明慧法会|交通事故に遭った夫が奇跡の生還
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 【明慧日本2013年1月23日】夫は2000年8月31日午後、娘、私と孫を道路の向こう側のバス停に見送ったあと、道路を渡って帰ろうとする時に車にはねられ、病院に搬送されました。

 私は孫を親戚の家に送って落ち着かせてから病院に駆けつけました。運転手は若い男性で、当時急いでいたため夫をはねました。彼の社長は台湾の商人で、社長は梁さんという助手にこの件の処理を委ねました。夫は両目を閉じて、頭にも体にもガーゼがいっぱい巻いてあり、酸素吸入と点滴をしていました。梁さんは私を廊下に呼び出して、「お姉さん、申し訳ありません。旦那さんをはねた我が社の運転手は必ず厳しく刑罰を受けます。一方、旦那さんは年を取った『古い機械』のように、ばらばらになり回復不能です」と話しました。医者も「もう駄目だ」と言いに来ました。梁さんの、「こうしましょう、我が社にどれくらいの賠償金がほしいか、教えてください」という言葉を聞いた時、頭が真っ白だった私は突然「私は修煉者です!」とひらめきました。私は梁さんに「お金は要りません。夫は助かると思います」と言いました。梁さんは私の顔をじっと見つめて、頭を振りながら「社長自ら言い出したのに、あなたはこんなにひかえめで、金額を言わないなんて、本当に……」と呟きました。

 病院でぼうっと一晩座る中で、いろいろなことを思い出しました。私は1996年10月に大法を得ました。法を得た後の不思議な出来事は別の文章に書きました。私は師父がおっしゃったことを少しも疑ったことがありません。私は毎日朝晩の集団煉功学法に参加して、よく各種の交流会にも参加しました。年配の学習者の便宜を図る為、私は近くに煉功点を設立し多くの人が来ていました。定年退職した夫は、多病だった私がこんなに健康になったのを見て、自分も修煉に入りました。2人はよく互いに注意して、共に向上していました。

 1999年7月に迫害が始まってから、私は北京へ陳情に行ったため、不法に拘禁された時期があります。苦難に満ちた歳月に、家族は私に最大の支持と慰めをくれました。家宅捜索の時に家族は大法の書籍と資料を守ってくれました。娘は大法の書籍を自分のオフィスに隠し、夫は誰に対しても「法輪功は間違っていません、本に書いてあることは全部良い内容で、師父は良い人です」と言いました。我が家ではテレビを全然見ません、嘘を聞きたくないからです! 私が拘禁されていた間、家族はできるだけ面会に来てくれました。出所の日に私を迎えるため、夫はわざわざ三輪車をレンタルしました。三輪車が我々2人を乗せて知り合いに会った時、夫は堂々と大声で挨拶をしました。

 一晩中、私は絶えず師父の言葉を考えていました。「借りがあれば、返さなければいけないのですから、修煉の途中で危険に出会うことはあります。しかし、そういうことが起こった時でも、あなたを恐怖に陥れ、あるいは本当の危険に遭遇させるようなことはありません」、「このような例は数え切れないほど多いのですが、いずれも危険に至るようなことはありません。誰でもこんなことに遭遇するとは限りませんが、一部の者は遭遇することがありえます。遭遇しても、しなくても、いかなる危険もないことをわたしが保証します」(『転法輪』)。私は何回も涙を流して心の中で「師父! 私は必ず師父のお教えの通りに実行します」と言いました。

 翌朝、医者が病室を巡回した後に私を事務室に呼び出して、フィルムを見せながら診察結果を教えてくれました。夫の脳部に外傷があり手術が必要で、数本の肋骨が折れ、右足と右手が骨折、骨盤は粉砕骨折、4節の脊椎は圧迫で重なり合った、などでした。医者の言葉では、60歳を超えた夫は生還できたとしても、脳麻痺でベッドで余生を送るになるということでした。

 梁さんは「お姉さん、私が昨日言ったことをもう一度考えてください。条件を言ってください、早くこの件をきっちり処理しましょう」と言いましたが、私は微笑んで彼と医者に「ご安心ください、夫はきっと無事です。良い人には良い報いがあるではありませんか」と答えると、医者はぼうっと私を見て、梁さんは再び頭を横に振りました。

 1週後、私は特別看護を断わりました。医者と看護師も私が提案した「静養回復」に賛成してくれました。私は夫の病室にテレビ、テープ・レコーダー、テープ、大法書籍などを搬入して、花園に通じる小窓以外の扉と窓を全部閉め、この病室は慈悲なる佛光を浴びる修煉専用の小部屋になりました。同修たちも多く助けてくれて、私たちはここで学法して交流し、病院のいたる所に真相を伝えて、真相資料も満遍なく各診療室と病棟に配りました。夫は毎日学法して、師父の説法ビデオを見て、少し動けるようになったら煉功と座禅を試みて、とても早く回復していきました。

 4カ月後、私たちは退院を申し込みました。夫は骨折した右手の人差し指が少しくねくねしている以外、すべての部位と外観は正常です。その上、以前の腰痛、腰椎ヘルニア、足の痛みも完全に治りました。体はまっすぐになって元気いっぱいです。手術も牽引も、接骨矯正もリハビリもしていないのに、ここまで全快した患者を見て、医者は「奇跡」というしかないと言い、「こんなに長期間寝たきりになって、床擦れの一つも出ていない人を私ははじめて見ました」と驚嘆しました。

 私は機会を探して、その医者にこう教えました。私たちは法輪功を修煉して、しかも100パーセント師父の言われたことを信じたためにこの奇跡が現れたのです。テレビの報道、「1400例」(注:中共が捏造した、法輪功を学んだために死亡した人のリスト)はすべてでっち上げで、民衆の恨みを扇動するために作られた番組です。江沢民は法輪功を消滅させようとして気が狂ったかのようで、くれぐれも彼の言うことを信じてはいけませんと言うと、医者は、奇跡が目の前にあるから、誰の言葉を信じるべきか、当然私は分かっていると言いました。

 最も驚いたのは梁さんです。彼が支払いをする時、小額の検査費、病床代金などしかなくて、高額な手術費、薬代がありませんでした。真相が分かった時、彼は納得しました。『転法輪』に「運転手がスピード違反をしたことは確かです。しかし、彼もわざと人にぶつけたわけではありません。彼は不注意で事故を起してしまったのではありませんか」と書かれています。夫が無事に回復したのは師父の衆生に対する慈悲なのだと、私は彼に教えて、社長にも伝えてほしいと頼みました。

 退院して間もなく、中国の旧正月なので、遠いところで働いて3年も家に帰っていない息子に私は電話をかけて、お父さんが重大な交通事故に遭ったので、今年こそ旧正月に家に帰ってみないかと言いました。息子は新年や節句に限ってとても忙しくなるのですが、今回は父親を心配して、慣例を破って帰ってきました。夫が息子を駅まで迎えて、いろいろな荷物を持って家に帰った時、息子は私に「お母さん、旧正月に私を家に帰らせたい気持ちは理解できますが、それにしてもお父さんが重大な交通事故に遭ったなんて嘘をついてはいけませんよ、お父さんはこんなに元気だもの」と言いました。

 私は「お母さんは真・善・忍を修煉する人なので嘘はつきません」と言って、夫の入院関連の資料が全部入っているかばんを息子に渡して、「詳しく自分で見てね」と言いました。息子はすべての記録、資料と写真などを見終わって、「どう見ても、お父さんは以前よりも若くて元気ですよ」と言いました。私は息子に師父が夫を、いいえ、我々家族全員を救ったのだと教えました。私は涙を流して、師父の洪大なご恩を詳しく息子に教えました。そうですね、世の中の言葉を尽くしても、偉大なる師父に対する称賛と感謝を語ることができず、最後まで修煉をしっかり続ける私たちの決心をも語れませんでした。

 大法弟子として、初心を忘れずに精進して、しっかり三つのことを行って、師を助けて法を正す使命を果たすしかありません。再度ひざまずいて師父のご恩に感謝します!

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/8/264355.html)
 
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