衆生を救い済度する事を自分の生活の一部にする(一)
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文/本人が口頭で述べ、同修が整理

 【明慧日本2015年6月27日】私は学校に通ったことがないのですが、同修から自分の修煉体験を話して欲しいと頼まれ、話してみました。不足のところがあれば慈悲にご指摘を願います。

一、字を読めない私が大法の本を通読できるようになった

 今年60歳になった私は、96年6月に大法を修煉し始めました。修煉する前に重い喘息と蓄膿症を患って、6回も流産し重い婦人病も患っていました。更にいつも夫から暴力を受けていました。病気治療をするため、他の気功を一年やりましたが、効き目がありませんでした。友人から、法輪功をやってみたらと言われ、「法輪功」の三文字を聞いただけで、不思議に喜びを感じて、煉功所を探して動作を学び始めました。煉功して数日しか経たないうちに、私には大周天が形成されました。師父の説法の中で説かれているように、ベッドの上で体が浮き上がり、上がっては落ち、一メートルあまりの高さまで激しく揺すり上げられたり、歩く時も地面を離れそうで、体がいつも浮き上がろうとした状態が現われました。それはとてもいい気分でした。

 しかし、本当の修煉は煉功するだけではなく、法を勉強する必要もあると聞いて、私は悩みました。私は一日も学校へ行った事がないため、自分の名前すら書けなかったのです。しかし、同修が、法輪功を修煉すれば圓満成就できると教えてくれたので、修煉を始めました。私は靴の専門店を営んでいて、近所で同修が文具店を経営していたので、本を読む時に分からない字があると、そこに行き、教えてもらいながら字を覚えました。

 轉法輪』を速く覚えるため、煉功点の人がみんな帰った後も、自分だけ残って繰り返し勉強しました。帰りが遅くなり一人で暗い夜道を歩いていると、法輪が前方で道を明るく照らしてくれるので、師父が励まして下さっているのだと感謝しながら家路に着きました。しかし家に着いてから遅く帰った私にひどく腹を立てた夫は、私が煉功しようとすると嫌がらせをし、座禅の時、針で口と腕を刺したり、さらに便器を口元まで持ってきて、においを嗅がせたりして邪魔をしました。師父が説かれた「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]という法が私の頭の中にしっかりあったので、「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」[1]を成し遂げました。

 こうした努力を積み重ね、今、私は大法の経文を全部読めるようになり、『明慧週刊』も読めるようになりました。

 修煉を始めて間もない頃、鼻血が2時間ぐらい出て止まらないことがありましたが、師父が体を浄化して下さっていると私には分かっていました。この時は1キロぐらい血が出ましたが、何ともありませんでしたし、その後は、もう鼻血が出ることはありませんでした。その次に業を消したのは、店の内装をした時でした。釘の付いた板を踏んで、足の裏に深く釘が刺さってしまったのです。抜いた後、穴が空いたようになっていましたが、血も出ませんでした。私は思わず、「師父ありがとうございます!」と言って、師父がまた一つ大きな借りを返させて下さった、と思いました。それからサンダルを履いて、水の中を歩いて作業したりしましたが、足の傷は跡形もなくきれいに治っていました。その後にも胸に4センチくらいのしこりが見つかり、とても固くて痛かった事もあったのですが、私はどんなに辛くても私は法の勉強と煉功は続けました。しかし家事もしなくてはならないし、家族には内緒にしていたので辛い毎日でした。しかし私はこれは病気ではない、虚像だと自分に言い聞かせ、法を勉強する時間と煉功の時間を増やしました。すると1週間くらいで、そのしこりはきれいに消えていました。

 二、2回北京へ法を実証に行き、洗脳班で迫害に抵抗した

 99年迫害が始まる前の週、不思議な夢を見ました。北京へ試験を受けに行くと言うのです。私は3名のうちの一人でした。しかし、字も知らない私がどうやって試験を受けるのかと思いましたが、私も試験を受けられるという夢でした。

 ある日、同修4人と一緒に北京に向かう途中で、私以外の3人が連行されてしまい、私だけが順調に天安門まで辿りつきました。そこで警官に体育館に連行され、半日を過ごしました。家に送還されると、怒った夫が、私を床に押さえつけて、2時間も延々と殴り続けました。翌日、私は生死も難も同修と共に、分かち合おうと思い、市の警察署に行って、自分が三年間も法輪功を修煉したことを伝えました。しかし自ら申し出たのに、「帰ってもよい」と言われました。私が電話番号を残して、「天安門へも行って来ました」と言おうとした時、別の急ぎの手続きを、提出しにきた人に押しのけられ、言うことができませんでした。これは師父が守って下さった。言わなくて済んだのだ、と後で悟りました。

 翌年、私と同修が騙され洗脳班に入っていた時、当時は旧勢力とは何なのか法理に基いて理解できていないので、はっきり悟れず、ただ大法を迫害すれば旧勢力であると思っていたのです。610弁公室の人が師父と大法を罵った後、私をある部屋に連れていって、副県長、村の副書記、裏切り者など、たくさんの人が私を囲みました。村の副書記が私を睨み付けて、「あなたは子供と家を見捨ててもいいのか?」と叫びました。私は「副書記、話が違います。師父は私に心を修め善に向かっていい人になるようにと教えて下さっています。我が家では家を五軒建て、庭は全部、私が造りました。子供はりっぱに成長しています。私が子供と家を見捨て、何もやっていないと言うのなら、私の家に来てみて下さい。あなたたちが私をここに連行して暴行しているのではないですか? 私が帰って子供の面倒を見たいと言っているのに。なぜ釈放してくれないのですか? 早く釈放して下さい! すぐ子供の面倒を見に帰ります」と言いました。すると今度は別の副書記が「では、どうしてあなたの師父はアメリカへ行ったのですか?」と聞いてきました。私は「師父は衆生を救い済度するため、各地を行脚しておられます。あなたは行きたくても行けないし、アメリカへ行けるどころか、正式の書記になるのも無理でしょう」と言ったら、彼は言葉に詰まり何も言えませんでした。次に副県長が話し始め、師父と大法を罵りました。それに対して私は「私と話したければ、まず私の師父を罵ってはならないし、大法を誹謗してはいけません。それが出来ない方とは話す余地はありません。師父は大法を伝え、真・善・忍に基づき、いい人になるよう教えて下さり、私は全ての病気が治り、全身軽やかになりました、この法のどこが悪いのですか? あなたたちのように、人を騙して暴力をふるうことは、良い事なのですか?」と聞きました。部屋中の誰もが、私の質問に答えられませんでした。

 2002年4月5日(旧暦)、北京へ行って師父の無実を求めに行こうと思い、8日(旧暦)は師父のお誕生日なので、私は感謝の気持ちを表したいと思いました。しかし6日、北京に着いたら二人の警官に連行され、近くの旅館に連れて行かれました。そこで彼らは私を激しく殴り、髪の毛をつかんで、私の身体を壁に投げつけたり、タバコの火で口を焼いたり、靴で顔を殴ったりして、私の顔は青黒く腫れ上がり、体中傷だらけで、右脚と右肩に烈傷を負いました。でも少しも彼らを憎みませんでした。心で、私は金剛不壊の体なので、壊れません! と思うと、それほど痛くありませんでした。翌日、県の610事務所と警察署の人が来ると、激怒して、私を尋問し、拷問を加えましたが、私は心から彼らをかわいそうにと思い、彼らが地獄に落ちるのではないかと心配して、いくら殴られても、ずっと彼らに真相を伝え続けました。4、5人に殴られ、半日も過ぎて、気がつくと私は眠っていました。こうして彼らは、私に対して尋問もできなくなりました。起きると、全身がとても軽やかでした。

 4月8日、私は警官に県に連行され、610弁公室の警官がまたスタンガンを出してきて、私を殴りました。私が正念を持って、誰があなたに人を殴る権利を与えましたか? 人を殴るのは犯罪です! 続けて殴ってごらん、と言ったら、彼らはできませんでした。県の610弁公室のボスが私を尋問して、「北京に何しに行ったのか」と聞きました。私は穏やかに「私は師父の無実を求めにきました。師父の無実を返してください、法輪大法は素晴らしい」と言いました。心の中で「私は誰ですか? 大法弟子です! 大法弟子は、あなたたちには迫害できない!」の一念しかありませんでした。師父が「あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり」[1]説かれていたので、師父の法を固く信じて疑いませんでした。

 家族は私が労働教養されるのではないかと心配し、およそ1万元を支払い、8日の夜、私は帰宅しました。不思議な事に、傷だらけの体は3日で完治したのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/5/310147.html)
 
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