学校の責任者は慌てて交流会の責任者を探し話しました。「本来なら6500人の交流会を予定していたのですが、すでにその人数を大幅に超えたばかりか、まだ会場に入っていない人が沢山います。そこで二つの問題が発生しました。一つは、この会場に全ての人を受け入れることができないということ、もう一つは、階段を長い間修理していないので、重量で崩れる危険性があるということです。そこで、直ちに会場を変更しなければなりません。幸いなことに、会場の外にはさらに多くの人を収容できるとても広い施設があります」

 会場を変更するということは、簡単に聞こえますが、とても困難なことです。これは23人の問題ではなく、1万人近くの大群衆が場所を変えるということです。すでに満席で、すべての人が着席しており、移動を指揮するのは本当に容易なことではありません。

 開催側の担当者がマイクで会場を変更する理由を簡単に説明し、会場の東側の人は下の階段から上の階段に向かって歩、それから、南、西、北側の順に移動するように告げました。担当者の話が終わると、参加者は誰一人として声を出す人もなく、文句も言わず、先を争うこともなく、整然と、素早く移動し始めました。まるで、長年訓練された隊列のようでした。どうしてそれほど協調がとれて、焦ることもなかったのでしょうか? 各地からやって来た、お互い顔もまったく知らない人ばかりです。30分も経たないうちに、1万人を超える人々がグラウンドに再び座り終えました。

 その時、電力当局から同市は半日停電すると告げられました。聞くところによると、数キロ離れた所では電気が通じているということでした。このことがまた、滄州輔導站の同修を忙しくさせました。同修らはただちにケーブルを配線して、電気の問題を解決することにしました。ケーブルを買いに行く人、電柱替わりのものを買ってきて埋める人な、各自が素早く動き出しました。

 人々は地面に座り、ある人は学法をし、またある人は修煉体験を交流していました。その時、誰が持ってきたのか分かりませんが、台の上に置かれた大きなテープ・レコーダーから煉功の曲が流れてきました。台の近くにいた人々がすぐに立ち上がって、動功を始めました。遠くて音楽が聞こえにくい人は第二式の法輪椿法・抱輪を始めました。第二式の功法は動作が簡単で、音楽がなくても煉ることができるからです。

 会場全体が静かになりました。そばで世間話をしていたバスの運転手たちも感動し「法輪功の人たちは本当に素晴らしい。もし一般の人々なら、すでに混乱していたはずだ」と言い、またある運転手は「これほど多くの人が、管理する人もいないのに、各自が自己管理して、会場はとても静かです」と言いました。そして、運転手たちも大法弟子と一緒に煉功を始めました。約30分後に電気が通じるようになり、早々に交流会が始まりました。この交流会を始めることができたのは、組織者である滄州輔導站の同修たちの大変なご苦労のお陰なのです!

 交流会は午後2時ごろ終わりました。体育学校の関係者が私たちに試練を与えてくれたのか、あるいは彼らに言い表せない苦衷があったのかもしれません。解散する時、ただ一つだけ、1メートル幅の小さな門が開かれました。この1万人を超える人々は、会場を変える時と同様に、静かに、先を争うことなく、人を押すこともなく、慌てず、整然と静かに外へ出て行きました。

 最後に大会開催側の担当者が、体育学校の責任者に会場の状況を確認するように依頼しました。すると学校の責任者は「見る必要はありませんよ。あなたたちの今日の振る舞いを見て、私たちは安心しています。解散して退場することだけを見ても、これほど多くの人がこれほど小さなドアから何事もなく退場しました。一般の団体なら、何か不都合があったはずです。なぜなら、すでに遅くなっていて、誰もがお腹が空いたり、早く家に帰りたいと思ったりしているはずなのに、あなたたちはこれほど素晴らしく行動できました」と感心して言いました。

 実際に会場はとてもきれいに片づけられ、煉瓦のかけら、紙くず一つもなかったのです。実際、これはそれほど理解し難いことではありません。なぜなら、この人たちは大法弟子であり「真・善・忍」の原則に基づいて、他人のことを常に配慮しているからです。 実は、この1万人以上の人々は、学法と煉功を始めてからまだ数カ月しか経っておらず、半年にも満たないのです。

 当時の交流会のことを思い出す度に、私は心の中で、知らず知らずの内に「法輪大法は素晴らしい!」 「師父は素晴らしい!」と言っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/12/257271.html)
 
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