明慧法会|田舎町の幹部に真相を伝える環境作りを常に心がける(一)
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文/雲南省の大法弟子

 【明慧日本2015年8月17日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1998年の年末に法輪大法の修煉を始めましたが、自分の修煉は不足しているとずっと感じていました。特に書く内容もなく、今までの9回の法会に参加する機会を逃してしまいました。今年(この文章は中国語版2013年11月23日掲載)の第10回の法会には必ず参加しなければならないと、筆を執って自分の修煉中の体験を記録しました。もし誤っている所がありましたら、皆さんのご指摘をお願いします。

 一、真相を伝える環境作りを常に心がける

 2005年初め、私は迫害を受け、元の県の職場からある田舎町の職場へと配置転換されました。仕事を始めた時、環境は厳しいと感じました。しかし、「この環境にたどり着いたからには、会う人すべてが縁のある人で、どんなに難しくても、真相を伝え三退を勧める方法を考えよう」と私は思いました。

 真剣に仕事をして職責を果たすと同時に、仕事の環境を利用して、自分が迫害を受けた状況と結びつけながら、県公安局の国保大隊長から、町の派出所の所長、共産党書記、町長から一般職員まで、接触したすべての人にできる限り真相を伝えてきました。町の若者は冗談で私を「老唐(唐おばさん)」と呼び、その意味は、「私が唐の僧のように面倒がらずに町の人たちに良い人間になるように勧めている」という意味です。

 私は仕事の関係で、何人かの同僚とよく農村へ行って仕事をしました。その道すがら、いつも同僚の善念を啓発するなど、様々な環境の中で真相を伝えました。同僚が師父のお名前を呼び捨てにしている状況に出くわした時、そこには師父に対する不敬な考えがあるため、容易に業を生じやすく、本人の身の回りの環境作りから始めていくべきだと思いました。「李先生と言ってください」と、私はすぐに同僚を正しました。「はい、はい、分かりました。李先生ですね」と、同僚たちはすぐに言い直しました。みんな笑っていました。私は正しい行いをしているので、多くの人が自然に心を許し、尊敬の念を持つようになり、それからは真相を伝える抵抗はだいぶ小さくなりました。

 時間がある時には、私は同僚に『洪吟三』を読んで聞かせ、ノートパソコンで神韻DVDを見せ、説法の録音を聞かせるなどしました。ある同僚が聞きました。「李先生がおっしゃっていることは正しいと思います。良い人になるように教え、人を善に向かわせています。しかし、どうしてあなたは自分の考えをもたないのですか。毎日李先生がおっしゃっていることを繰り返すばかりで、私たちはあなたの考えを聞きたいと思います。それとも、あなたはただ盲従しているだけですか?」

 私は真剣にその同僚に話しました。「あなたがもし一つの理論を導き出したとして、それを何十カ国語にも翻訳し、しかもそれを世界中の100以上もの国の億を下らない数の人が学びに来て、あなたにそれができますか? もしあなたにそれができるなら、私はあなたから学ぶかもしれません」。同僚はそれを認め、感心しました。私は続けて「これは覚者だけができることではありませんか? 億を下らない数の人はみんな、盲目なんですか。その中には知識人も少なくありません。佛法は無辺で、師父が説かれているのが佛法で、私の理解で話すことは何の意味もないものです」と言いました。

 数年が経ち、仕事場では三退したい人はみな三退し、一部の人たちが残りましたが、その人たちはどうしても真相を聞こうとせず、あるいは心配のあまり三退しませんでした。これはもしかしたら、私がうまくできなかったからかもしれません。もちろん、真相を伝える中でいつもマイナス作用を引き起こす人がいて、その人たちも私が救わなければならない対象だと思いました。現在その人たちがどのように振る舞おうと、皆師父の身内であり、その人たちをできるだけ多く救うための条件を作り出さなければなりません。その人たちを引き下ろしてはなりませんが、かといって、その人たちの背後で共産党当局が操る節度のない悪の行為を放任することもできません。

 村の司法調停センター所長、社会治安総合管理委員会の主任及びこの村を分担・管理している人民代表大会主席は私が真相を伝えることを妨害し、派出所と学校で邪悪な写真展を開き、学生たちを傷つけようとしました。ある時、真相が分かっている同僚が、「私に濡れ衣を着せるための資料が上級機関に報告された」と、私に密かに注意してくれました。「師父が私に衆生を救い済度させている一方、このようなことが起きるのは、きっと自分の空間場がきれいではなく、自分がうまく行わなかったことで引き起こされたことであり、しかし、自分の行いが良くないのであれば、近いうちに私は必ず迫害されるだろう」と思いました。そこで、懸命に自分の空間場を清め、長い時間発正念してこの地区の邪悪を解体しました。

 翌日、出勤してみると、村の司法調停センターと社会治安総合管理委員会のコンピューターがビルの警備員がいたにもかかわらず同時に盗まれました。村の幹部たちは諦めず、県公安局と610弁公室に調査を依頼し、同時に、私の指紋を取って比べましたが、結局、これは地方の人が犯罪事件を起こしては逃げ回っているのだと分かり、泥棒はまだ捕まっておらず、私に濡れ衣を着せた資料の件もそれきりになりました。これは師父のご加護だと私には分かっていましたが、この難も消えてなくなってしまいました。

 その後、「善には善の報いあり、悪には悪の報いあり」の道理を町の幹部たちに話し、「もし引き続き道理と良心に反することをすれば、さらに大きな報いがこれから起きるかもしれません」と話しました。幹部たちも報いに遭ったことを自覚し、運が悪かったと諦め、ずいぶんおとなしくなりましたが、私に知られないように邪悪な宣伝を依然としてこそこそと続けてしていました。

 その後しばらくして、司法調停センター長が車を運転して交差点で信号を無視し、1台のバイクと衝突し、バイクに乗っていた1人が死亡し、1人が怪我をして、100万近くを弁償しました。公職についている人には免職はありませんが、家庭に巨額の債務と忸怩(じくじ)たる思いをもたらしました。

 後に、再びセンター長に真相を伝えると、センター長は直ぐ受け入れました。まだ三退はしていませんが、大法に対して正しい認識を持つようになり、時には、センター長が仕事で街に行く時には、私に「車に乗って行きませんか」と声をかけてくれるようになりました。私はその車の中に毛沢東の写真が掛けてあるのを見て、「毛沢東の体には無実の罪で死んだ8千万人の魂があり、あなたの平安を守れないばかりでなく、殺気が強くて不吉です」と話しました。センター長は私が教えた方法で写真を処分しました。

 昨年の年末、中国共産党は「中国共産党第18回全国代表大会」(2012年11月8日から14日)の前に、共産党はまた迫害を始め、全国各地の共産党員は狂ったように人を逮捕しましたが、見かけ倒しで無力でした。村の社会治安総合管理委員会の主任とこの村を分担・管理している人民代表大会主席がある日、突然私の事務所に来て、強制的に私のパソコンを検査し、私に濡れ衣を着せるための証拠を探そうとしました。幹部たちが来た目的が良くないのを見て、私はすぐにパソコンを起動し、真相を伝える内容のものは全てCDに保存し、改めて起動したパソコンは真新しいシステムになり、パソコンの中には何の痕跡も残しませんでした。

 幹部たちは半日いじり回していましたが、何も発見できませんでした。私はちょっと不安定な心を落ち着かせ、発正念をして村の幹部たちの背後の邪悪な要素を取り除きました。私は幹部たちがパソコンをいじっているのを見て笑いながら、一方で、幹部たちに真相を伝えました。

 それから、主席が派出所に電話し、私は派遣された警官に派出所に連行され、県「610弁公室」(公安局国保隊長)と派出所の所長が単独で私と話をしました。国保隊長は「私たちはよく明慧ネットを見ているので、事情は知っており、あなたに対して悪意はないが、もしあなたの勤め先で話をすれば、あなたの仕事に影響を及ぼすので、ここまで来てもらった。しかし、現在のこの状勢では、上から圧力がかかっているのはあなたも知っている通りだから、何もしないわけにはいかず、あなたは仕事が良くできるということは知っているので、仕事以外のことでは私たちは口出ししようとは思っていない」と言いました。国保隊長ははっきりとは言いませんでしたが、国保隊長の話は「私が人に三退を勧めている事を通報したのは村の主席である」ことを暗示しており、その後、派出所は車で私を村へ送り返しました。

 後になって振り返って見ると、悪人の通報によって中国共産党が計画したのかもしれません。私のパソコンの中の大法の資料を利用して、私に濡れ衣を着せようと準備し、結果、共産党は今持っている痕跡を探し出すソフトウェアを使っても、共産党が欲しがっていたものを探し出せず、結局のところ、末端の「610弁公室」は真相を理解した後、共産党の身代わりにはなりたくありませんでした。

 師父は「一人の大法弟子として、以前いつも話していましたが、大法弟子にこれほど大きな歴史的使命があり、衆生を救い済度する責任を果たさなければならないため、必ず通じる道があります。この道は基準に達する道であってはじめて、宇宙の衆生が感心し、妨害できなくなり、あなたはこの道で厄介なことに遭わず、順調に進むことができるのです」[1]と説かれました。このようにして、師父のご加護の下で平穏に歩み、共産党が継続困難な状態に陥った時、もしかして、新しい一ページが開かれるのかもしれません。

 主席は私のことを通報した後、病気で寝込んでしまって、危うく命を落としそうになりました。黒かった髪は化学療法のためにすべて抜け落ち、いつも帽子をかぶって誤魔化していました。今年の初め、任期満了に伴う選挙で主席は落選。当初、主席は悪い一念で背後にある邪悪要素の支援を受け、大法弟子を迫害することによって、のし上がろうとしたのです。私は主席の救われるべき機縁を失わせないように、発正念をしてその背後にある邪悪な要素を取り除きました。

 こんなにも早く現世で直ちに報いがあるとは思いもよりませんでした。確かに予想外でした。師父は「邪党の背後の邪霊は世の人を利用して人に危害を加えています。邪党の政権の中で、その本質を認識できる人は希望がありますが、それと決別することを拒んだ人は大淘汰の中で邪党とともに解体されてしまいます」[2]と説かれています。

 私は主席に厳粛に話しました。「私があなたに三退を勧めたのはあなたの命を救うためで、真心からあなたのためだと思っているからです。もし誰かが『真・善・忍は素晴らしい』を認めず、大法弟子を迫害するなら、それは非常に危険なことです。職位だけでなく、自分の命さえ保証できないかもしれません」。しかし、主席はそれでも三退しませんでした。後に、再び主席に真相を伝えると真剣に聞き、それからはマイナス作用を働かなくなり、私が真相を伝えるのを妨害することもなくなりました。

 新任の人民代表大会主席は真相を理解しており、私が真相を伝えることに関与せず、すべての環境がこのようにゆっくりと正されてきました。以後、私はいろいろな環境下で正々堂々と真相を伝え、みんなはそれが自然なことだと感じるようになりました。

 二、派出所所長は村民委員会で寝たふりをした

 今年4月、村民委員会の任期満了での選挙の期間、私はある村民委員会で真相を伝えているうちに、新任の派出所の所長と警官が1人やって来て、所長はこの村の村民委員会の「連絡委員」でした。当時、気がかりなことがあり、新しい所長に直接真相を伝えていなかったので、真相は伝え続けなければならないと思いました。そばにいた善い人が、私がさっきまで法輪功の真相を伝えていたと紹介し、あれこれ説明しました。「どうしてここでそんなことを伝えているんだ」と、所長は厳しい口調で私を問い詰めたのですが、明らかに私の恐れる心がもたらしたものでした。「所長も救い済度されるべき生命であり、この状況に直面して回避することはできず、もしかして所長は真相を聞きに来たのかもしれず、そうであれば、大法は慈悲深く威厳があることを所長に理解させ、自分の将来のために正しい選択をさせなければならない」と私は思いました。

 私は発正念して所長の背後にある邪悪の要素を解体し、所長の質問に理性的に答えました。心を正せば、環境に変化が起こり、その後、「天安門の『焼身自殺』とはどういうことか?」「どうして真相を伝える必要があるのか?」などと、所長は尋ねました。私は穏やかに一つ一つに回答し、薄熙来事件と関連して、「中国共産党が大法弟子に対して行っている生体臓器狩りの犯罪行為」「大法弟子が真相を伝えるのは人を救う正義ある行為である」「修煉者を護れば人々は福報を得る」などを伝えました。

 所長は聞いているうちに、椅子にもたれて「眠って」しまいました。なぜ所長は眠ってしまったのか、私が真相を伝えていることに対して、警官は所長の名誉のために「あの法輪功修煉者の話はつまらないですよ」と、所長に耳打ちした後、所長は眠ってしまったというのです。私は「これはいったいどういうことですか」と所長と一緒に来た警官に聞きました。警官は「所長は関わりたくないのだ。法輪功のことに関わりたくないのだ。面と向かって真相を伝えられては、どう対処すればいいのか困るのだ。立ち去ってしまってもまずいし、ここに留まっても良くないし、だから今は寝ているのだ。法輪功の話はみんな事実だ。だから聞こえないふりをしているのだ」と、あの警官は小さな声で言いました。

 その場に居合わせた村の幹部と村の選挙に参与する人はみな真相を聞き、この興味深い場面を見て、私は心が揺り動かされました。村民委員会副主任のある候補者は「共産党が人々にこんなに苦しい思いをさせているのなら、もう終わりじゃないですか。私は率先して脱党します」と言いました。しかし、もう一人の副主任の候補者ははっきりした態度を表明しなかったので、私が伝えた真相に対してあまり認めていなかったのかもしれません。選挙結果が発表され、もともと予備選挙では得票率が高くなかったあの副主任でしたが、真相が分かった後、結局、奇跡的に当選しました。そして、あの態度があいまいだった候補者は当選しませんでした。

 その後、あの派出所の所長が法制度の宣伝をした時の写真を見ましたが、以前の所長が法制度の宣伝をした時は共産党の展示パネルがありましたが、この所長が法制度の宣伝をした時には、社会に悪影響を及ぼしたあの共産党の展示パネルはなくなっていました。そして、この所長は笑っており、それは真相が分かった生命の会心の笑みでした。真相を伝える環境はこのようにゆっくりと正されてきて、様々な環境で正々堂々と真相を伝えていくうちに、負の要素は少なくなっていきました。

 (続く)

 注:

 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」

 [2] 李洪志師父の経文:『冷静さを保とう』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/22/282295.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/1/143456.html)
 
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