明慧法会|新年の特別な「贈り物」
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年5月29日】私の母は79歳で一人暮らしをしており、私たち姉妹の何人かがちょくちょく母の家に行って世話をしています。母は以前、私や同修と一緒に法輪功を学んでおり、とても健康でした。しかし、1999年に中国共産党が大法を迫害してからは、修煉しなくなり、年齢が増すにつれて各種の病気が出てきましたが、昨年から再び修煉を始めると、まもなく病気はすっかりなくなり体が良くなったので、私のいとこ(訳注:母の姪)に電話して「もう外国から薬を取り寄せなくていいよ。もういらなくなったから」と言い、家にあった大びんのアメリカ製のカルシウム剤を3番目の妹(訳注:私の妹)にあげました。

 前回、行った時、母が話したことですが、早朝外に出てみると、アパートの玄関の前にごみ袋が置いてあったので、捨てに行ったそうです。ところが次の日、妹(訳注:私の妹)が外に出てみると、また玄関にごみが置いてあったので、怒って「これは誰かが知らないうちに捨てたのよ」と言い、妹はゴミを捨てに行きましたが、それから、3日も4日も数日連続して玄関にごみが置いてありました。妹は激怒し、玄関の所に立って「誰がこんなえげつないことをしたのですか? 次に見つけたら、ただじゃおきませんよ!」と罵りました。もともと妹は短気で、せっかちな性分です。妹の罵り声に母もひどくびっくりし、慌てて妹の腕を引っ張って家の中に入れ、「そんな大声で罵らないで。私は今、大法を学んでいるのだから、あなたと同じように思われたら困るのよ。師父は私たちに寛容で人と譲り合うように求めておられるのだから」と言いました。妹は「そういうことを言わないでよ。もう頭に来て死にそうなんだから。絶対に彼女たちの家(上の階を指差しながら)の小6の子供がやったんだわ。見て、あの漢方薬のかすを。毎日道路にまき散らしているのよ。ごみを台所の窓から直接下に投げ捨ててるのよ。だからゴミ箱(訳注:アパート共用のごみ箱)の周りは汚れた水と漢方薬のかすだらけよ。みんな上の階がやったんだわ。あそこの母親はやかましい女だってみんな知ってるわ。今はあの家のいじめがアパートの玄関まで来たのよ」と言いました。

 それからというもの、妹は母に玄関の掃除をさせず、母が玄関を掃除しているのを見かけると「お母さん、やめなさい。疲れるだけで骨折り損よ。掃除したって意味ないでしょ?!」と叫びました。母はしぶしぶ戻って来て、口の中で「ちょっと運動代わりにやってるだけよ。玄関がきれいになってたほうが気持ちいいじゃないの?」と言いました。

 年末が近づき、妹が母の家に行き、私も行きました。私は母に「問題があった時は内に向けて探し、自分のどこが良くないのかを見つけなければなりません」と言いました。すると母は「わかってますよ。自分の言ったことややった事で人を傷つけたことがないかどうか、考えています」と言いました。

 旧暦の12月26日、私たち一家は新年を迎えるために母親の家に行きました。元旦に私と母は3番目の妹の家に行ってから帰って、戸をあけて新聞を取ってこようと思いました。母は古いアパートに住んでおり、扉の裏側の壁の下に漬物の缶が置いてあり、缶の上に竹かごが置いています。郵便配達人は新聞を竹かごの中に置いていくのです。竹かごを開けると、私と母はあっけにとられてしまいました。黒いごみ袋が二つ、竹かごの中に入っていたのです。私たちは目を大きく開け、お互いに目を合わせ、「家族に知らせてはいけない」と暗黙の内に約束し、「そっと捨ててしまえばいい、せっかくの春節だというのに、このような『贈り物』を受け取ってしまったのでは、みんな気分を悪くするに違いないから」ということになりました。

 正月3日と5日にも同じような「贈り物」を受け取りましたが、私たちは気にせず、家族もまた、この事を知りませんでした。

 正月5日の午後、私たちは母の家を後にし、3月16日、母の79歳の誕生日を祝うために再び母の家に行きました。私は母に「私が帰った後、あの『贈り物』はまた来ましたか?」と聞きました。すると母は「来ました、正月の28日までずっとね。たまに2日だけ来なかった日があったけど、毎回2袋とどきました」と言いました。私は「旧正月の前から正月の28日まで合わせて40日以上になる」と思いました。そこで私は「お母さん、その間、お母さんの心性は本当に向上しましたか」と言いました。すると母は「時には気持ちが落ち着かない事もあり、竹かごのふたを開ける時は本当に心臓がドキドキし、二つのごみ袋を出してから水で流して、お湯で消毒しました。漬物を缶の中からすくいあげて家の中に入れ、竹かごの底にたまった汚水を捨ててから新聞を敷き、その上からビニールを敷きましたが、胸の内が切なくしゅんとなりました。そして、この年になってこのような虐げを受けるなんて、と思いましたが、座って法を学ぶと、気持ちが落ち着きました。その後、だんだん気にならなくなり、ごみがあったら捨てる、というわずかな骨折りがあるだけで、どうってことはなくなりました。私たち修煉者は縁を重んじ、みんな一緒に住んでいるのですから、みんな縁のある人で、以前、お年寄りは『互いに恨みを報い合う』と言いましたが、いずれかの前世で他人に借りがあったのかもしれませんね? そのため少しばかり損をし、悔しい思いを味わいましたが、これで債務はすべて返済し、心性が向上してきたわけですから、これは良いことだったのではないでしょうか? 師父は『轉法輪』の中で『心性の高さは功の高さ』と説かれていました」と言いました。

 私たちのこの話は3番目の妹に聞かれてしまいました。3番目の妹は「お姉さん、これがしゃくにさわることだと思わないの。私はあそこの家に行って白黒をはっきりつけたい。喧嘩しに行くんじゃなく、意見をたたかわせに行くのよ。こういうことはすべきでないんじゃないの?!」と言いました。母がまじめすぎるので一生いじめを受ける、と3番目の妹は不満に思い「今度ごみを捨てたりしたら、すぐにあの母親を見つけ出してやるわ!」と言いました。

 母は慌てて「探さなくてもいいわよ。今はごみを置かなくなったし、積極的に掃除してて、いつも玄関をきれいに履いてくれてるわよ。この間、あんたが王おばさん(4階の隣人)と買い物から帰って来た時、玄関がきれいに掃除してあったのを見たでしょう」と言いました。私は「ほら、こんなに精を出してきれいにしてくれているんだから、申し訳ないと思うでしょう。本当に感謝しなければなりませんよ」と言いました。するとちょうどその時、上の階の小6の子供が上から下りて来て「本当に感謝しなければなりませんよ」というところを聞いていたので、私と母と小6の子供の3人は嬉しそうに笑いました。

 私は「お母さんの善が彼女を感動させ、恨みは善解しました。なぜなら大法弟子は師父の教えに従って、よい人になり、さらによい人になり、常人を超えた良い人になろうとしているからです」と言いました。

 3番目の妹はまだ怒りが収まらず、うっぷんがたまった様子で「他の人だったらひどく怒るはずなのに、あなたたちはとてもよく気が合うのね」と言いました。私と母は3番目の妹の言葉に納得して心から笑いました。

 3番目の妹は立ち上がり、帰り支度をはじめ、玄関まで行った時、突然足を止め、突然悟ったように「今やっと理解したわ。家族の中であなたたちだけが病気がなく健康なのは、心がけが違うからね。法輪功は打ち倒すことができないし、人の心は打ち倒すことができないからね」と言いました。

 私と母は喜んで微笑み、3番目の妹がこのような認識を持ったことに驚き、そして安心しました。

 考えてみれば、この新年の「贈り物」を受け取ったことは無駄にならなかったのです。「贈り物」の意味を理解したおかげで、みんな向上し、悟ったのですから。

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/4/318471.html)
 
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