文/中国の大法弟子
【明慧日本2013年1月6日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
修煉の中で私がどのように共産党文化、および自分の根本的な執着から脱け出したかを、師父と皆さんに報告したいと思います。
一、師父の教えに従い、周囲に流されない
16歳の時、法輪功とは何かわからないまま、修煉を始めた母に勧められて、私も大法の修煉に入りました。法輪の図形を目にして、どこかで見たことのあるような気がしました。1995年に私の学校で4、5人が法輪功を宣伝した光景を思い出しました。私はとても興味を持ち、彼らに近づこうとしたら、その時代は放課後に学生は列を作って一緒に帰宅していたのですが、「見ないでください、どうせ封建的な迷信ですよ」と先生は私を止めました。私は黙って列に戻りました。今思い出すと、とても残念に思います。共産党文化の毒害で私は法輪功に接触するはじめての機会を見逃してしまいました。
『転法輪』を読んで、とても良い本だと思いました。初めて静功をするとき、私は母と同じように1時間続けました。学校に戻った私は『転法輪』を身の回りにおき、時間があれば少しずつ読みました。朝、他の人より30分早起きして座禅をする時、同じ部屋の学友たちはよく街に出てお金を出し合って美味しいものを食べていました。そのような習慣は良くなく、学生としてしっかり勉強すべきだと思う私は、彼女たちの集まりに参加したくありませんでした。そのため彼女たち9人とは疎遠になり、時には一緒に冷たい言葉を私に浴びせました。私は孤独で寂しい思いもしましたが、そのとき『転法輪』の中の言葉を思い出すのです。「一人の人間として、宇宙の真・善・忍の特性に順応できる人だけが本当に良い人で、この特性に背く人が、本当に悪い人です。職場で、あるいは社会で評判が悪くても本当に悪い人とは限らず、逆に評判が良くても、必ずしも本当に良い人とは限りません。一人の修煉者として、あなたがこの特性に同化すれば、得道した者となるのです。理はこんなにも簡単です」
師父の言われるとおりにすれば間違いないと思いました。私は彼女たちと争わず、いじめを受けても我慢して、誰かが助けを必要とする時、親切に手を差し伸ばしました。
彼女たちが寮にいない時、私は1人で煉功し、「普度」の音楽を聞き、時には図書館に行きます。毎回の試験の成績も全学年で2番目で、コンテストや弁論大会に参加していつも良い成績を取りました。責任感が強い私に、学校側はいろいろな雑用を委ねてきます。だんだんと学友たちの態度が変わって、私に感心するようになりました。クラスで班長を選出する時、私は98パーセントの投票を得ました。
二、脱党
法を得て1年も経たない1999年7.20に迫害が始まりました。村の大法弟子は私と母の2人しかいませんが、私と母は大法を疑ったことがありません。私は師父のために心配して焦り、「お母さん、もし国際警察が師父を見つけ出したらどうしましょう」と聞くと、母は「大丈夫です。たとえ彼らが師父とすれ違っても、きっと師父だと分からないはずですよ」と言いました。それを聞いて私は一安心しました。
瞬く間に私は大学に進学しました。大学で私の成績は学年1位で、学生会や団体で多くの職責を兼ねました。私は勉強が遅れている学生を助けるグループを作り、クラスメートや先輩、後輩たちに敬服されました。共産党に加入するようにと学校側に推薦された時、将来の出世のために私はうっかり同意してしまいました。しかし法輪大法が正しく共産党が不正であることを私はっきりと分かり、入党宣誓の時に私は「法輪大法が良い、私は大法弟子です」と言いました。
2005年、里帰りの時、師父の新経文『政治に参与しているのではない』を拝読しました。「実は世の人々が権力のため、この世の利益のために生きることは大きな間違いではありません。しかし、なぜどうしても人類を毒害する邪悪に仲間入りせずにいられないのでしょうか? 人間よ、目覚めましょう! もし皆さんの人間になる目的が失われてしまったら、それこそ最も恐ろしいことです。もし世の人々が本当に回帰の道を待ち望み、探しているのであれば、理性的になりましょう」を読んで、心を強く打たれました。そうですね、共産党は残酷な迫害を始めてから今まで数年も経ち、世間の人々どころか、大法弟子の私でさえ共産党を離れられずに、出世のために自ら共産党に入ったのです! 一体どれほどの中国人が生活のために、共産党政権の下で不本意な事をしているのでしょうか?!
共産党に加入したことを後悔して、私は大泣きしました。私は母に「私は師父に申し訳ないと思います。今、私たちは共産党とまったく違う陣営にいます。私は共産党に加入してわずか2カ月ですので、どうやって大学に脱党を言い出せば良いでしょうか? 卒業してからも、共産党の社会では将来の進路はどうなりますか?」と言うと、母は堅い決意で「私たちには師父がおられるので、何も心配いりません」と答えました。その時から、共産党に決して仲間入りをしないと私は決心して、それからずっと大法に合わないすべての事に黙々と抵抗してきました。最後に私はインターネットで本名で脱党声明をしました。
(続く)
(明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)