文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年8月4日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
16年にわたり歩んで来た尽きることのない修煉の物語には、大法の素晴らしさと人間の言葉を使い尽くしても言い表せない師父の慈悲な済度がありました。2012年の新年の前に、私はもと住んでいたところへ用事があったので、法輪功が迫害されている真相資料と神韻DVD、正月に飾る絵、掛け軸、カレンダーを携え、一部は昔の隣人や親戚、友達に贈り、残りは団地の事務所へ持って行きました(一部の人は私が法輪功を学んでいる事を知っていました)。用事が終わって外に出た時、昔の友人に会いましたが、資料はもうなく、「なぜもっとたくさん持って来なかったのか」と後悔しました。午後3時、夕日が西に傾き、家に帰る長距離バスに乗っていた時、空を見上げると、満天にピンク色の大きな蓮の花が見えました。黄色の花蕊はCDディスクのような大きさで、バスが進むにつれて、蓮の花はどんどん多くなり、ちぎれ雲に蓮の花や各種の模様が刺繍してあるかのようで、とてもきれいでした。私は眼をこすって、もう一度見てみると、やはり満天に金色に輝く蓮の花が、40数分間にわたって、家に着くまでずっと続きました。
家に帰ってこの事を夫に話すと、3時ごろ夫はちょうど大通りの公園の大木に垂れ幕を掛けていました。黄色い布に赤い字で書かれた1メートルの長さのものを5枚掛けましたが、手袋をしておらず、正月前の東北地方はとても寒く、手が冷えきっても垂れ幕を掛け続け、終ってみると、手も全身も暖かくなり、何とも快適で、何とも楽しく家に帰って来たと夫は話しました。「ああ、これは、あなたが人を救う神聖な事をやっている事を師父がご覧になり、私にも満天の蓮の花をお見せくださいました」と、私は言いました。「あなたもですか!」と、夫は言いました。「法が世間を正す時期は遠くはないので、『初心を忘れずに修煉していけば、必ず正果を得ることができる』[1]と師父が説かれたので、私たち人を救い、三つの事を行い、史前の大願を果たして、師父に従って家に戻りましょう」と私は言いました。
私は今年70歳で、黒竜江省に住んでおり、1997年7月に大法に出会いました。10数年来の自分の修煉状況を師父にご報告し、同修の皆さんと分かち合いたいと思います。
一、大法が私を救った
修煉する前、私は頭からつま先まで病気で、北京の友誼病院で脳の中に腫瘍が見つかりました。いつも頭が痛くてめまいがし、髪の毛が抜け落ち、目が痛く、耳が聞こえなくなり、首も、肩も、腕も関節も痛く、心臓病、肝臓病があり、胃が悪く、足が痛く、左太ももの内側が痛く(赤くなっていないし腫れてもいない)、足首とかかとが痛く、体重は40キロに満たず、歩くのも困難で、病魔に苦しめられて、死んだ方がましだと思いました。その頃は生活が困難で、3人の子供の通学に付き添い、実家には4人の老人がいてお金を送って孝行していたので、自分の病気を診てもらうお金などはありませんでした。「いつまで生きられるかわからないが、死ぬ時は死ぬ、その時はあきらめよう」と思いました。
私は幼い時から何回も大難に遭いました。小さい時に天然痘にかかり、すでに死んだと思われて家の門から送り出された時、父親が私にかすかに息がある事に気づき、私を抱いたまま家に戻ると、私はゆっくりと息を吹き返したそうです。またある秋の日、私は風邪を引いて、何も食べたくなかったのですが、ナツメが食べたくなりました。家の裏庭に何本かのナツメの木があり、ナツメは半分ほどしか熟れておらず、まだ硬そうなナツメが、木の上の方にありました。私は裏庭の低い塀から屋根に登りました。雨が降った直後で、瓦は濡れており、私はすぐに滑って転び、家の軒まで転がり落ちて止まりました。下は煉瓦と石で、3メートルの高さがありましたので、もし落ちていたらきっと死んでいたでしょう。母はキリスト教を信じており、「神様がお助けくださった! あなたの命をお助けくださったのよ」と、言いました。
私が幼い時、「村に乞食が来ても、罵ったり殴ったりせず、饅頭をあげればよいのです。なぜなら、乞食の中には神様が世間にやって来て乞食に扮している方がいるからですよ」と、母親がよく言っていました。中国共産党が「四清」運動を行い、私の家は「富農」に定められ、文化大革命でも地主(夫の家も地主階級と定められ、大学卒業後辺境に配属された)と定められ、私の家の土地と財産と食料は全部、持っていかれました。「共産党はひどい悪人で、匪賊なので、いつか倒れるが、その時になって人々はやっと良い暮らしを取り戻せる」と、母親は言いました。私たちの村のはずれに廟があり、実家は黄土の長い坂にあったのですが、大干ばつの時には、村人たちがよく廟に雨乞いにやって来ました。幼い頃、私も雨乞いに行くと、その後、少なくとも2日後には雨が降りました。文化大革命の時、紅衛兵が廟を壊し、神像を壊しました。「廟がなくなり、神はおられなくなった。人々の事をもう顧みない。人々は罪を作り、業を作ったからだ」と、母親は言いました。私は小さい時から佛に縁があり、佛を尊敬し、神佛の存在を信じていました。
1997年のある日、姉が実家から電話して来て、「法輪功は素晴らしい、早く法輪功を学びなさい」と教えてくれました。私は電話を置くと、すぐに大法を修煉している人を探しに行き、長い時間をかけてやっと見つけ出しました。その晩、私は煉功点に行って煉功しました(その時は6人いた)。その夜、私は夢を見ました。夢の中では大勢の人が大通りにいて、その中に背が高く、ハンサムで、あかぬけた善良な若者がいて、私がその若者を見ていると、その若者も私を見ていました。「この人はどこかで会ったことがある、とてもよく知っており、知りすぎるほど知っている」と思いましたが、誰だか思い出せず、後ろについて行ってみましたが、やはり思い出せませんでした。次の日、煉功点で師父の説法の写真を拝見すると、すぐに昨日の夜、夢の中で見た若者だとわかり、なんと師父であられたのかと思い、私はすぐに両手で合掌しました。
煉功している時、第2式の煉功で抱輪していた時、頭の中で何かが「ゴーゴー」と響き渡り、急速に回転しているのが聞こえました。腰の大皿(法輪)が私の体を上下2つに分けた後、急速に回転しているのが聞こえ、私の体はずっとゆらゆら揺れました(指導員が近づいてきて、私の体が揺れないようにした)。煉功が終わり、びっしょりと汗をかくと、とても楽になりました。静功の時、私は片足だけでも座禅できず、足の組み方が高いために、上から強く押し付けられて痛くてつらいと思いました。4日目、「皆さん、ご存知ですか? 佛は皆さんを済度するため、かつて常人の中で物乞いをしていたのです。わたしは今日、門を大きく開いて大法を伝え、皆さんを済度しています。わたしは無数の苦難を嘗めても苦しく感じたことなどないのに、皆さんはまだ何が放下できないのでしょうか? あなたは心の中で放下できないものを天国へ持っていけるのでしょうか?」という、師父の説法を学びました。私はすぐに泣きだし、とても悲しくなりました。
学法の後に座禅して静功し、師父が説かれたこの法を思い出すと、いつも涙が流れました。佛はあまりにも慈悲深く善良でした。私の心は完全に空になり、いつの間にか両足で座禅しており、両足は直径1メートルの2本の松の木のように感じ、年輪がはっきり見えていましたが、一つ一つの年輪の間隔がゆっくりと細くなり、最後には細くて柔らかい自転車のバルブのようになり、私の左太ももの内側の痛かった肉は、脛を通り、最後は足の親指から出て行きました(これ以降、足は痛くなりました)。再び座禅を組むと、卵の殻の中に座っているかのように素晴らしく、心地よく、腕と足の感覚はなくなりました。出定する時に時計を見ると、ちょうど1時間たっており、掌が涙と汗でいっぱいでした。これは師父が私を励まし、苦痛に耐えてしっかり精進させようとなさったのだ、と私はわかりました。その後、また両足で座禅が組めなくなり、毎日座禅する時に両手で腿を下に押し付け、苦痛に耐えて精進し、半月後に両足で座禅が組めるようになりました。
9日間修煉した後、私は7日間眠り続け、飲まず食わずで、人事不省に陥り、起こしても起きず、目が覚めたら吐きました。「他の空間から見ると、あなたの身体は骨まで黒くなっています。 こんな身体を一気に浄化してあげるのですから、何の反応もないというわけにもいかず、反応は必ずあります。 中には吐いたり、下痢したりする者もいます。 これまで多くの地方の学習者が、わたしに書いてくれた感想文でこのことに触れています。 ある人など、講習会からの帰りに、家に着くまでトイレばっかり探していた、と言います。 内臓まで浄化されなければならないからそうなるのです。受講中、ずっと眠っている人もいますが、講義が終わると目が覚めてきます。なぜでしょうか? それは頭の中に病気があって、その調整をしてあげなければならなかったからです。 頭の調整は、とても耐えられないものなので、本人に自覚はありませんが、昏睡状態に入らせなければならないわけです」[3]と、師父は説かれました。
8日後、私は起き上がりベッドから下りてみると、全身が軽く、まるで何事もなかったかのようで、以前よりも元気になりました。それから、私の全身の病気はいつの間にかなくなり、自転車に乗るのも、歩くのも、階段を上がるのも非常に楽で思いのままでした。私は70歳になっても、いつも自転車で材買いものに出かけ、プリンターを直し、真相を伝え、街へ出かけて大法の仕事をしました。大法が私を救い、師父が私をお救いくださったのです。ありがとうございます。師父、ありがとうございます。
私が大法を修煉し、大法の奇跡を家族は見たので、夫、長男、娘、孫はみな、同じときに大法の修煉に入りました。喜ばしい事に、二男も今、学法と煉功を始めました。長男の嫁と二男の嫁も大法を認め、大法を支持し、師父の説法を見ていました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「何を恐れる」
[5] 李洪志師父の著作:『2003年元宵節での説法』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/25/143376.html)