年配の同修が墓地を買うについての厳粛な反省
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文/中国の年配の大法弟子

 【明慧日本2015年4月9日】私たちの数人の同修7.20以前の古い弟子で、ほとんどが70代です。大法修煉のなかで各種の魔難に遭い、死に直面しながら今日まで歩んできました。性命双修の法輪大法のお陰で、私たちは心身ともに健康です。慈悲なる師父はずっと私たちを護ってくださり、私たちは魔難を無事に乗り越えることができました。修煉してから十数年は一生のなかで、最も幸せな時間になりました。延長された生命は修煉と師父を手伝って法を実証するためです。千万年を待っていた機縁を大切にして、師父の要求に基づいて三つのことをしっかりやり、同時に人のいろいろな執着と欲望を取り除き、自分ではよくやっていると思っていました。

 最近『明慧週刊』で墓地を買ったことについての同修の交流文章を読みました。故郷では満60歳の時お墓を作る風習があります。同修の妻は同修が許さないまま、2人のお墓を作りました。結局この同修は相次いで旧勢力の迫害を受けて、酷い病気の反応が出て、危篤状態に陥りました。そのお墓を壊してから、ようやくよくなりました。

 このことについて、私たちは驚いて反省しました。数年前、配偶者がなくなった時、子供たちが2人分の墓地を買いました。私は深く考えず、大法修煉の目的は円満成就なので、お墓なんか要らないと思いました。しかし、法理上で厳粛にしっかり認識せず、人の観念を修めず、全面的に旧勢力の按配を否定しなかったので、邪悪に隙をつけ込まれました。この数年の病気の症状と突発的な魔難を思い出すと、墓地を買ったことに関係があるかもしれません。もし師父が救ってくださらなければ、もうおしまいだったでしょう。同修と一緒に学法して内に向けて探し、この数年来身体に現れた各種の反応を反省しました。また、墓地を買ってからの厳しい結果を子供たちに教えて、この理屈を分かってもらい、使っていない墓地を返しました。このことを書き出して暴露し、ほかの同修がこれを戒めとして旧勢力の按配した道を歩まないように、修煉に魔難を増やさないようにくれぐれも注意すべきです。

 2007年8月、夫が危篤状態になり、病院側は死後の準備をするように言いました。私は夫の面倒を見ており、子供達は墓地を買いました。当時私に相談せず、2人分の墓地を買ったことを、私は全然知らなかったのです。葬式が終わった後、子供達がそのことを教えてくれました。心の中で自分は性命双修の功法を修める修煉者であり、円満成就すると本体を持っていくので、そんなものは要らないと気にしなかったのです。しかし、法理上において全面的に否定しませんでした。

 常人は死ねば埋葬する必要があるので、子供達は私のために墓地を買い、私を常人として扱ってしまいました。私は無意識に旧勢力の按配した道を歩いてしまい、2年で数回命に関わる危険が現れました。ある夜、ベッドで完全に寝ていないときに、異常は何もありませんでしたが、突然強大なエネルギーが私を襲ってきました。私はすぐ全身が動けなくなり、首も締め付けられて呼吸ができなくなりました。命を取りにきたと思って、「師父助けてください、師父助けてください」と叫びました。しかし、舌が硬くなって叫ぶことが出来ず、心の中で叫びました。数秒後、この強大なエネルギーは消えて、全身が回復しました。もし師父が救ってくださらなければ、私はもう終わったに違いありません。

 そのようなことが3回連続して現れました。前の2回は1回目と同じようにすぐ終わりましたが、墓地の購入とかかわっていることを私が意識しないまま、4回目が起こりました。連続して「師父助けてください」と叫んでも効き目がなく、債権者が私を許さないので、師父もやりにくいのだと思いました。その念が正しかったので、さっと楽になりました。私はすぐ起きて座禅し、内を向け探し私を許さない命と積極的に善解しました。その後、このような状況が起こったことはありません。

 その後、突然病状が現れると、私はすぐ旧勢力の按配を否定し、念が正しければ、偽の現象はすぐ消えました。それらの魔難を経て、修煉は非常に厳しいことを深く認識しています。師父は私たちを偉大な神になるよう済度してくださいましたが、十数年経っても人間のものを放下できないのは、真に修めていると言えるでしょうか? 幸いに修煉はまだ終わっていないので、最後の時に徹底的に人の観念を取り除いて、旧勢力に隙を突かれないように、正念で正しい道を歩みましょう。

 また数人の年配の同修も長年病気の状態に悩まされたり、急に倒れたりしたことがあります。その原因は殆ど墓地の購入と関係があります。これらの厳しい教訓は人心を取り除いていないために、招いたことです。正法修煉はすでに最終段階に入っているので、われわれは速く徹底的に人の観念を変え、全面的に旧勢力の按配を否定してこそ、師父が按排してくださる法を正す修煉の道を歩むことができます。

 個人の次元で認識したことなので、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/8/299983.html)
 
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