正念を持って正しく行い 旧勢力の迫害を否定する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年10月27日】2000年、中国共産党の法輪功への迫害はエスカレートし、地元の主要協調人が不法に拘禁されました。私の市は周辺の市と県への真相資料の提供や、他の地域の同修との協力と交流を担当していました。そこで、私はわが家で資料拠点を作り、資料の提供と同修との交流の任務を担いました。そのため、市内、市外から資料を受け取りに来る同修、交流に来る同修が絶えず、私は大変忙しくなって、仕事を修煉と勘違いして、学法を疎かにしてしまいました。

 その年の年末、市は法輪功を迫害するいわゆる「転向」キャンペーンを開催し、私は市の幹部に名前を挙げられ、「頑固分子」と呼ばれました。私の家族4人は共に修煉しており、同修である夫はその事を耳にした後、びくびくして、出勤しても家のことを心配して、常に不安に襲われていました。私は「恐れることはありません。師父がおられ、法もあり、大丈夫です」と言いました。こうして、私達は数カ月協力しました。

 ある日の夜、同修から、印刷拠点が悪人に破壊されたとの連絡がありました。そこには、私の家の電話番号があったため、巻き添えとなり、私は4人の警官に市公安局に連行されました。市の公安局に入ると、彼らはすでに準備が出来ており、市の国保大隊の隊長2人と省公安庁の人が、合わせて7、8人いました。彼らは私を見て、笑いながら、「今日はお前にちょっと協力してほしい。お前がやった事を俺たちはすべて知っている。お前の家は資料拠点だろう。誰がお前に資料を送っているか、お前は誰に鍵を作ってあげたか、一日どのぐらいの資料を送っているか、誰と連絡を取っているか、俺たちはすべて把握して、すべて録画している」と言いました。隊長は手に一冊の資料を持ち、私を指さして、「お前の情報はすべてここにある。他の人はもう白状した。今日はお前の態度次第だね。お前が白状するかどうするかだ? 俺たちにはいくらでも吐かせる方法があるのは、お前も知っているね。省の公安庁からも人が来ている。お前が白状したら、すぐに家に帰らせるが、協力しなかったら、それは大変なことになるぞ。8年、10年は覚悟しろよ」と言いました。

 これらの話を聞いて、私は心が動じませんでした。「私は大法弟子です。師がおられ、法もあり、私は何も恐れる事はない」と思い、私は笑いながら、「今日、皆がここに集まったのは、すべて縁によるものです。私は本当にあなた達のために言いますが、絶対に大法弟子を迫害しないでください、大法弟子は皆良い人です。師父は私達に良い人になるようにと説かれています。私達は盗まず、奪わず、悪いことをせず、やっているすべては他人のためです。私のどこに問題があるか指摘してください」と言いました。

 彼らは、私が協力しないのを見て、奥の部屋に入ってしばらく相談してから、隊長は私に「あなたは病気があるか」と聞きました。私は彼らが拷問を考えていると察知しました。私は、「煉功前、心臓病があって、怒ったり焦ったりすると発病しましたが、今は法輪功を煉功して治りました」と言いました。彼らはそれを聞いて、怖くなり、拷問にかける事が出来ませんでした。

 彼らは私を他の県の留置場に送りました。3日目、省の公安庁と市の公安局の4人が私を不法尋問しました。彼らは私に誰と連絡したのか? 資料はどこから来たのかを聞きましたが、私は答えませんでした。私は彼らに、「法輪功は人に良い人になるように教えています」と話し、「真善忍」は良くないのですかと聞きました。彼らはそれを聞かず、思い切り私の頭と顔を殴り、私の両手に手錠を掛けました。その中の1人の警官は「もう止めよう、彼女は絶対言わないだろう」と言いました。

 その後、私は内に向けて探し始めました。自分は普段法を学ぶことが少なく、自分を修めることを重視せず、ただの「働き者」となっていたことに気付きました。分かった後、私は断食を始めました。私は「必ずしっかりやって、大法を実証する」と決心しました。私は拘置所に拘禁された人を手伝って、茶碗を洗い、床を拭き、洗濯をしました。私は師父が私の傍におられると感じました。断食して6、7日経っても、私が普通通りに働いているのを見て、拘置所の人は皆、法輪功は不思議だと言いました。私は拘置所の所長に善を勧める手紙を書きました。彼らは読んでから、私の所にやって来て、「怒らないでください」と慰め、「ご飯を食べよう。早く家に帰らせるよう市の公安局に電話をするから」と言いました。17日後、私は家に帰りました。

 2008年の冬、同修が買った消耗品を私の家に置いていたことを、人に密告され、市の公安局から4人の警官が来て、不法に家宅捜索をし、私のパソコンと消耗品を全部没収し、私を不法に連行しました。同修である家族はこれだけのものが没収されたのを見て、一時正念をなくし、圧力に負け、私はもう帰って来られないのではないかと思いました。

 私が市公安局の入り口に到着すると、20代の警官は私の髪の毛を引っ張って車から下ろし、部屋に入れ、地面に叩きつけ、思い切り私の頭を殴り、足で蹴りました。しかし、私はまったく痛みを感じませんでした。私は師父が弟子を護ってくださっていることを知っていました。

 この時、私は師父がおっしゃった「もちろん、旧勢力が按配したこの全てを私たちは認めておらず、師父である私も認めていません。大法弟子も当然認めていません」[1]を思いました。

 私は発正念をして、邪悪を解体し、衆生を救い済度し、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。1人の警官は「おばさん、焦らないでください。しばらくしたら、あなたを家に送り返すから」と言いましたが、その日の夜、私は家に帰ることはなく、2人の若い警官が私ともう1人の同修を監視していました。私を殴った警官は私の家から没収したパソコンを繰り返して調べ、私を罵り、私の名前を呼んで、「よく聞け、お前を家に帰すわけがない。知っているか? ◯◯は俺が刑務所に入れたんだぞ。お前に彼女と同じ結末が待っている。お前の家から押収したこれだけのもので、十分お前を刑務所に入れられるのだ。待ってろ。明日が勝負だ、お前をしっかりやっつけて見せる」と言いました。

 私は心が動じませんでした。私の心に法があり、師もおられ、師と法を信じていれば、誰も私を動かすことができません。私は頭を上げて、2人の若い警官を見ると、彼らはまるで子供のように、とてもかわいそうに見えました。私は、「本当にあなたのために言いますが、是非とも大法弟子を迫害しないでください。彼らは皆良い人です。あなた達は警官ですが、悪いことをしてはいけません。良い人になりなさい。人に優しくするのは自分に優しくすることです。あなた達はまだ若いから、しっかり『法輪大法は素晴らしい』と覚えてください。そうしたら素晴らしい未来がありますよ」と言いました。2人の若い警官はとても感動していました。

 翌日、大隊長がやってきて、「俺はずっと休暇中だったが、今日はお前のために出勤した」と言って、4人の警官に私を身体検査に送るようにと言いました。私は「邪悪が衆生を破滅することに協力しない、誰も私を動かすことはできない」と発正念をしました。4人の警官はどうしても私を運ぶことが出来ず、仕方なく、拘置所の医者を呼んで、私の身体検査をしました。医者は「高血圧で220だから、もう彼女をほっといてください、早く病院に送りましょう」と言いました。大隊長は「早く彼女の家族に連絡して、迎えに来させよう」と言いました。こうして、師父のご加持の下、同修達の正念の協力の下、私は家に帰りました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/19/299047.html)
 
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