明慧法会|青年大法弟子の修煉物語(二)
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文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2013年1月13日】

 三、大法を実証する

 大法から受益した私の家族は、「4.25事件」で天津の警官が大法弟子を捕まえたと聞いて、当地の同修と一緒に北京に陳情に行こうと相談しました。私は母に「お母さん、私と一緒に大法を実証しに行きましょう」と言いました。母は共産党の邪悪さをよく知っています。母方の祖父は文化大革命の時に「右派」とされたため、全家族が農村に追放されて、多くの苦を嘗めました。母は自分は生死を放下して陳情に行くことを決心しましたが、私に対する情を放下できず、私を家に残して一人で北京に行きました。

 7.20に邪悪な迫害が始まってから、母は北京に行って大法を実証しようとしましたが、父方のお爺さんは母の安全のために母を監視して、どこにも行かせませんでした。お爺さんは修煉しておらず、修煉者の考えが分からないので、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という修煉者の境地が分かっていません。私は母に「お母さん、お腹がすいたので、饅頭を買ってきてくださいよ」と言って、意味深に母に瞬きをしました。母はすぐ意味を理解して、それを理由に家を出ることができました。そして大法を実証するために北京に行きました。

 母は相次いで5回も不法に洗脳班に閉じ込められたことがあります。家には私一人しかいない時もあったので、仕方なく親戚の家にしばらく身を寄せることもあったのですが、私は恐れたことがありません。私の心の中には大法があり、偉大なる師父はずっとそばで私を加護してくださったので、恐れるものは何もありませんでした! ずっと学法をしっかり重視してきたため、残酷な迫害の中でも、8歳の私は何も恐れずに、依然として両親と一緒にしっかり修煉を続けました。

 四、智慧の剣で執着を切り、頭に大法だけを入れる

 今の私は大学生になり、世の中の誘惑が多すぎて、幼い時の純真さを保つことはなかなか難しいのです。数日間、朝ご飯の後に家族3人が一緒に『転法輪』を学ぼうとする時、突然、私は腹痛が起こり、我慢して学法をしましたが、最後に全身冷や汗をかきました。長時間発正念をして、12時の正念が終わってからやっと痛みが収まりました。

 これは邪悪の妨害だとわかっていますが、自分のどこに問題があるか分かりませんでした。午後、母と『中国共産党についての九つの論評』を聞いた時、頭の中に絶えず常人のものが湧いてきて、「問題はここにある」と突然気づきました。私は母に「午前の腹痛の原因が分かりました。昨夜、暇な私は常人の小説を読んだのです。小説に良くない内容がありました」と話しました。

 私は幼い時から大法を得て、大法の佛光を浴びて成長したとも言えますが、ずっと読書という趣味を取り除いておらず、その上読書のスピードが比較的速いため、常人の各種の文章、小説、ないし映画にとても執着していました。先日読んだ小説の中に漢方医学についての内容があり、ちょうど自分の執着に合ったので、長時間読みました。小説の後半に出てきた気功で病気を治すという内容を、私は心の中で間違っていると分かっているのですが、執着心と閲読の慣性に引っ張られて、やはり最後まで読みました。

 今振り返って少しぞっとしました。今の漢方医学や気功で病気を治す内容の背後に、良くない信息が多く存在して、偽気功の書籍のように憑き物に支配されて書かれた可能性もあるので、中にはたくさんの良くないものを帯びています。読んで、「ここの内容が良い」と思うと深刻な結果を招きかねません。更に、「良い」と思わなくても、読んだだけで思想に対する汚染になります。なんでもかんでも頭の中に入れてしまうからです!

 母は私の反省を聞いた後、「あなたは今、専門科目以外のいかなる常人の書籍も読むべきではありません。時間があれば大法を学んでください」と話しました。

 私はとても恥ずかしくなりました。常人の各種の書籍や映画を見ることは、ずっと前からすべきではありませんでした。「読みたい」心に駆使されて読んだら、執着心を拡大するだけです。ましてや常人の各種の観念と業力を頭に入れてしまい、良くない信息を招くかもしれません!

 同様に、常人の書籍だけでなく、常人の映画、テレビ、歌、ゲームなど、すべて見ないようにすべきだと思います。以前、私はアメリカのある連続ドラマがとても好きで、男性のヒロインは現実の中で同性愛者であったことを、その後に知りました。それでは、彼が帯びている不正のものは、彼の演技と一緒に私の頭に入ってしまうではありませんか? ですから、今の時間は本当にとても貴重で、徹底的に常人の執着を放下して、自分の思想を清浄にして、修煉の中で勇猛精進するように青年弟子たちに忠告したいのです。師父は『精進要旨』「法の中に溶け込む」で「人間はまるで一つの容器のようなもので、何かを入れればそれになるのです。人が目や耳を通して見たり聞いたりしているものは、みな、文芸作品の中の暴力、色情、互いに腹を探って排斥し合うことや現実社会での利益の争い、拝金主義とその他の魔性の現れ、等々です。頭に入れられているものはみなこのようなものであれば、その人の表れがどのようになっていようと、本当の悪い人なのです。人間の行為は考えによって支配されているので、頭の中がこのようなものでいっぱいになっている人は、どのようなことをするのでしょうか」と説かれました。

 修煉は厳粛なことで、執着によって修煉を台無しにするわけにはいきません!

 (続く)

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/10/264881.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/12/10/136589.html)
 
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