拷問で障害者になった公務員が江沢民を告訴
■ 印刷版
 

 【明慧日本2015年8月17日】黒竜江省ジャムス市建設局の元副主任兼経理の呉旭シュさんは、江沢民グループによる法輪功への16年間に及ぶ迫害の中で、不当に労働教養処分に処せられ、精神病院に送り込まれ、留置場で拷問されるなどの迫害を受けた。さらに、13年間指名手配され、路頭に迷う生活を強いられたという。

 呉さんは先月14日に最高検察庁および最高裁判所に、法輪功迫害の首謀者・江沢民に対する刑事告訴状を郵送し、その刑事責任を追及し、厳罰を強く求めた。

邮寄诉江状

江沢民への告訴状を郵送

妥投签收

受け取りの確認画像

 呉さんが陳述し、受けた迫害事実の一部は以下の通りである。

 1999年7月24日、私が北京からジャムスに帰った時、公安部門は職場と家族に圧力をかけるよう強要しました。理由は私が法輪功を学んでいるからです。そのため、妹と夫は私を実家に連れて帰り軟禁しました。近所の人や家族など10数人の人たちから、法輪功を学ばないように、その誓約書を書くよう強いられました。午後4時過ぎから深夜12時まで、私は食事すら取ることも許されず、弟に車に押し込まれて、市の精神病院に送られました。3日後ようやく実家に戻されましたが、彼らは私を監視し続けました。

 2000年2月14日、職場の主任は再び家族に、私を市の精神病院に送るよう強要しました。病院で私は何も検査されることもなく、抑うつ症状があると診断され、多い日には、一日8錠もの薬を飲ませました。また点滴をされた後には、口の中は乾燥し、舌が回らず、足がふらつき、イライラして身体がだるくなりました。病院での1カ月間は、心身ともに大きなダメージを受けました。

 また同年6月20日に、私は公職を追放されました。理由は2回法輪功のため上京して陳情したからです。

 翌年5月22日朝、私は市のある住宅地の壁に「法輪大法は素晴らしい」を書いた時、見張っていた永紅公安局の警官に不当に連行されました。数人の警官は私の髪の毛を引っ張り、地面に叩きつけました。さらに、私の足を蹴り、頭を3時間以上に及び壁に叩き続けました。その日の夜、私は市の留置場に送られました。

 4日目、公安局の関係者は私を市の労働教養収容所に移送しました。ある警官は私に書類を渡し「これは3年の労働教養処分判決書だ。サインしろ!」と怒鳴りました。私は「これは違法です。サインはしません」と返事しましたが、「サインしなくても、3年の判決はすでに決まっている」と言われました。

 12月に、私は約半年間拘禁され、過酷な環境において健康状態が更に悪化し、心不全、腎不全、ショックなどと診断され、いつ死んでもおかしくないと判断されました。しかし、教養所側は私の安否を無視し、200日まで私を拘禁しました。

 2001年3月8日、永紅公安分局の警官は私を連行しようとしました。迫害から逃れるため、私は余儀なく、放浪生活を送りました。警官らはインターネットで私を指名手配し、未だに解除していません。私は身分証明書の申請を出した時、政府関係者に指名手配が解除しない限り、受理できないと言いました。

 2004年3月、私は放浪生活をやめて、ようやく自宅に戻りました。しかし、21日午前、パートカー6、7台と数十人の警官は、私の自宅を包囲しました。数人の警官は鍵でドアを開けようとしました。私は中でロックを掛け、家に入れませんでしたが、警官らは交替で自宅の外で待機したり、マンションの周囲で監視を続けていました。

 夜の8時過ぎ、警官らは消防車4台を呼び出し、自宅の窓を破り侵入して来ました。警官らは20人あまりで家宅捜索し、現金および夫の腕時計(およそ20万元以上)の私物を押収しました。

 警官が自宅の近くで見張っていたため、私は夜になってから別の所に移りました。しかし、29日、そこでも警官が監視していることに気づきました。再び連行されることから逃れるため、私は窓から飛び降りて逃げ、傷しました。通行人にタクシーに運ばれましたが、身分がばれて迫害されることを恐れ、病院で治療を受けませんでした。

 その後、病院で右腕、胸椎12節、腰椎1節が骨折していると診断されました。手術も受けましたが、医療事故が起きてしまい、腕がまっすぐに伸ばせなくなりました。この腕は一生涯完治しない障害となり、私は働くことができない体になりました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/7/313736.html)
 
関連文章