甲状腺がん末期患者の心の声
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2015年11月7日】修煉前の私は四十肩、胆のう炎、静脈瘤、乳腺症、甲状腺腫瘍など多くの病がありました。普段は商売に専念してこれらの病を特に気にせず、ただ普通の治療を受けるだけでした。だんだん病が重くなって、耐えられなくなり入院しました。繰り返し入院して、商売で儲けた金をみな病の治療に使いました。また病の苦しみにも耐えなければなりませんでした。

 師父はわたしの命を救ってくださった

 甲状腺腫瘍は卵の黄身の大きさまでになり、声帯が圧迫され、声もかれました。わたしは市の大きい病院に行って手術を受けました。術後の細胞検査結果は悪性腫瘍でした。

 友人はわたしに法輪功を紹介し、法輪功は病気治療と健康保持にいかにすばらしいかを話し、『轉法輪』をくれて「真面目に読んでください」と言いました。わたしは商売に没頭していたため、あまり重視せず、たまに数ページを読んで「すばらしい、法輪功は共産党が言ったようなものではない」と感じました。

 半年後、甲状腺がんの再発で、わたしは口の渇きが酷くて耐えられず、頭全体が腫れ、足も大きく膨れたため、省の腫瘍専門病院に行きました。わたしは『轉法輪』を持って、入院したら読もうと考えました。病院で検査を受けると医者は「この病は手術できない。手術したら後遺症が残る。家に帰って薬で維持してください」と言いました。言外の意味はこの病は治せないので、病院がわたしを追い出しているようでした。わたしは「これは終わりではないか。死を待つしかない」と思いました。

 夫はわたしを慰めて「大丈夫だよ。家と土地を売って、北京に治療に行こう」と言ってくれました。わたしは「省の病院は治療できないと言いましたから、他のいくら良い病院に行ってもお金の無駄使いです」と言いました。

 窮地に陥り、途方に暮れたわたしが突然思い出したのは、他の人が法輪功を学んで病が治ったということです。自分も法輪功をやってみようと考えました。夫は「できるだろうか?」と聞きました。わたしは「窮地に追い込まれているから、法輪功を学ぶしかありません」と答えました。

 家に帰ってみると、母親と弟はわたしの病が治らないことを知ってとても悲しみました。わたしは「法輪功を学びます」と言い、弟は「あなたは精神に問題があるのではないでしょうか」と言いました。わたしは「法輪功を学んで、自分の命を法輪功の師父にお願いします」と話しました。弟は「捕まるのが怖くないですか」と聞きました。わたしは「怖くない、やらないと死を待つしかない。法輪功は良い人にしてくれるのですから、誰がわたしを捕まえられるでしょうか」と答えました。

 2005年の秋、わたしは学法グループを見つけて修煉を始めました。同修はわたしに煉功を教えました。わたしの病の主な症状は特に口が渇き、唾液が出ないことでした。しかし、煉功すると、口の中に唾液が現れ、甘いと感じました。わたしは感動して涙を流しました。夫は「どうしたの?」と聞きました。わたしは「この功はあまりにも不思議で、煉功し始めると奇跡がすぐ現れました。こんなすばらしい功を知るのが遅かった。この数年、人の煉功を見ても自分はまったく気にかけず、人からいただいた本も断続的に一部を拝読しましたが、修煉を始めず、結局病が重くなり、苦難が大きくなりました。金も使い果たし、ほかに歩む道がなくなってようやく大法を思い出しました」と言いました。

 わたしはとても悔しかったのですが、まだ幸運だと思います。なんといっても修煉に入れたのです。

 しかし、煉功にとても苦労しました。特に座禅が痛かったのです。煉功が辛くて難しいと感じ、明日は休もうと思いました。その日の夜、夢を見ました。ある白衣の医者がわたしの首から一個の大きな腫瘍を切り取りました。翌日、起床すると、首の痛みがなくなり、腫瘍も消えていました。わたしはうれしくて泣きました。再び自分を「以前はなにをしていたのでしょうか。法輪功を知ってもやろうとせず、お金を稼ぐことに没頭し、命を失いかけた」と責めました。わたしは夫に腫瘍が無くなったことを話すと夫は「本当ですか? 法輪功はそんなにすばらしいのですか?」と疑いました。しかし腫瘍が無くなったのを見ると、その後彼は至る所で「うちの妻は法輪功を学んで、がんが治った」と話しました。親戚や友人のだれか病気にかかったら「うちの妻に頼んで、法輪功を学びましょう」と薦めました。

 病院はわたしを追い出し、医学はわたしに死を待つことを告げ、師父はわたしに新たな命を与えてくださいました。わたしはあまりにも幸運で、幸せがいっぱいで、どうやって師父に感謝していいのかわかりませんでした。煉功をしばらくやって、乳腺症もなくなり、他の病も知らないうちによくなりました。大法の超常と奇跡がわたしの目の前に現れました。

 法を実証し、衆生を救い済度する

 師父はわたしに新たな命をお与えくださいました。わたしは師父に、大法に感謝しなければなりません。法を実証し衆生を救い済度する実際の行動で、師父に報います。わたしはまず親戚や友人や近隣や同僚や同級生に、大法のすばらしさや大法の真相を話しました。師父がわたしたちにおっしゃるには、法を正す時期の大法弟子は三つのことをしっかりやらなければなりません。わたしはできるだけ多くの人々に真相を伝えることにしました。その後資料の発送や、神韻DVDの配布に参加し、人々に直接真相を話し、三退を勧めました。

 共産党の迫害がまだ続いている状況下で、外を出て法を実証し、衆生を救い済度するとき、まず恐怖心を放下しなければなりません。わたしが思うには、師父はわたしに新たな命を与えてくださいました。わたしは師父のおっしゃったことを聞くべきで、自分が救い済度されることばかりを考えていてはいけません。また、修煉して良い人になることはなにも間違ったことではなく、怖がる必要もありません。ですから真相を話すとき、正々堂々と、自分の実際の体験を話しました。多くの人が聞いて感動し、大法の真相を理解できました。わたしは古い同修につれられて、外で人に直接資料を配り、真相を伝え、三退を勧めました。わたしたちは市場と村で真相を伝えている間、警察に2回連行されたことがあります。警察で、わたしは同じように彼らに真相を話し、師父の加護の下で、毎回無事に帰ってきました。

 挫折があり、恐怖心も現れたことがありますが、衆生を救い済度する活動を止めず、できるだけ人に真相を伝え、三退を勧め、多くの衆生を救い済度しました。しかし、しっかりやっている同修に比べて、まだ差が大きく、師父の要求にはさらに差がありました。

 三つのことをやりながら、多くの心を取り除きました。例えば恐怖心、苦労を怖がる心、安逸心、名利心、歓喜心などでした。今も三つのことをやっていますが、以前のように全力でしないで、少し緩みました。原因は安逸心にあります。毎日同じことをやっているので、だんだん厭きてきました。師父はわたしたちに初心に戻ることを要求されましたが、わたしはしっかりやりませんでした。考えてみると、師父が法を正すことを終えられたら、自分はどれほど後悔するでしょう。そのとき後悔してももう間に合いません。師父に申し訳が立つのか、衆生に申し訳が立つのか、師父に合せる顔があるでしょうか? ですから、わたしは発奮しなければならず、初心を思いだして、自分の誓約を果たします。師父にお目にかかれたとき、「わたしは自分のやるべきことをやりました」と言えるようにします。

 わたしの新たな生命は師父に与えられたものです。わたしは師父のおっしゃったことを聞かない理由はなにもありません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/9/27/316242.html)
 
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