師を信じ法を信じ 母の腫瘍が消えた
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文/江蘇省の大法弟子 静白

 【明慧日本2015年8月28日】私は1996年に法輪大法の修煉を始めました。私の母もその後に始めました。

 『轉法輪』を読んで奇跡が起きた

 母は幼いころ学校に通えず、1年間だけ塾に通いました。そのため、あまり字が読めません。母は師父に「『轉法輪』を読むことができますように」とお願いしました。

 その後、母は本の上で眠ってしまいました。目が覚めると奇跡が起きました。母は私に「目を開けても閉じても目の前に字がたくさん出てくる」と言いました。再び、『轉法輪』を持つと、スラスラ読めるようになりました。そして、修煉していない父は母に「おや? 本当に不思議だ! どうしてそんなになめらかに読めるのか?」と、とても驚いた様子でした。母は「私の師父が教えてくださったのです」と言いました。

 師を信じ法を信じて 腫瘍が消えた

 母は修煉してからいつも笑顔でした。1997年のある日、母の脇の下に卵大の腫瘍ができました。母は一心に師を信じ法を信じて、心性を守り、毎日の集団煉功学法に参加していました。

 しかし、このことを一番上の姉に知られ、私に母を病院に連れて行くようにと言いました。私は「母は修煉者で、師父がいらっしゃるから、病院に行くかどうか、本人に任せましょう」と言いました。母は姉に「師父が私を守ってくださるから、大丈夫ですよ」と言いました。その後5、6日して、腫瘍から黄色い水が流れ出しました。2週間経つと、その腫瘍が消えてなくなりました。

 1999年7.20、中国共産党は全国のメディアを駆使して、法輪功に対する誹謗中傷、偽りの宣伝を始めました。しかし、母は依然として師父を信じ、法輪功の真相を伝え、資料を配り続けました。2001年、私は3年の労働教養処分を科され、労働教養所に収容されました。私の子供2人はまだ11と12歳で、母は子供2人の世話をしてくれました。母は法輪功を学んでいることで周りの親戚から責められました。

 2007年、私は再び、連行され実刑判決を受け、刑務所に送られました。私が刑務所に入る前日、母は面会に来ました。私は母に「学法を続け、真・善・忍に従って自分を律し、良い人になってね。私たちは間違っていませんよ」と話しました。

 師父は母を助けて下さった

 2012年3月のある日、母は夜中にトイレに行き、何回も転び、歩けなくなりました。私たち兄弟はみんな、母のところに来て、母を病院に送りました。病院で検査を受け、小脳の萎縮があると言われました。医者はもう母の命があまり長くなく、治療できず、家に連れて帰るようにと言いました。

 その時、私は心から母の病気を否定しました。家に帰って、母は兄弟たちに点滴を3日間させられました。そして、母は食べられなくなり、誰を見ても反応がなく、一日中、寝てばかりで、便意も尿意もわからなくなりました。

 私は正念で、兄弟たちが勧めている母の点滴をやめさせました。私は「点滴をすると、お母さんの状態がさらに悪くなるので、やめるべきです」と言いました。その後、父も同意してくれました。

 私は帰宅してすぐ、師父の写真の前に跪き「師父、母に先史の誓約を果たし、師父と一緒に家に帰る機会をもう1度お与えてください。母をお助けください」とお願いしました。、昼間は母に師父の説法を聞かせ、夜は同修とともに母に法を読み聞かせ、発正念をしました。

 それから10日目、その夜、母の看病の当番をしていた一番上の兄が、夜中に母が「師父、師父、私を助けてください、私を助けてください」と叫んでいるのを聞きました。私が朝、入り口を入るとすぐに、兄嫁は興奮しながら、私の手を引っぱってそのことを話しました。

 私が部屋に入った時、母は目覚めていました。母は話せませんでしたが、意識ははっきりしているのがわかりました。私はこの数日のことを母に話すと、母は「覚えていない」と言いました。私は母にうちに向けて探すようにと言うと、母は探し当てたと言い、それは怒ったり、疑ったりすべきではないということでした。

 その後、私は毎日、母に法を読んで聞かせ、発正念をしました。母は次第に食べることも話すことも煉功することもできるようになり、2カ月後には、街へ行って、法輪功の真相を伝え始めました。母は毎日法を学び、朝3時過ぎに起き、2時間煉功しています。

 今年、母はもう82歳になりますが、毎日、真相を伝えています。母は「三つのことがまだしっかりできていません。ただこれからいっそう精進し、そしてやっと、師父の慈悲なる救い済度に報いることができます」と言いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/22/314435.html)
 
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