学法組は交流の場を大切にし、正しく歩むべき
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文/大陸大法弟子

 【明慧日本2016年3月26日】以前、この交流文章を書きたかったのですが、人心に妨げられて書けませんでした。しかし、今日同修の話しを聞いて、この問題の重要さがはじめて分かりました。

  同修は学法組から帰って来た後、話してくれたのは、学法組の同修たちは法の勉強が済むと、一部の同修はこの人の洋服がきれいで、どこで買ったのか、いつか自分も連れて行ってほしいとか、またある同修は、同修の髪をカットしたりしました。もちろん、同修の間でこのようなことをしたりすることがいけないのではく、今、ここは学法の場であることを自覚しなければなりません。

 グループ学法は、師父が与えてくださった修煉の形式で、大法弟子たちの交流の場であって、お互いに促進し合い、共に精進していくための大切な場でもあります。

  中国共産党の独裁に統治されている中国で、大法弟子が一つの学法場所を作るのも容易いことではありません。同修たちもある程度の危険を冒(おか)して学法に来ます。特に学法場所を提供している同修は、大きなプレシャーを負っています。私たちは同修が集まって一緒に交流する1分1秒を、大切にしなければなりません。邪悪は1人1人の 大法弟子の言葉、行動をじっと見つめています。さらに他の空間で旧勢力は、大法弟子の一つ思い、一つの念に、まばたきもせずに見つめています。大法弟子の考えに少しでも誤りがあると、旧勢力たちはこれを掴み、大法弟子を迫害して衆生を壊滅するのです。

 ある学法組は6~7年を経て、皆の歩みが とても平穏且つ正しいものでした。修煉者たちは9時前に学法の場所に着くと、すぐに9時に正念を発し、その後『轉法輪』、新経文を勉強し、内に向けて探し、心性を高めること を交流し、世間話をすることがありませんでした。しかし、この2年来、同修が増え、人心も多くなりました。徐々に資料を作成する同修は、資料を学法の場所に持って きては包装し、自分があまりにも忙しいからと言い訳します。また、同修たちが交流しているとき、ある同修が交流を聞きながら、DVDを包装したり、あれこれよくできていないと言ったりしました。このような交流は、真の交流の目的に達していません。昼ご飯には、1部の同修はお金を少し払い、学法の場所を提供してくれる同修の家で食事をしていました。食事した同修は40代、50代、60代で、食事を作った同修は70代です。その後、学法の前、学法の後、だれかの洋服がきれいだとか、どこで買ったのだとか、いつか一緒に買いに連れて行くようにとか、食事をするときには、このおかずが美味しいとか、あのおかずはどのように作ったのかとかを雑談し、食事を作ってくれる同修の能力がすごいとか、恐怖心もないなどと褒めました。食事前後、少数の人だけが手伝い、片付けます。このように多くの良くない心、たとえば、顕示心、嫉妬心、うらみやねたむ心、自我に執着する心、差別する心、責められたら反発する心などが生じました。このため、ある同修の提案によって、これらを改めるよう交流をしたことがありますが、あまり効き目がありませんでした。

 現在、この大切な学法の場所が破壊され、取り返しのつかない損失をもたらしました。そして場所を提供した同修は、いまだに迫害されています。1人1人の同修は皆、自分の心をしっかり修め、口も修めてみてください。これはある一部の人に対する意見ではなく、修煉者が皆法の上で向上するためなのです。師父は「人心を片付けば悪は自ら敗る」[1]とおっしゃいました。私たち修煉者が皆人心を取り去り、自分を律し正せば、だれが敢えて、私たちの同修を迫害するでしょうか?

 師父の説法班に参加したことがある同修は、当時の学法場所でどのように法を勉強したかを書いて、皆に参考になるようにお願いします。

 法に合わないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。     合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「哀しむ別れ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/3/11/325202.html )
 
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