恐れる心を克服し 修煉に厳粛に対応する
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文/米国の大法弟子

 【明慧日本2015年1月21日】尊敬する師父、こんにちは!   同修のみなさん、こんにちは!

 私は中国からきました。1996年5月、当時3歳だった私は病毒性脳炎を患って、病院で治療を受けましたが、好転しませんでした。しかし、師父の説法録音を聞き、一睡したら、私の病気の症状がなくなりました。そして、私と家族はみな法輪功を修煉しはじめました。

 願いがあれば 師父は按排してくださる

 2011年、私は米国の大学に入学しました。出国の前、家族は何度も私に、必ず現地の大法弟子と連絡をとり、三つのことをしっかり行い、法を正す進展についていくように言い聞かせました。毎回家族に電話をすると、彼らは私に、必ず多く法を学び、煉功し、人を救うようにと告げました。しかし、はじめて米国にきた私は環境もまだよくわからず、恐れる心がとても大きかったのです。いま考えてみると、当時、師父と大法に対して私はそれほど深く信じていませんでした。当時、同じ部屋にいた人も中国から米国にきたばかりの留学生でした。その人に見られないように、私はあまり煉功もせず、学法もとても少なかったのです。毎日ただ携帯で師父の説法録音を聞くだけで、新しい経文は更にあまり読んでおらず、少しずつ法から離れていきました。当時、私はネット上で現地の煉功場所を調べましたが、何回調べても見当たりませんでした。現地の連絡者の電話番号は見つけましたが、ずっと電話をしませんでした。もしここで中国と同じように電話が盗聴されたらどうしよう、とずっと心配していました。

 2012年、私は米国のほかの大学へ転校しました。おそらく私が心の中で、ずっと現地の煉功場所に参加したい一念があったからだと思いますが、師父は同修がいる大学を私に按排してくださいました。この機会に直面しても、私は再度躊躇しました。私の心はずっと非常に矛盾していました。公に出たら、国内の家族が迫害されることを心配し、表に出なければ大法弟子として、自分の使命である衆生を救い済度することができないと考えていました。2013年末、家族は私がこれほどよい環境でも、師父が何度も延長してくださった時間を大事にして、衆生を救い済度していないと知り、とても心を痛めていました。家族に励まされて、私はやっと勇気を出して、現地の大法弟子に連絡をとりました。

 恐れる心を突破する

 勇気を出して、表に出ましたが、内心はやはり恐れる心がありました。ある晩、私は無意識のうちに『永遠の電波』というビデオファイルを開きました。長春の大法弟子が2002年に行ったテレビ信号への差し込みに関するビデオでした。このことに参加した修煉者のなかで、少なくとも8人が拷問されて亡くなりました。ビデオで最も印象深かったのは最後の一言でした。「2012年3月5日は長春での差し込み放送事件10周年です。10年前の驚天動地の壮挙を体験した修煉者に私達はただ一言だけ聞きたいことがありました。『あなたたちはどうしてそのようにしましたか』と。彼らは『あなたのためにやってきました』と答えました」。彼らの物語を見てから、私は彼らの無私の精神に感動しました。中国の民衆に法輪功の真相を知ってもらうために、彼らは自分の命を惜しまなかったのです。あまりにも慈悲で、偉大でした。彼らに比べると私はあまりにもかけ離れていました。私は涙が止まりませんでした。

 師父は「皆さんが自責することを私は好きではありません。それは何の役にも立ちません。私はやはり先ほど言った言葉を言いますが、つまり、転んだら倒れたままにせず、早く起きなさい」[1]と説かれました。自分の怖がる心と安逸の心を認識できた後、私は今後必ず勇猛邁進して、無駄にした時間を取り戻そうと決心しました。そして、私は毎週水曜日と日曜日に現地の大法弟子の煉功と学法に参加し、毎週火曜日に学校の学生活動センターで学生らに法輪功のチラシを配布し、真相を伝え、積極的に現地での法を実証する活動に参加しました。

 私の通っていた大学には中国からきた留学生がたくさんいて、彼らの大多数は大学、或いは大学院に通っていました。彼らは幼い頃から中国国内で邪悪な嘘の宣伝に誤導され、大法について正しく理解していませんでした。彼らは必ず国外で救い済度されるべきで、私達は必ず救い済度しなければならないと悟りました。私は同級生に真相を伝えてみました。ある同級生は私が少し説明すると喜んで、「私は法輪大法は素晴らしいと知っているよ。一度韓国に旅行に行った際、現地の大法弟子が説明してくれた」と言いました。そして、彼女は熱心に彼女の同級生に真相を伝えました。彼女らは私にたくさん質問してきました。私が一つひとつ回答すると、彼女は驚き、「なるほど」と言いました。また、一度署名を集めていた時、1人の同級生に法輪大法が中国国内で受けている迫害、生きたまま臓器を摘出されている事実を説明しました。説明しながら、私は涙が出てきました。その同級生は非常に驚き、このようなことがいま発生しているとは想像していなかったと言いながら、「私は署名します」と言いました。

 この2件を通じて私は悟りました。師父は私が人を救うことを励ましてくださっています。実際私たちはただ足を運んだり、口を動かしたりしたりしているだけで、本当に人を救っておられるのは師父であり、私達はただ師父のお話を聞き、私達が行うべきことをしっかり行えばよいということでした。

 14年5月13日、私は幸いにもニューヨーク法会に参加しました。私ははじめて師父にお会いし、説法をお聞きし、自分が非常に幸運だと感じました。中国国内で、多くの同修は師父に会ったことがなく、法会に参加したことがありません。しかし、みな非常に精進しています。私は自分に精進しない理由はないと感じました。師父の前で、私はひそかに決心しました。この全く新しい環境の中で、私は必ず三つのことをしっかり行い、衆生を救い済度し、師父の慈悲なる救い済度に背かず、衆生の希望に背かず、自分の誓約を果たし、師父について家に帰ろうと決心しました。

 5月14日、私は法会に参加したすべての大法弟子と一緒にパレードに参加しました。パレードの隊列のなかで歩いていた時、私は非常に光栄に感じ、全世界のすべての人に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と知らせ、全世界の良知ある人に中共の邪悪さをはっきりと認識してもらい、私達に手伝って今回の極悪非道な迫害を直ちに停止させたいと思いました。

 修煉は厳粛なこと

 米国に来てから、恐れる心、安逸の心、及び各種の執着心のため、私は法からますます遠ざかって、三つのことをあまりしませんでした。試練に遭遇した時、辛い思いをした時、いつも内に向けて探すことをせず、人のために考えることをせず、常に自分のために理由を探していました。利益の損失を被った時、悲しみに耐えられませんでした。完全に「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[2]を忘れていました。現在私が悟ったのは、修煉は自分を修めることであり、相手の良くないところが見えた時、実は相手を一枚の鏡として、自分がそうではないかと確認し、更に、このことがどうして私に見えたのか、私に修めるべき要素があるのではないかと確認すべきでした。

 私にとって、最も著しいことは成績に対する執着でした。成績がよければ、よい仕事が見つかり、よい生活を送れると思い、出国時の願望を完全に忘れていて、これが強烈な執着心であることを完全に認識していませんでした。家族は何回も私に「勉強がよくできれば、よい仕事が見つかる」というのは党文化の注ぎ込んだ思想であると指摘してくれました。師父は『轉法輪』の中で、「佛教では因果応報を唱えていますが、段取りは業力に応じてなされていますから、あなたにいくら力量があっても、徳が無ければ、一生何も得られないかも知れません。ある人は何をやっても駄目でも、徳が多いので、高官になり、金持ちになります」、「人間は、自分が追求しているものはすべて良いものだ、と思い込みがちです。しかし、高次元から見れば、それらはみな常人における ささやかな既得権益を満足させるためのものに過ぎません。宗教では、あなたがどんなに金持ちになっても、どれほど高い地位の官職に就いても、たかが数十年のものだと言っています」と説かれました。

 師父は説法の中で、何回も「修煉は厳粛なことであり」(『精進要旨』「明示」)と提言されましたが、私はずっとどういう意味かよく理解できていませんでした。最近、『世界法輪大法デーの説法』のなかで、師父は再びこの問題を強調されました。「最も困難な時期さえ皆さんは乗り越えました。皆さんに教えますが、早期の大法弟子、歴史上私と縁を結んだことのある弟子、または師父に付いてきた大法弟子、どの人も常人社会で何かをすれば、みな億万長者になり、この社会の有名人、階級の高い人になります。皆さんは今生、大法弟子になり、これらのことをすべて放棄しました。金持ちになりたければ、とっくになったのですが、このちっぽけな利益のために自らの生命の宿願を台無しにしないでください」と。そうです、今生幸いに大法弟子になったことはいかに幸運なことでしょうか。大法弟子になるために、私達はこれらをすべて放棄したのに、どうして現在また執着するのでしょうか? 私は着実に大法弟子が行うべきことをしっかり行い、師父のお話を聞き、師父の按排された道を歩むべきでした。

 この交流文章を書くことを通じて、以前自分では放下できたと思っていた執着心がまだ放下できてないことに気づきました。良くない執着心は見つけたら、必ず取り除きます。

 私に大法の恩恵を与えてくださり、法を正す時期の大法弟子になるようにしてくださった師父に感謝いたします。私が躊躇した時、私を励まし、気付かせて、交流してくれた同修に感謝します。表に出たばかりの私を支持し、信じてくれた現地の同修に感謝します。

 師父は私達のためにすでにたくさん耐えられました。更に精進してこそ、師父の慈悲なる救い済度に背かないようにできると思います。

 足りない部分については、同修の慈悲なる指摘をお願いします。合掌。

 注:

 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (二〇一四年米国中部法会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/5/295581.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/8/8/2421.html)
 
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