音楽で大法を実証し 中国人の心を感動させる
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文/フィンランドの大法弟子

 【明慧日本2015年8月6日】私は2006年に法輪功の修煉を始めました。当時私は大学に通っていました。幼い頃から、私はずっと楽器の演奏を学び、多くの曲を弾きました。私は正式な仕事を持っていなかったため、暇な時間に趣味として音楽を続けてきました。

 私は多くの大法のプロジェクトに参加しましたが、音楽を愛することは、私に真相を伝え、人と付き合う機会を多くもたらしてくれました。それ以外に私と音楽の仕事を一緒にしたことのある常人は法輪功が中国共産党によって迫害されている真相を知り、私がその真相を伝えることを支持してくれました。私は生まれつき人との付き合いが上手ではありません。しかし、音楽のおかげでさらに多くの常人に法輪功の真相を知ってもらうことができました。以下は私のこの方面での体験です。

 正しい芸術

 私は大法を修煉する前に、ヘビーメタルバンドで演奏していました。学法を始めて間もなく、音楽の問題に関する師父の説法を読みました。少しずつどんな音楽が正しいか理解できるようになり、正しい音楽を覚える過程は、まるで自分の本源に戻るような感覚でした。

 楽曲の創作は創造性のある仕事であり、私はいかなる不正な要素も入れないように気を付けて、慎重に行わなければならず、私は必ず良い修煉状態を保つ必要がありました。もし、三つのことをしっかり行わなければ、すべてがすぐ乱れてしまうという、経験と教訓がありました。常人社会の中で、普通の仕事を行うには、人を楽しませる曲を作る必要があります。しかし、私が思うには、健全な楽曲を創作すれば、少なくとも人々のための模範を示すことができます。私が創作した楽曲に対するフィードバックは非常に積極的で、多くの人は私の音楽から特別な平和と美しさを感知できました。そして、私の音楽の背後にどんな秘密が隠されているのか考え始めた人もいます。

 示範とリード

 私たちは大法の修煉者ですので、常人をよい方向に導くべきです。私は音楽家として、絶えず常人と協力する必要があります。私の音楽には、正の要素が保たれています。一度、自分の歌を録音する機会があり、普通のレコード会社でCDとして出版することになりました。私は、自然に任せながらも、自分が大法の修煉者であることをしっかり覚えていたため、録音と制作の過程をコントロールすることができました。これは容易いことではありませんでした。なぜなら音楽家とプロの人たちは創造性のある仕事をしており、強烈な情感を持っていたからです。私も自分のたくさんの情感関連の執着に直面しました。もちろんこれらは私の心の反映でした。私には人の歓心を得ようとする心がありました。このプロジェクトを遂行するなかで、私はたくさんの執着心に気づき、それらを放棄しました。たとえばメンツを失うことを恐れる心、人の感情を害することを恐れる心、嫉妬心、焦燥感などです。

 レコード会社は、創作において、私に自由を与えてくれました。これは、今では大変珍しいことです。この機会を利用して法輪功が中国共産党によって迫害されている真相をはっきり伝えるために、私は小冊子の表紙に記念の言葉を入れ、このアルバムを迫害されて亡くなった法輪功修煉者に捧げたいと思いました。レコード会社は私の案に同意し、潤色を加えてくれました。私のCDの中には迫害関連の歌も一曲入れました。アルバムを制作する前に、私たちのバンドに非常に才能のある女性音楽家が加わりました。彼女は迫害関連の歌を聞いて非常に感動し、この歌のためにピアノと管弦楽の伴奏を書いてくれました。彼女の助けのもとで、この歌の芸術レベルは全く新しい水準に上がりました。私だけではとても達成できないものです。予想外なことに、レコード会社はアルバムのこの曲だけを取り出し、出版しようとしました。このすべては自然に発生したことで、私は一切かかわっていません。これは、人々のわかっている一面が、この曲に含まれた真相を聞いて、私を助けようとしたからだと思います。

 その後、この歌のために音楽ビデオを撮影する機会がありましたが、法輪功と迫害の事実を伝えるビデオを使いました。私は、監督に真相を伝え、彼にドキュメンタリーの「フリーチャイナ」を見せました。彼はたくさんの真相を知りました。監督の自宅で私は彼の妻に会いました。彼女は法輪功に興味を示し、私たちは話し合った後、彼女はパソコンの前に行き、功法のビデオを見ながら動作を試しました。

 私は監督と仲が良く、たくさんの方面において、熱心に、快く助けてくれました。しかし、間もなく、私は常人にはこのプロジェクトをリードする十分な威徳がないことに気付きました。監督の考えに従うとビデオ効果がそれほど良くなく、真相をはっきり伝えることができません。最後に私は仕方なく自らチームを率いてビデオ編集と芸術表現を確認しました。私は同修からの支持と夫の支持も得ました。彼は最近ビデオ編集を学び、マスターしたばかりです。

 音楽ビデオの制作過程で、私はたくさんの執着心を取り除くことができました。私は人の歓心を得たい執着心を放棄できました。この心は私の根本的な執着で、障害でもありました。大法を守るために、私はビデオ監督のやり方を否認しました。彼を救うため、彼に良くない印象を残したくなかったので、彼を傷つけることを心配しました。しかも彼は私のプロジェクトに多くの支持してくれました。私は彼が無意識のうち、このプロジェクトに害を与えるようにさせてはいけないということもわかってきました。

 私が彼に害を与えることを心配していたからだと思いますが、大きな試練に遭いました。ビデオ監督は怒り出し、私を非難したり批判したりして、自分の意見に従わせようとしました。しかし、私が冷静で親切な態度で彼に接したため、最終的に彼は自分の行動を後悔しているようでした。実際、私の確固たる心は彼に深い印象を与えました。このことを通じて私は、一部のことは、表面上不愉快に見えても、私たちの修煉が基準に達していれば、実際は良いことになるということがわかりました。

 中国人が音楽に心を打たれる

 私は、映像ファイルを受け取りに、ビデオ監督の家を訪れた際、彼の妻に会いました。彼の妻は前回会った時からよく煉功していて、すぐにエネルギーが体内に入ることを感じました。しかし、今はやっていないと私に告げました。また彼女は再会を機に、修煉を続けることを決心しました。監督の自宅で私は、彼らの友人に会いました。友人は、ほかの国で法輪功に出会いましたが、『轉法輪』をまだ読み終えていませんでしたが、すでに読んだ部分から深い印象を受けて、現在、本当に修煉を始めるべきだと感じました。

 多くの人は制作された音楽ビデオに感動して、一部の人は涙を流しました。また一部の人は彼らの友人と分かち合いました。私も気づきましたが、音楽ビデオを見てから、家族と友人は法輪功をよく理解できるようになりました。以前、親族と友人に私は口頭で大法をよく紹介できませんでした。

 また、奇跡というべきか、中国にも私の音楽ビデオが入りました。しかし、私は特になにもやっていません。中国のネット上の各種の音楽フォーラムでは、私の歌について長々と討論がありました。たとえ歌詞の意味がわからなくても、心から称賛してくれました。彼らはメロディーの中から穏やかさを感じ取りました。

 私はまた、我が国の商人から電子メールを受け取りました。とても面白かったのです。メールには、中国に出張中、1万人以上の大手企業を見学して休憩したとき、その会社の社長に招かれオフィスを訪れて、歌を一曲流したとき、その曲がどの国から来たものか知りたがっていたということでした。その歌は私のCDの中の曲でした。中国人の社長は、歌詞はわからないけれども、メロディーから平和を感じ取りました。彼は空港で飛行中の恐怖感を減らすためにこの曲を聞いたり、長く運転するときも彼の妻と一緒にこの曲を聞いたりしたと話したそうです。この商人はこのことがとても印象深く、すぐ私と連絡を取りました。わたしにCDにサインをしてほしいと頼み、この中国人の社長にプレゼントしたいとメールに書いていました。

 私に音楽を利用して真相を伝える機会を与えてくださった師父に感謝いたします。

 また、同修の支持に感謝します。

 (2014年ヨーロッパ法会原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/28/299518.html)
 
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