黒竜江省:ハルビン市の迫害された学習者 江沢民を告訴
■ 印刷版
 

 【明慧日本2015年9月2日】黒竜江省ハルビン市の法輪功学習者・劉雅琴さん(59歳女性)は以前、高位の対麻痺の重症患者であった。法輪功を学んで、健康を回復することができた。しかし、中国共産党の前書記・江沢民は法輪功学習者に対して迫害を開始、劉さんは連行、拘禁、労働教養所などで迫害され、再び体が麻痺した。

 劉さんは7月2日、最高検察院と最高裁判所に江沢民に対する刑事告訴状を郵送した。1カ月後、検察院から告訴状を受け取ったというショートメールの返信があった。

 劉さんは告訴状の中で次のように述べている。

 1993年末、私は急性脊髄炎と診断された、高位対麻痺の重病人です。中日友好病院に6カ月間入院。退院時、歩行はまだできませんでした。帰宅して間もなく、夫に愛人がいることを知り、私の精神状態はボロボロで、何度も自殺を考えました。

 1999年のある日、私は友人の家で偶然『轉法輪』を目にしました。その貴重な書物を読み終わった時、絶望的になっていた私は生きる希望を探し当てました。法輪功を学び始めた時、立ち上がることができませんでしたが、それでも煉功を毎日しっかり行い、2週間後には立つことができ、さらに、3カ月後には徐々に歩き始め、6カ月後には普通に歩行でき、自立生活もできるようになりました。そして、子宮筋腫も膵炎も神経性頭痛も咳も知らないうちに消えてしまいました。

 それだけでなく、私は噓をつく、悪口を言う、下品な言葉を使うなどの悪い習慣が直り、何事があってもすべて内に向けて探し、自分を修めました。夫への恨みも、復讐心も消えてしまって、夫からの離婚の要求も平然と受け入れました。法輪大法は絶望していた私を心が広く、明るく変えてくださいました! 大法の師父は私に生きる希望を与えてくださいました!

 しかし、1999年7.20、江沢民は法輪功に対して弾圧を開始。大法の恩恵を自ら受けた私は、その日、法輪功の真実を訴えようと省政府に陳情に行きました。省政府の門前には大勢の軍隊と警官がいて、私を含む法輪功学習者たちを地元に送還しました。

 2000年2月、私は陳情するために北京へ行きましたが、私服警官に北京駐在事務所に連行され、翌日の昼ごろ戻されました。

 それ以来、私は平穏な生活を送ることができなくなりました。いつも、居民委員会から人が来て嫌がらせをしたり、警官がドアを叩いたり、また、彼らは人を雇って私を監視させたりしました。私はそのような生活に絶えられず、余儀なく放浪生活を始めました。しかし、610弁公室の警官は私を探し出すことができなかった代わりに、娘を監視し始めました。正常な生活を送れなくなった娘の心と身体はとても傷つけられ、いつも泣いていました。またそれが原因で娘のボーイフレンドは去っていきました。

 2006年4月末、私はハルビン市鴨子圏留置場に連行され、1カ月後、万家労働教養所に送られました。しかし、入所時の健康診断の結果不合格となり、留置場に戻されました。留置場での1カ月以上の迫害により、体が再び麻痺状態になり、自立生活ができなくなり、便も尿も失禁するようになりました。その後、また強制的に万家労働教養所に送られました。

 教養所で自立生活ができない私は、尿も便も失禁し、足は腫れて靴を履くこともできません。排尿ができず、お腹が破裂しそうになります。心臓も耐え難いほど苦しく、髪の毛は白くなり、命の危険な状態になりました。

 しかし、私は教養所で煉功することにより、足の腫れが徐々になくなり、また、ゆっくりと排尿することができるようになり、快方に向かいました。教養所の警官を含めみんなは、私が薬も飲まないで、もう駄目だという状態から好転したことを目の当たりにして、「とても不思議なことだ」と盛んに話していました。

 私が教養所に拘禁されていた1年半の間、高齢の母は毎日、家の近くで私の帰りをひたすら待っていました。しかし、私が出所する20数日前、母はもう待ちきれず、亡くなってしまいました!

 私が帰宅した後、居民委員会の書記は常に嫌がらせに来て、私に法輪功の修煉を放棄する保証書を書くよう強要し、610は階下に監視装置まで設置して私を監視しました。そこで、私はやむを得ず家を売り、定まった所もない放浪生活をよぎなくされました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/9/313859.html)
 
関連文章