重慶市の法輪功学習者 秘密裏に不当な裁判後、刑務所へ
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 【明慧日本2017年2月3日】不当に拘禁されている重慶市永川区の法輪功学習者・代先明さんと面会するため、1月23日、家族は留置場を訪れたが、すでに永川刑務所へ移送されたと告げられた。移送する前に通知すると言われたのに、なぜ知らせてもらえなかったかと問い詰めたが回答はなかった。家族はすぐ永川刑務所へ行ったが、刑務所側は「今どこにいるのか、わからない」と言われた。数回たらいまわしされた後、やっとこの刑務所の第8番区画に拘禁されていると言われた。しかし、数日前に、代さん本人が刑務所から家族へ電話連絡があり、第12番区画だと言われた。

 代さん(64)は去年7月2日13時半前後に、永川区興隆湖路交差点付近で「法輪大法は素晴らしい」 「江沢民を告訴」などの貼紙をする時に、パトロール中の警備員に尾行されたあと連行され、不当に留置場に拘禁された。

 去年10月11日11時40分ごろ、代さんの妻・許克勤さんのところへ突然「明日午後14時に開廷する」との電話連絡があった。許さんは孫を抱きかかえ、代さんの妹と一緒に裁判所へ向かった。裁判所の外に警察の隊長、村の治安弁公室の人員、勝利路治安弁公室の羅明権、永川区公安局国保大隊(法輪功迫害の実行機関)警官・邓(とう)光其、何成軍など数人以外にも、区役所の責任者が数人いた。各自それぞれ管轄区内の法輪功学習者が傍聴するのを阻止するために来たという。しかし、代さんの妻である許さんも法廷に入れてもらえなかった。許さんは諦めず、理由を問い詰め、開廷を知らせる電話の履歴を見せたところ、許可が下りるか聞いてみると言われ、その後、許さん1人だけが入廷を許可された。法廷に入るとすでに裁判が途中まで進んでいた。傍聴席に私服警官が2人、女性1人を含む合計7人の警官が座っていた。

 裁判はあっという間に終わり、2人の警官が代さんの両腕を掴んで法廷を出ていった。許さんはなぜ召喚状もなく、突然開廷するのかと問い詰めたところ、裁判所側は3日に出したという。許さんは誰に渡したかと聞いたが、回答はなかった。しばらく経ってから、代さん本人に渡したという。許さんはそれならなぜわざわざ電話で知らせたのかと問い詰めたら、誰も回答しないまま法廷を後にした。

 代さんは1952年3月7日生まれ、タバコを吸い、大酒を飲み、ギャンブルもやっていた。性格も良くなかったので、家では家族と喧嘩し、離婚寸前だった。体もよくないため、顔色が悪く、リウマチ疾患を持ち、全身に痛みがあり、太腿が麻痺して知覚を失ったという。1997年9月法輪功を修煉してから人が入れ替わったように、悪い習慣を直し、体も健康になった。家族との喧嘩もなくなり、とても親孝行になったので、家族は代さんの変化を喜んでいた。

 しかし、1999年7.20以降、法輪功への迫害がはじまった。代さんは法輪功の修煉を諦めなかったため、2000年から2003年の間、永川区の610弁公室、西大街派出所に4回も不当に連行された。代さんは迫害から逃れようとやむを得ず地元を離れ、住むところも仕事も不安定な辛い生活を余儀なくされた。2005年3月13日代さんは栄昌県の借り家で、栄昌県610弁公室の警官に連行され、拘禁中様々な残酷な拷問を受けた。その後、懲役4年の実刑判決が宣告され、永川刑務所で引き続き不当な扱いをされ、心身ともに苦しめられていた。刑務所を出たあとも、代さんは数回不当に連行された。2011年代さんの父親が亡くなり、代さんは葬儀所で連行された上、強制労働教養を科せられ、辛い労働教養を強いられた。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/30/342413.html)
 
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