チェン州法輪功学習者が迫害され死亡
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 【明慧日本2016年2月3日】2011年5月、南チェン州に在住の法輪功学習者・李甲菊さん(58歳)と夫は永興県「610弁公室」と黄泥郷政府の役員らに自宅に侵入され、チェン州市北湖区党校洗脳クラスに連行された。李さんは断食で迫害に抵抗したため、半月後に不明な薬物を注射され、釈放された。それから体調が崩れ、月に数回にわたって下半身から血が流れた。2012年正月頃、李さんは大量かつ頻繁に血の塊も伴って出血し、寝たきりになり、2012年4月16日に冤罪が晴れないままこの世を去った。


李甲菊さん

 李さんは永興県黄泥郷に在住していた。1997年7月に大法と出会って、多種の病気が全快し、性格もよくなった。

 1999年7月20日に中共の首魁・江沢民が法輪功を弾圧し始めてから、李さんはほかの学習者と同じように世の人々、特に永興県政法委、公安局、「610弁公室」に「中共の虚言を信じないように、自分の未来のため法輪功学習者を迫害しないように」と真相を伝えた。

 2000年12月14日に黄泥郷政府の役員らは30人を集めて李さんの自宅に侵入し、大法の書籍、真相資料など押収し、家中のすべての家具、物品など壊し、李さん夫婦を連行した。途中車内で李さん夫婦に暴力を加え、無理やり鉄筋の上に土下座させた。2人は2日間にわたり手錠、足かせをかけられたままで郷政府の階段の下に拘禁された。真冬のため李さんは寒さに耐えられず、昏迷状態になった後ようやく釈放された。

 2002年10月21日、李さんは黄泥郷で永興県政法委の責任者・許永金に留置場に連行され、6カ月間にわたり迫害され、800元強請られた。

 家に帰った10日後、まだ体調が回復できていないにもかかわらず、夜中に自宅に侵入してきた役員らに留置場に連行された。李さんは半年間にわたって断食で抗議し、危篤の状態に陥り、やっと釈放された。

 家に帰って2カ月も経たない2004年1月、黄泥郷政府の役員らは再び李さんを留置場に連行した。労働教養16カ月を言い渡し、株洲白馬労働教養所に移送し迫害した。李さんは労働教養所で法を暗誦し、正念を発し、断食で迫害を抗議した。危篤状態に陥った李さんは、株洲電車の駅まで送られ、チケットを買ってもらって家に帰されようとした。労働教養所からのお金を拒否し、一銭もないまま駅で2日間過ごし、ようやくヒッチハイクで家にたどり着いた。

 2005年10月21日、李さんはほかの学習者と一緒に長沙女性刑務所に2人の娘(法輪功学習者)の面会に行った時に、待ち合い室で警官に真相を伝え、資料配ったため拘禁され、その後留置場に移送され拘禁された。3カ月後の2006年1月に再び株洲白馬ロン留置場に移送され18カ月間にわたり拘禁された。断食で抗議したため、再び体調が崩れ、家族との面会も許されず、明慧ネットに報道されてから12カ月後に釈放された。

 2008年4月、李さんはほかの学習者と一緒に耒陽市天義郷で真相を伝え、資料を配ったため派出所に連行された。絶えず真相を伝え、釈放するよう求めた。翌日に李さんが釈放され、もう一人の学習者も10日後に釈放された。

 2009年、李さんはほかの学習者と一緒に永興県塘門口鎮で真相を伝え、告発され、留置場に連行された。株洲白馬ロン労働教養所に移送されてから釈放された。

 2010年3月、李さんは一人で永興県鯉魚塘鎮に行くバスで真相を伝え告発され、尾行され、その後鎮政府に連行された。3日後に正念で脱出した。

 2010年4月13日、チェン州市、永興県「610弁公室」、公安、派出所など10数人が李さんの自宅に侵入し、家宅捜査し、大法書籍など押収された上で夫婦を連行した。連行した理由は上海に世界博覧会を見に行ったためである。

 2011年5月、李さん夫婦は永興県「610弁公室」や、黄泥郷政府の役員らに連行され、不明な薬物を注射され、2012年4月16日に冤罪が晴れないままこの世を去った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/7/2/259665.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/7/9/134360.html)
 
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