郵送を阻止された告訴状に対して認識したこと
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年8月15日】現在、江沢民を告訴することが全世界で大きな潮流になっています。この人類を毒するものを法によって裁くことは、良知と正義感のあるすべての人々が行うべきことです。これは善悪の報いのこの世での天理の現れであり、正しい行いです。法を正す時期の修煉の面からみれば、「江沢民を告訴」することは、すべての人に自分の位置を配置する絶好の機会を与えています。告訴する過程で自分をよく修め、人心を放下し、神に向かって歩み、同時により多くの衆生を救い済度すべきです。

 明慧ネットの報道では連続3週間、毎週2万人近い人からの告訴状が最高検察院と最高裁判所に届けられたということです。しかし、一部の大法弟子の告訴状が途中で止められました。同修を手伝って告訴状を整理する過程で、ある現象を目にしました。

 告訴状が止められた同修の多くは、法を正す過程で江沢民を告訴することに対して認識が足りず、心性が基準に達していません。告訴状を書くこと、あるいは口頭で述べる過程をあまり重視せず、恐れる心を隠しています。また書けない、あるいは思い出せないなどを口実に書くことを引き延ばし、あるいは簡単にまとめて、中国共産党が大法と大法弟子に対して行ってきた16年間の迫害を2、3枚の用紙にいい加減に収め、同修にその整理を任せます。

 その後、同修が整理し終えた告訴状を手にしても、自分は見ようとせず、心配しながら郵送します。書いてから郵送するまで、発正念も重視しません。配達された知らせがこなければ、もう1回郵送するか、ほかの同修にもう1回直してもらってから出し、内に向けて自分を探そうともしません。

 時間が経つにつれ、告訴状を書くにしても、郵送するにしても、告訴状を整理するのを手伝う同修も含め、心性の基準と要求も高くなります。一通一通すべて真剣に、事実に基づき、かかわった時間、場所、人物など基本的な要素をはっきりと述べなければならず、任務が完成したという心があってはいけません。心を静め、漏れや事実と食い違いがあるかどうかを確認し、拇印を押してから郵送してください。

 告訴状は真相を伝える手紙でもあります。私たちが出す一通一通の告訴状はすべて正のエネルギーであり、郵送の過程で邪悪を暴露し、邪悪を解体し、人を救い済度しています。どこかで止められても、邪悪を滅する威力を発しているので、見る人に恩恵をもたらせます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/4/313602.html)
 
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