アメリカ子供弟子:大法の中で成長
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文/アメリカ大法弟子

明慧日本2016年1月17日】私はアメリカ出身の華人で、今年10歳です。私は師父が私を大法弟子の家庭に転生させてくださったことに非常に感謝申し上げます。私は幸いにも大法子供弟子になり、大法の中で成長しています。本日、この数年の修煉体験の一部を師父にご報告申し上げ、同修と交流いたします。

1、学法煉功

 私が母のお腹の中にいるときから、師父の説法の拝聴が始まりました。言葉を話せるようになってから、母は私に師父の『洪吟二』の暗記を教え、また中国語の『轉法輪』の拝読も教えました。最初、毎日一段を拝読し、2年をかけて一冊の本の拝読が完成できましたが、まだあまり理解できませんでした。私は2歳から幼児園に入りました。主に英語で話し、中国語をあまり話せませんでした。その後、私は英語版の『轉法輪』を拝読し、今まで7回拝読しました。また、私は師父の説法の英語版も全部一回拝読しました。2015年の夏休み、私は中国語の『轉法輪』を勉強し始めました。毎日1時間、最初は数段しか拝読できませんでしたが、今では両親と一緒に中国語で法を拝読できるようになりました。学校に行かないとき、私は毎日『轉法輪』を1時間、各地での説法を1時間勉強しました。今、私は全部中国語で学法できるようになりました。

 5歳のとき、母は煉功を教えてくれました。毎日30分の動功と、30分の座禅を煉りました。ある日、母はDVDを間違って1時間のDVDを使い、気が付いた後言ってくれませんでした。私はこんな長くてなんでまだ終わらないのかと感じました。足が痛くなって、母親に聞きましたが、母は微笑みました。私は最後まで続けました。それから、私は座禅を毎回1時間しました。当然、ときには足がとても痛くなりましたが、師父が『轉法輪』の中でおっしゃった「しかし、足を崩すと、せっかくの煉功が無駄になってしまいます。座禅をして足が痛くなれば、しばらく足を動かし、また足を組み直して座禅をする、そんなやり方では、何の効果もありません」[1]を思い出すと、いくら痛くても足を崩しませんでした。ときには、トイレに行きたくても音楽が終わるまで我慢しました。しかし、私は「抱輪」という動功の第二式では、疲れると手を下げました。

 今、学校に行かないとき、私は煉功と学法を各2時間ずつやっています。私にもよくできていないところがあります。例えば、学法のとき、ときには集中できず、煉功のとき、目を閉じるのが好きではなく、座禅するとき、よく動きました。これらのことを今後改善しなければなりません。

2、執着を取り除くことを学び、心性を高める

 以前、私は多くの子供と同様に、電子ゲームに夢中になったことがありました。時間の浪費ばかりでなく、言うことも聞かなくなりました。その後、母はゲームを全部削除しました。私は少し絶望を感じました。ゲームで遊べなくなりましたが、頭では時々ゲームのことを想いました。他の友達が遊んでいるとき、私は隣で見ていました。2014年サンフランシスコ法会での師父の電子ゲームについての説法を拝聴しました。師父は「人にとって大きな誘惑であり、常人にも非常に消極的な作用をもたらしています。そのせい で、人々は真面目に働かず、睡眠も休憩もちゃんと取れません。人間の情が薄れていき、家庭を顧みず、学生はそれで勉強をおろそかにし、はまってしまい、 どっぷりのめりこみ、同様に人類をダメにしているのです」[2]とおっしゃいました。私はゲームが人を害するものだと分かるようになりました。師父は「いかなるものも物質で、聞いたらそれが注ぎ込まれ、身体の中に注ぎ込まれたのです。見たら、それが入って来たのです」[3]。大法弟子として、遊ばないばかりではなく、人の遊びも見てはいけません。今、私は電子ゲームのことを思わなくなりました。師父はこの執着の取り除きを助けてくださりました。師父に感謝申し上げます。

 ある日、私は常人のバンドで練習した後、皆と一緒に椅子を片付けました。友達が数10個の椅子を載せた台車を押しているとき、気が付かずに私にぶつかって転ばせ、そして私の両足の上を通過しました。私はとても痛かったのでした。しかし、師父の「好坏出自一念」[1]を思い出すと、彼に「大丈夫」と言いました。その後、バスケットボールを遊んでいるとき、私はまた2回転び、ボールが私の頭に激しくぶつかりました。そのときも、私は我慢しました。これは業力を消しているのだと思いました。家に帰って、両親にこの出来事を話しました。私は「法輪大法を修煉しなければ、怪我したかもしれません」と言いました。母は「正念があり、悟りが正しかったのです」と褒めてくれました。翌日、足の痛みがなくなりました。実際、これは師父がこの難を受けさせてくださったのです。

3、子供弟子も法を実証しなければならない

 両親は大法弟子ですから、幼い頃私はベビカーに乗って、両親について、大法を実証する活動に参加しました。

 私も両親と一緒に神韻推進の活動に行き、劇場でチラシを配ったり、商業地区でポスターを貼ったりしました。私は一戸一戸のドアに小冊子をかけるのが大好きでした。母が車を止めたら、私は車から下りて、住宅のドアの引手に神韻小冊子をかけ、また車に戻り、次の住宅へ行きました。ときには、部屋の主人がドアを開け、私は直接渡し、そして「これは世界一のショウです。是非見に行ってください」と言いました。

 3年前、私はバイオリンを学び始めました。将来神韻オーケストラの一員になって、師が法を正すことを手伝います。

 5歳のとき、母は私に「ピアノを学びますか」を聞き、私は「バイオリンを学びたい」と答えました。「なんで」と聞かれ、私にも分からず、バイオリンをやりたいと感じました。たぶん久しい年代前の按排かもしれません。しかし、母は担当しているプロジェクトに忙しく、バイオリンの先生を探してくれませんでした。私が7歳になって、母は焦ってきました。母は友達2人に聞き、彼女たちは同じ1人の先生を推薦してくれました。母はこの先生だと思いました。その後分かったのは、この先生はこの地区で最も良いバイオリンの先生でした。母は「このすべては師父の按排です。良い先生を見つけるのは容易ではありません。これからは芸術の向上が速く、曲り道は少ないですよ」と言いました。

 この先生の学生の1人は5歳からバイオリンを学び始め、私より半歳上でした。私がバイオリンを学び始めるとき、彼はPV地区の交響団に入団しました。私は母に「私に学ばせたのが遅かった」と言いました。母は「あなたは毎日1時間多めに練習すれば、2年で追いつけますよ」と言いました。そうですね、師父は「苦を嘗めるをもって楽とす」[4]とおっしゃいました。私は8歳のときから毎日2時間練習しました。学校があるとき、3時間練習し、休日は4時間練習しました。大法を修煉しているから、他の子供のように遊びに熱中せず、心を落ち着けて、苦労に耐えられました。

 また、大法は私の知恵を開いてくださりました。人から教えてもらわなくても、バイオリンの楽譜を見ると、すぐ分かり、数回やった後暗記できました。私のバイオリンの上達はとても速く、1年後私はPV地区の交響団に入団できました。2年前、私は西南青少年音楽祭の試合で、4つのクラスの優勝の賞をいただきました。今、私はモーツァルト、バッハ、メンデルスゾーンなどの作品を学んでいます。私が分かるのは、これは自分にこんな高い能力があるのではなく、みなが師父と大法に与えられたのです。また、自分に歓喜心が生じないように注意しました。

 私のバイオリン先生は中国人で、交響団の指揮者でもあります。ある日、彼は1つ中国共産党の曲を選びました。母は「正念を発し、邪悪の要素を取り除いてください」と言いました。練習とリサーハルのとき、私はずっと心の中で正念を発しました。その後、私は先生に中国共産党の音楽が良くないと直接言いました。私は彼に正念を発し、そして師父にご加護と、また彼に中国共産党のものを選ばせないようにお願いしました。その後、彼は私たちに中国共産党の曲を演奏させるのをやめました。私は母に頼み、先生に三退の事を話してもらいました。幸いにも、彼は以前中国で中国共産党に定められた「黒五類」の家庭で生まれたから、中国共産党、共青団、少先隊に加入したことがありませんでした。母は彼に一部の大法書籍を貸しました。彼は「何回も拝読しました」と言いましたが、まだ返してくれず、まだ拝読しているようでした。私は彼も近い将来修煉に入れるように期待しています。

 私にはまだ多くのよくない部分があり、多くの執着心もまだ取り除けていません。例えば、人に言われるのが嫌い、メンヅを重んじる心、負けずぎらいの闘争心、顕示心などです。今後、さらに精進し、法をしっかり勉強し、自分をしっかり修め、師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度できるように頑張り致します。

 師父、ありがとうございます、皆様、ありがとうございます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『転法輪
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟』「苦其心志」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/12/322045.html)
 
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