コツコツと蒔いた大法の種が、今花開く!
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文/中国・四川省の大法弟子

 【明慧日本2016年9月28日】私と夫は同じ村に生まれ、実家の親も共に真面目でおとなしい農家の人でした。世の中には思いもよらない異変が起きるもので、運命は私達にあらゆる苦しみを嘗めさせました。夫が6歳の時、母親が5人の幼い子供を残して、亡くなりました。その時、上の子は13歳で、下の子は2歳にもなっていませんでした。父親は子供の面等を見ながら、畑仕事をしなければならないため、いつも、こちらの方に気を取られると,あちらの方がおろそかになり、結局、8歳の姉が弟と妹の面等を見ていました。5人の兄弟はお腹いっぱい食べられたり、食べられなかったりして、時には他の子供にも虐(いじ)められ、その惨(みじ)めな幼子の姿は、誰が見ても涙を誘いました。

 物心がついた時、母は肺気腫などの病気を患い、兄もひどい心臓病があり、2人はいつも寝たきりの状態でした。妹は体が弱く病気がちで、日夜働く父も不幸にも食道癌になりました。幼い私は毎日学校から帰ってくると、両親と兄弟の面等を見ながら、農作業も手伝わなければならず、毎日本当に疲れ切っていました。両親と村のお年寄りは私を見ては心を痛めて涙を流し、いつも私に、「お前はね、まだ小さいんだから、くれぐれも体を壊さないでおくれ」と心配してくれました。

 13歳の時、父親は病気で亡くなり、我が家の大黒柱が崩れ落ちました。生活の重荷がいっぺんに私の肩にかかり、退学せざるを得なくなりました。労働点数で生活費を稼ぐあの時代では、一生けんめい働いても、一日わずか7銭しかもらえませんでした。両親の治療費を捻出するため、家のお金になるものをすべて売ってしまい、さらに借金も抱えて、13歳の私にとってどれだけ大変な状況だったでしょうか。

 19歳の時、私は結婚しました。夫について、労働者を募集する四川省のある国営企業で働きました。苦しい生活とはついにお別れだと思いました。

 私はようやく手に入れたこの仕事をとても大切にして、毎日早く出勤し遅く退勤して、コツコツと働き、優れた業績を上げ、部長クラスまで昇格しました。しかし、いつしか体が思うようにならず、相次いで、肩関節周囲炎肩、頸椎骨増殖症、右足の多発性硬化症、内外痔核、鼻腔癌にかかり、さらに、仕事の事故による椎間板ヘルニアなどを入れれば、十数種類の病気を持つようになりました。持病が再発すると、新聞紙一枚でさえ持ち上げられず、身の回りの事すら自分でできなくなりました。

 夫も胆嚢炎、十二指腸潰瘍などを患い、長い間血便を出していました。持病が再発する度に、痛みで汗をだらだらと流し、顔色が紫色になり、よくベッドでのたうち回りました。当時、夫は仕事で忙しく、私は3人の学校に通う子供の面等を働きながら1人で見なければならず、言葉にならないほど大変でした。気性が激しいは思う通りに行かなければ、すぐに私と子供たちに八つ当たりしました。

 今まで、バリバリと働いてきた私は、病弱な体になり、苦境に陥りました。その時、自分の生命の究極な意味を考えるようになりました。「どうして幼い時から、これだけ多くの苦難に耐えなければならないのか、人生の意味とはいったいなんだろうか」と考えました。しかし、誰も答えてくれず、絶望的になり、目の前が真っ暗になりました。

九死に一生を得る

 1993年4月、私は病状がひどくなったため、125病院に転院しました。職場の上司が見舞いに来てくれて、私の落ち込んだ様子を見て、「そんなに悩まないで、新しく習った気功を教えるので、きっと元気になりますよ」と言ってくれました。「なんの功法ですか」と聞くと、「法輪功だ」と言い、「法輪功はとても素晴らしく、人に心を修めさせ、いい人になるように教え、道徳水準を高めることができ、さらに、健康維持にも素晴らしい効果がある」と教えてくれました。それを聞いた私に少しの希望が見え、「ぜひ教えてください!」とお願いしました。その時、私はまだあまり動けない状態でしたが、上司は病室で、法輪功の五式の功法をやって見せてくれました。私はとても真剣に見、見よう見まねで、すぐにこの五式の功法の穏やかで、のびやかな動きを全部覚えました。帰る前に、上司は「動けるようになったら、ベッドから下りて煉功してくださいね。病気はすぐに治りますよ」と言い残して帰っていきました。

 上司が帰ってから、私は心を込めて確認しながら、一回、また一回と学び煉功しました。煉功する度に、一筋の熱い流れが全身を貫通するように感じ、体がポカポカしてきて、とても気持ちよくなりました。翌日、長く寝たきり状態の私でしたが、何度もベッドから下りれるようになりました。私はいっそう自信を持つようになり、絶えず煉功をしました。3日目には、自分で階段を上って、ベランダに出て煉功ができるようになり、嬉しくてたまりませんでした。5日目、主治医に退院したいと申し出ました。主治医はとても驚き、「あんなに病状がひどかったのに、どうして突然よくなったのか?」と聞きました。「法輪功というとても素晴らしい功法を習いました。煉功をすると数日間で病気が全部治り、ベッドから下りて普通に歩けるようになりました」と言いました。主治医はとても不思議そうに、「それは凄いですね」と言い、私の退院する気持ちが固いと見て、「あなたがどうしても退院したければ、退院してもかまいませんが、家に戻ったら、必ず15日間ベッドにじっと寝て休み、出勤はその後ですよ。さもなければ、病気が再発しますよ」と言い聞かせました。私は「もう再発なんかしません!」と心の中で叫びました。

 家に帰った後、私は何か取りついたように、毎日煉功しました。そこに立てばすぐに心が静まり、自分がとても高くて大きく感じました。すべての建物、草や樹木は私の足元に低くあり、とても気持ちがよくて、素晴らしく感じました。

 病気の休暇がまだ終わらないうちに、早々と出勤しました。上司も同僚も皆、「あなたは肌が白く赤みが差して、若返り、とても綺麗になったわ。もう、病人にはとても見えないわ」と喜んでくれました。

師を求めて、縁が結ばれる

 1993年9月のある日の夜、私はうとうとして、自分がとても古い寺院に来た夢を見ました。庭の中に高く大きな家屋があり、紫の袈裟を身に纏(まと)われた師父が、軒先に立っておられ、威厳がおありでした。私は急いで前に進み出て、敬虔に道をお尋ねし、「李洪志師父でいらっしゃいますか」とお尋ねしました。師父は微笑みながら、頷かれました。私はさらに、「功法を教えていただきたいのですが」と言いますと、師父は依然として微笑みながら頷かれ、左の方に手を振られると、その瞬間、多くの和尚が整然として庭の左側の塀の前に立ち並びました。私も足早にその中に入りました」。そして目が覚めました。

 翌日は週末で、功法を教えてくれた上司から電話がありました。一緒に師父の功法を教えるビデオを見ようと誘ってくれました。私は嬉しそうに夢の光景を話しましたら、上司は、「じゃ、早く来て、師父であるかどうか確かめてください」と言いました。午後、上司の自宅に行き、師父のビデオを見て思わず、「間違いなく、夢の中の師父と同じ方です」と叫ぶと、その場にいる人たちも皆感激して、涙を流しました。

 1994年4月になり、その日は快晴で明るい日でした。北京から戻ってきたOBから、師父は近いうちに重慶で講習会を行う予定があると教えてもらいました。やっと師父にお会いすることができると思って、心の中で嬉しくてたまらず、ぜひ重慶の江北体育館に行って、師父の講演会に参加しようと固く約束しました。

 講習会の1日目、ホールに入ると、重慶の同修は一番前の席を、私達遠方から来た学習者に用意してくれました。数千人の入る大ホールには、人がいっぱいで、通路まで、席が追加されました。体育館の外にもたくさんの学習者がいて、皆、師父の到着を待ち望んでいました。

 間もなく、体が大きくて、気宇が非凡であられる(訳注:類まれな、桁外れた才能、度量のあること)師父が笑顔で現れ、元気な足取りで講壇に上がられました。ホール内は盛大な拍手で、長い間鳴り止みませんでした。師父はとても優しく片手を立てられ、次いで皆に静かにと合図がされると、拍手はたちまち鳴り止みました。

 師父は壇上に姿勢よく座られ、上着のポケットから名刺大の紙を取り出され、それを机の上に置かれ、講義を始められました。私は一言も漏らさないようにと、細心の注意を払いながら集中して拝聴しました。

 数日間の講習会が終わると、師父が説かれた法は私の心の中のすべての問題を解いてくださり、何もかも分かりました。これまで見舞われたすべての魔難と苦しみは、自分の生まれ変わりの中の因果によるものだと分かりました。また人生の目的と生命の意味も分かりました。私は今までにない心の安らぎと喜びを感じました。説法されている間、ホール全体が師父の強大な功とエネルギーに覆われ、会場は静かで平穏で、たばこを吸う人も、席を離れる人もいませんでした。その後、天目が開いた学習者から聞いたことですが、会場で、師父は無数の法輪を打ち出され、師父の法身は学習者の体を浄化してくださったそうです。また1人の学習者は自分の体を、師父が清らに、かつ透明に浄化してくださったと言いました。

 1994年4月の下旬、夫は幸運にも師父が成都で開催された講習会に参加できました。帰ってから、夫は全く別人のように生まれ変わり、顔は赤味がさし、つやつやしていました。は興奮して、自分の身に起きた非常に不思議な出来事を話しました。ここで、その中の二つの例を挙げてみます。

 師父は各種の執着心を取り除くようにと説かれた時、「皆さんに忠告しますが、真に修煉したい人は今からタバコをやめてください。必ずやめられることを保証します。この講習会の会場にタバコを吸いたいと思う人は誰もいないでしょう。そのようにあなたはやめたければ必ずやめられます。再びタバコを口にすれば、変な味がするにきまっています」[1]とおっしゃいました。講義が終わった後、夫と数人の同僚が部屋に帰って、習慣的に中の1人が1本のたばこを口にくわえて、火を付けましたが、吸うと、「わあ、これはまずい! 違った味がする」と叫びました。それから、夫と他の数人の学習者は数十年吸ってきたたばこをピタリと止めました。

 最後の講義で師父は慣例を破って、学習者たちに今から病気治療を行うとおっしゃいました。師父は学習者全員を立たせ、自分の病気のある部位を思うように要求され、病気のない人は家族の病気のある部位をうように要求されました。その時、夫は兄の気管支拡張症を思ったそうです。準備ができ、師父が「一、二、三と言ったら、全員足を踏み鳴らしてください。病気は直ちに治ります」とおっしゃいました。

 その後、夫が兄に電話をすると兄は嬉しそうに、「なぜだか知らないが、突然ご飯を食べてもむせなくなり、のどが治った」と言いました。

 夫も数十年の頑固な病気が、全て消えてなくなりました。

 あれから、二十数年間、師父のことを思い出す度、感謝の念で涙がぽろぽろと流れてきます。師父の講習会に参加できたことは、私の一生の中で最も幸福な事でした。

心身ともに大な変化を

 仕事と生活の中で、私は「真・善・忍」の基準に基づき、厳しく自分を律して、いつでもどこでも他人の為に考え、他人に優しくし、名誉や利益を求めず、欲張ることもしません。私が担当する部門の業績は、同業者の中でいつも上位を占めており、連続3年で省の軍事工業の業界で、優秀企業に選ばれました。私個人も何度も優秀な社員として表彰されました。

 夫にも心身共に大きく変化が現れました。問題に遇えば、私たちは師父の法によって、私たちの行動を指導します。師父は『轉法輪』の中で、「われわれ煉功者においては、トラブルが突然現われることがあります。その時、どのように対処すればよいでしょうか? 平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」 [1]と説かれました。

 夫はお酒とたばこをやめただけではなく、怒りっぽい性格で会社でも有名なは、その性格を改め、皆に注目され、 しきりに褒められるようになりました。

 今、私と夫はすでに70代になりました。私たちは毎日法を学び、煉功をし、真相を伝え途切れることがありません。私達はともに健康で、顔の血色がよく、二十数年来、1粒の薬を飲んだこともなければ、一回も注射したことはありません。本当に無病で軽快な体の素晴らしさを実感しています。

 こんなに素晴らしい功法を他人に伝えないわけがありません。私達は一緒に何度も故郷に帰って、親戚や友達、また昔の同僚たちに大法の福音を伝えました。多くの人は私たちの変化を見て、法輪功の真相を知り、三退をし、そして「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と心を込めて念じるようになりました。また、縁のある人は大法修煉にも入って来ました。こうして、大法の素晴らしさは、大法弟子によって中国全土に、また世界中の人々に絶え間なく、揺るぎなく広まっています!

 注:
 [1]李洪志師父の著作『轉法輪』

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/17/335092.html )
 
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