明慧法会|青年大法弟子の修煉物語(一)
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文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本201316】師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 一、法を得る

 1995年、4歳の私は両親と一緒に修煉を始めました。今思い出すと、大法弟子の家に生まれて自分は本当に幸運でした。幼い時から浩大なる佛恩と、「真・善・忍」の光を浴びて成長し、私のどの細胞も「真・善・忍」に同化され、本当に幸せです。

 法を得てから、私と両親は大法の貴重さが分かり、毎日時間を切り詰めて学法しました。学法する時、私はいつも両足を組んで腰と首を真っ直ぐにし、正しい姿勢を保って、一講が終わるまで足を下ろしませんでしたが、足は全然痛くありませんでした。集団学法の日に私と両親は一度も遅刻したことがなく、ご飯を食べる時間がなければ饅頭を手にしてかじりながら、定刻に同修の家に行きました。あの当時、私は静かに母のひざに座って、母の読み違えたところを教えてあげました。まだ字も読めない4歳の子供に読み違えたところが分かるなんてと、同修たちは驚きました。普段、時間があれば私はいつも大法を暗唱しており、特に『洪吟』と師父の経文が好きで、私の脳には大法の内容がいっぱい入っています。集団煉功ができる時期(19997.20以前)は懐かしい歳月で、毎朝親に起こされなくても、母が起きると私もすぐ目覚めて起き、母と一緒に煉功点に行き、煉功をしたら、とても気持ちがよくなりました。

 修煉を通じて、家族3人の体も心も浄化され、病に別れを告げて、悩み事もなくなりました。3人は着実に修煉して高まり、大法に同化しました。

 二、心性を修める

 修煉してから両親は大法の法理で自分の言動を律して、何かあればまず内に向けて探して、相手の欠点寛容になりました。幼い私の身に起きたいくつかの出来事は、両親の心性を試していました。

 ある日、私が幼稚園の滑り台で遊んでいた時、突然滑り台の最も高いところから落ちて、頭に大きな穴が開いて、とめどなく血が出て、首や服に血が流れました。幼稚園の園長はただ首に垂れた血を拭くだけで、傷口の手当をしてくれませんでした。母が私を迎えに来た時、園児たちは母に情況を教えたのですが、母は冷静で園長と口論をせずに私を連れて帰りました。傷が治った後、傷口のところに大きなこぶが出来ましたが、修煉してからこぶはいつの間にか無くなりました。

 ある日、私が幼稚園の塀に登ろうとした時、ある園児が手伝おうとして私の体を押したので、私の顔に擦り傷がいっぱいできました。母は発見した後、幼稚園の先生にもその子にも文句を言いませんでした。薬も塗りませんでしたが、治ってから傷跡は少しも残りませんでした。

 またある日、私が小学一年生の時、母の同僚の子供たちが私を追いかけて長い棒で私の目を突き、ちょうど目玉を突いたので、とても危険だったです。母の同僚はとても心配して目薬を買ってくれましたが、母は師父と大法を信じて、平静に「大丈夫です」と言いました。目薬を塗らなくても、私の赤く腫れた目はとても早く治りました。修煉をしていなかったら、母はそれほど冷静に対応できなかったと思います。

 ある日の夜中に私が高熱を出した時、両親は私を背負って病院に駆けつけました。医者はすぐ点滴を打ちましたが、翌日の午後になっても熱が下がりませんでした。医者は不思議に思い、薬を増量するしかないと言いました。薬を増量したら子供は中毒になると分かっている母は、私を背負って家に帰りました。結局、点滴をしなくなったら私の熱は下がりました。師父が私を加護してくださったのでした。

 またある日の夜中に私は高熱を出しました。前回の経験があるため、両親は私を病院に送ろうと考えず、私の全身にエタノールを塗る方法で熱を下げようとしました。私は断ったのですが、彼らは断固として私をベッドに押さえて塗りました。しかし彼らはすぐ止めました。私の肩に2つの法輪が見えたからです。両親は私が大法を聞いても分からないただの子供であり、修煉者として見ていませんでしたが、師父は私を小弟子として扱ってくださったのです。

 (続く)

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/10/264881.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/12/10/136589.html)
 
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