理智をもって人を救い済度する
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 【明慧日本2015年4月2日】昨年は邪悪が大量に消滅され、党関係者が大量に悪い報いを受けた1年でした。しかし、法を正す全体的な状況は依然として厳しく、当局に迫害され、逮捕された大法弟子は前年を超えています。その原因は多岐にわたりますが、一部の同修の理智の欠如がその原因の一つではないでしょうか。

 例えば、ある大法弟子は真相を伝える時、くどくど言ったり、高いことを話したり、挙げた例もかなり偏ったり、世間の人はとても理解することができず、信じることもできません。

 ある大法弟子はバスの中で、大声で大法弟子の歌を歌い、運転手に注意されても聞き入れず、歌い続け、結局、運転手に派出所に送られる羽目になりました。

 ある同修は大法の資料を貼る時、前に立っている人をぐっと押し退けて、「パン」と貼り付けました。あいにく、その人は私服の警官だったため、同修は留置場に送られてしまいました。警官は「彼女のことを見なかったことにしたかったのに、彼女は自らかかって来たから」と言いました。

 また、ある同修は交通規則を守らず、自転車で道路を渡る時、赤信号を見ても、「誰も大法弟子を妨げてはならない」と言って、赤信号を無視して突進しました。

 このようなことは、一つどころではなく沢山あります。

 大法弟子が世間の人々に、過激で、極端で、とても理智に欠けている印象を与えてしまえば、どうして人を救うことができるでしょうか?

 大法弟子は人を救う重大な使命を担っています。その責任の重大さと難しさのため、私達は特に細心の注意を払って行わなければなりません。世間の人の理解力、年齢、性別、身分、職業、環境などを考慮して真相を伝え、そうして、初めて人を救うことができるのではないでしょうか。このようにするのは、決してずる賢いわけではありません。それは善の振舞いです。相手の立場に立って物事を考えることは、相手を救うためで、大法弟子の慈悲心の表れです。人々に三退を勧め、多くの人を助けた同修は皆このように行っています。

 例えば、小学1年生に1+1=2を話せば、相手は理解でき、中学生にはX+Y=Zを話せば、彼女は頷き、大学生には微分、積分、特性関数を話せば、彼は理解するでしょう。しかし、小学生にどうしても微分や積分、特性関数などを話したくて、しかも、それが彼のためだと勘違いして、さらに、彼に理解してもらおうとすれば、それは大間違いです。効果が良いはずはありません。

 一部の同修は世間の人々に真相を伝える時、とても高い話をしており、あるいは、日常生活の振る舞いが極端過ぎて、甚だしきに至っては何も顧みないで、自分が言いたい放題を言い、しかも、うぬぼれています。それは自己中心的て、理智に欠けているのではないでしょうか。

 私達は長く修煉してきました。いかにして真相を伝えるかについて、師父は私達に多くのことを厳しく丁寧に説かれ、慈悲の心で繰り返して忠告されました。しかし、私達は、全部聞き流してしまったのでしょうか。この理智の問題は、私達の返本帰真への修煉の道の障害となるだけでなく、旧勢力にもとても大きな隙を与えてしまいます。それによる損失は実に大きいのです。

 師父は『理性』の中で、私達に、「理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広めて世人を救い済度する、これはすなわち、覚者の威徳を築きあげているのです」と説かれました。これこそ私達がとるべき態度ではないでしょうか。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/14/306228.html)
 
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