文/中国の大法弟子
【明慧日本2013年5月27日】先日荷物を整理していると、1998年10月16日付の父からの手紙が出てきました。それには「数日前、私は興降(義理の弟)に『轉法輪』を読むよう勧めました。彼は読み終わり、他の本も借りて読んでいます。きっとよかったのでしょう」という父の言葉があり、私は当時のことを懐かしく思い出しました。当時中国ではみんなが人から人へ大法を広げ、盛んに煉功していました。「大法は洪く伝わり、聞いた人はこれを尋ね、得た人はこれを喜び、修める人は日をもって多くなり、その数は計ることができません」(『精進要旨』「師を拝む」)と師父が言われたように、当時の思い出が色々と残っています。
法に出会った父が健康を取り戻す
父のことを話します。父が大法を広げるようになるとは思いもしませんでした。1998年の初め、父は突然鼻から血が出て止まらなくなり、入院することになりました。数日経っても治療効果が出ず、逆に片方の顔が凹み、歪んでしまいました。私は親戚のつてで父を私が住む南昌の九四病院に転院させ治療を受けることにしました。その時の私は修煉して2年になっていましたので、父の治療期間を利用して、法輪功を勧めたいと思いました。
私は見舞いの時間を利用して、大法の素晴らしさを話しました。病室には父を含め3人いました。1人は軍人です。もう1人は市外から来た青年で、病状はかなり重く、妻が身の回りの世話をしていました。私は彼らに煉功場での話をしました。多くの方が病院で治らなかった病が、法輪功を始めてからだんだんと良くなり、治りました。彼らにも法輪功を習い、健康を取り戻して欲しいと思いました。
実際にあった二つの話
私の会社に煉功場がありました。多い時には数百人、少ない時には30人ぐらいで煉功をしていました。多くの人は何かしら病気を持っていて、煉功してよくなりました。一つ目の話は、50歳過ぎの女性が屋根から落ちて、尾骶骨を骨折しました。尾骨神経が圧迫され、下の世話も人に頼り、数カ月寝たきり状態になりました。いろんな病院で治療を受けたのですが、治療法がないと言われました。医師が家族に「治療法はありません。国の偉い方の息子さんも同じ状况で、あの通り車椅子に乗っています。奥さんはもう立てないでしょう」と話しました。もう行くあてがない時に、親戚の紹介で煉功場に来ました。ご主人が自転車を押しながら、彼女を煉功場に連れて来て、動作を習いました。ご主人の助けを借りながら壁に寄りかって、彼女は煉功しました。とても出来ていると思えませんでしたが、数カ月経ってから、彼女は松葉杖を使って歩けるようになりました。更にその後自分で歩いて煉功場に来ました。自分の事は自分で出来るようになり、家事も出来るようになりました。彼女の回復は奇跡と言えると思います。家族全員が師父の慈悲なる済度に感謝して、ご主人も奥さんと共に修煉を始めました。
二つ目の話は、60歳の女性が脳梗塞で後遺症が残り、歩くことができず自分の身の回りの事が出来ませんでした。湖南省に住んでいましたが、娘さんが面倒を見るため南昌に連れて来ました。娘夫婦が毎朝煉功場に連れて来て煉功をしていました。数カ月しない内に自分で歩いて煉功場に来ました。しかも、自分の事は自分で出来るようになり、家族のみなが喜んで、師父と大法に心から感謝しました。そして、半年後湖南省に戻り、煉功場を見つけ修煉を続けています。
病院で父達に健康を取り戻した例を話すと同時に、『轉法輪』も紹介して読んでもらいました。彼らに法輪功は他の功法と違い、師父が私達を本当に高い次元へ導びかれることを話し 『轉法輪』を読む大切さを話し、宇宙の特性の真、善、忍に従い自分を修めなければならないと話しました。
みんなが『轉法輪』を読み終えてから、煉功をしたいと言いました。私は日曜日を利用して、九四病院で功法の動作を教えました。市外から来た青年は座ることが出来ず、妻が先に覚えてから、後に妻から教わることになりました。父もみんなの影響を受けて、がんばって覚えました、特に軍人さんはひときわ真面目にやりました。ある時、動作に間違いはないか、見て欲しいと家に来た事もあります。田舎に帰る時に両親にも煉功を教えると話していました。病院を退院するまで毎朝、軍人が真っ先に音楽を付けて、煉功をしていたと父から聞きました。父は家に帰ってから1人になり、煉功を続けられませんでしたが、『轉法輪』『法輪大法義解』『シドニー法会での講法』の本を全部読みました。病気も完治しました。当時70歳を越えていた父は畑仕事もし、重いものを担ぎ階段も登ることができました。本を読む時は今までかけていたメガネも必要なくなりました。本人も奇跡だと言っています。父は身をもって大法の素晴らしさを知ったので、義理の弟にも『轉法輪』を読むように勧めたのだと思います。
同じ病室の青年の妻の話
父と同じ病室にいた市外から来た青年の妻の話をします。1999年の初め、青年の妻から突然電話がありました。彼女は嬉しいお知らせがあるといい、「私は主人と結婚して10年になりますが、妊娠をしたことがなく、主人が九四病院に入院をしている時に私は法輪功を習い、主人の病気も治り、退院してまもなく妊娠しているのがわかりました。いつか、必ず家へ遊びに来てください」と話してくれました。私は嬉しさと驚きで、お祝いをしたくて同修と、ある日曜日に彼女の家に向かいました。大法の音楽「普度」「済世」を聴きながら、2時間後に彼女の家に着きました。彼女は今にも生まれそうな大きなお腹で、私達を迎えてくれました。彼女は修煉してからの変化、大法がくれた幸せ、感激などいろいろと交流しました。「今後も修煉を続けます。師父に感謝します」と話しました。
同じ病室の軍人のその後
九四病院で同じ病室にいた軍人は、退院後軍隊に戻り、軍隊で夜と全体活動のない時間を利用して、法輪功を続けていると話していました。『轉法輪』を中心に本を読み、自分の心性を修めていると話しました。里帰りを利用して、両親にも法輪功を教え、両親も続けていると話しました。私達は2000年まで連絡を取り合っていました、彼は私が迫害を受けるのを心配していました。私は彼の安全のために、連絡を取らない方がよいと話しました。それから私達の連絡が途切れました。彼が今でも修煉を続けていることを信じたいと思います。あの頃のみんなは、本当に師父が説法で話されたようでした。「縁あって悟ることのできる人がいれば、相継いでやって来て、道に入り法を得ます。 正邪を識別して、真の経を得て、その身を軽くし、その智慧を豊かにし、その心を充たして、法船に乗って悠々としています」(『精進要旨』「悟」)
私達は危機に晒されましたが、師父のご加護の下で、今日まで歩んで来ることが出来ました。同修が話したように「師父のご加護がなければ、私達に師を助け正法修煉の栄光などはありません」
あの頃は人から人へ、親戚から親戚へと、心から心へと、大法が伝えられていました。あの頃の修煉は自分を励ます貴重な思い出となりました。今は修煉の最後の段階に入り、遅れを取らないよう師についていきます。正法が人間界に来る日まで、師父と神韻が中国に戻るのを心待ちにして、もっと多くの衆生を済度します。
師父に感謝致します! 師父に会ったことはありませんが、お会いしたいです。合掌