内モンゴル 迫害で死亡の学習者の妻 江を告訴
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 【明慧日本2016年10月31日】内モンゴル・モリンダワ・ダウール族自治区の法輪功学習者・周儉さんは、2007年にダウール族自治区裁判所から4年の判決を下された。2010年5月31日に内モンゴル保安沼刑務所で迫害により死亡した。享年61歳だった。周さんの妻・田秀英さんは、2015年8月5日に、最高検察院と最高裁判所に江沢民を告訴し、刑事責任を追及するように求めた。 

 以下は周さんが不当に連行され、迫害を受けた経歴である。 

 1999年7.20、元中国共産党国家主席・江沢民は国家の機能をコントロールして、法輪功の弾圧を開始した。同自治区の周さん夫妻もいろいろな迫害を受けた。 

 2000年の冬、同区の派出所の所長・崔志学は周さんに、毎日朝晩2回必ず派出所に顔を出して、掃除をするよう強要した。 

 2000年12月22日の夜、同区の610弁公室の責任者・張世斌と派出所の警官は、周さんを含む数人の学習者を連行し、15日間拘禁した。 

 2001年3月、同区の610弁公室は洗脳教育を行った。派出所の副所長・敖承清、警官・馬樹成は周さんを含む18人の学習者を連行して、45日間洗脳班で迫害していた。そして、一人につき月300元の食事代を要求した。 

 2001年7月中旬、周さんは法輪功のため北京に行って陳情し、拘束された後、自力で脱出した。610弁公室の張は周さんを拘束するため、妻の田さんに「周を出さなければ、娘の仕事をなくす」と脅した。周さんは仕方がなく、拘束されるしかなかった。 

 2002年の春、周さんは娘の家に行き、紅彦駅で汽車を待っている時、警官にカバンを強制的に検査され、『轉法輪』の本があったため、610弁公室の職員に刑務所に連行され、15日間拘禁された。 

 2002年4月25日、610弁公室の責任者・張と同区の副書記・趙立富、派出所の副所長・敖承清などは、周さんを含む数人の学習者を連行し、博栄郷の洗脳班に25日間拘禁し迫害した。 

 2007年5月8日午後、610弁公室の張と副所長・敖承清、警官の張柏明、馬樹成などは、同区の学習者を全面的に不当な連行をしていた。周さん夫婦を含む多くの学習者は派出所に強制的に連行された。当日の夜、田さんは脱出して、各地をさまよっていた。次の日、他の学習者は同区の刑務所に15日間拘禁された。周さんは刑務所で心臓病を突発したため、保釈された。 

 2007年10月の末、周さんは610弁公室の張に再び連行され、刑務所で迫害された。2008年1月、同区の裁判所は周さんに懲役4年の判決を下した。内モンゴル保安沼刑務所の第二区で、周さんは迫害のため、心臓病を何度も再発し、病院に送られていた。周さんの病気が重くなっても、同刑務所は家族に通知しなかった。 

 2010年5月31日の朝、田さんに刑務所の政治課長・徐金弟から電話があり、周さんは重病のため、刑務所が管理している病院に入院していると通知された。田さんが病院に着いた時、周さんは既に死亡していた。 

 田さんが周さんの身体を触った時、まだ温かく、上半身裸で受刑者用ズボンをはいていた。周さんは口を開き、右手を上に上げて、右足を高く上げていた。正常な死亡ではないことが一目で分かったという。徐金弟は田さんに「死亡していなければ、会わせていない」と言った。 

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な関係者らの情報は、中国語のページを参照) 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/10/11/336173.html)
 
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