文╱中国の大法弟子
【明慧日本2016年12月14日】修煉を始めてもうすぐ4年になりますが、今までずっとうまく行ったりうまく行かなかったりして、一貫して精進する状態を保つことができませんでした。今度の中国大陸大法弟子の法会では、たくさんの精進をしている同修の体験や、修煉を始めて間もない若い同修達の修煉体験の交流を見て、自分もさらに頑張って先頭に追いついて行かなければならないと思いました。あれこれ思い悩まず、この交流文を新たな起点にして、残された最後の時間をしっかり着実に修煉しようと決意しました。
修煉を始めた時、古い同修達は新人の私を指導し、気遣い、法をたくさん学ぶようにとアドバイスをしてくれました。しかし、当時、私の頭の中に、新しい学習者や古い学習者の概念もなく、皆が資料を作るのに忙しく、人手が足りないため、私も自然に手伝うようになりました。当時、法を学ぶことにとても熱心で、真剣で、毎日異なる次元での向上と変化を実感しました。
夫(同修)との対立も絶えず私に反省させてくれました。当時、私達は新婚ホヤホヤでした。常人の考えでは、新婚というのは、夫婦間の感情が最も和やかで、お互いに譲り合う時期だと思われていますが、しかし私達の場合、外部の要因や双方の実家が原因で、時には、2人の間にとても激しい対立が生まれました。その対立は非常に激しく、しかも突如やって来るので、どう対応すればいいか分からず困っていました。しかしいくら対立が激しくても、ものすごく怒っていても、私は黙々と心の中で自分を探しました。探している間に怒りが消えてなくなり、自分の様々な問題を見つけることができました。問題が見つかれば、トラブルも自然に解消しました。
絶えず法を学ぶことによって、長年私を悩ませてきた疑問が次第に解け、命の根源、生命の意味が分かるようになりました。様々な問題に遭遇した時、師父がおっしゃった「内に向けて探す」という法理で自分を見ることが出来ました。毎回、直ちに、自分を探すことが出来なくても、トラブルの中で自分は修煉者であることを自覚し、いままでのように他人ばかりを責めるのではなく、自分の問題を探す事ができました。こうして、トラブルがあっても、おだやかになり、明るくなりました。
修煉を始めたばかりの時、私は主に『轉法輪』を学び、師父の他の説法と経文をあまり読まず、明慧ネットもあまり開いていませんでした。最初の頃は個人修煉の小さな枠の中に留まり、資料を少し作っている程度でした。師父の『各地での説法』を学び、明慧ネットにアクセスする回数が増えるにつれて、今までのようなやり方ではもうだめだ、外に出て真相を伝えなければならないと、次第に意識するようになりました。
こうして、私達夫婦は夕食後の時間を利用して、外に真相シールを張りに出かけ、縁のある人に真相を伝えるようになりました。最初の頃、真相シールを貼る時、いつもドキドキして、何度もうまく貼ることができず、シールを無駄にした事がありました。その後、自分の恐れる心に気づき、正々堂々としていないことをとても悔やみました。そこで、師父の詩「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[1]を暗唱しました。暗唱すればするほど、心が明るくなり、正念と自信も強まり、次に貼る時きれいに貼れるようになりました。
真相シールを貼っている場所を通りかかるとき、数日経ってもシールが剥がされずそのままで、人々が集まって読んでいるのを見ました。心を純粋に清らかにしていればいるほど、張り出したものは威力があり、常人も絶えず見に来て、しかも長く保つことが出来ると体得しました。なぜなら、何もかも「修は己にありて、功は師にあり」[2]ですので、すべて師父が按排されているからです。
真相シールを貼りに出かける時、縁のある人と出会うと真相を伝えることも試み始めました。私はあまり人と雑談するような性格ではありません。最初に真相を伝えた時、本当に多くの心性の試練がありました。例えば、どんな話題を会話の切り口にするか、どうしたら話題を興味のある方向に導いて行くか、どういう形で真相を持ち込んで来るかなど、家でさんざん考えていても、いざ出かけてみると、言葉が一つも出てこないこともしばしばありました。
ちょうどこのころ、江沢民を告訴する大潮が始まり、同修達は続々と告訴状を送りました。それから、真相シールを貼ることや真相を伝えることにも変化が起きました。真相シールを貼る時の心理状態も変わりました。今までのように法を実証することをやって見るという気持ちから、やるのが当然で、自分が最も正しい事、最も素晴らしいことをやっていると思うようになりました。以前、夜1人で外を歩くことが怖くて、特に辺鄙な所だと、昼間でもあまり外に出たくない私は、今、自分1人で、冬でも、朝の煉功が終わって発正念をしてから、まだ暗いのに堂々と出かけて真相シールを貼りに行くようになりました。以前の自分を思うと不思議で、とても信じ難いことでした。
面と向かって真相を伝えることにも進展がありました。ある日、ラーメン屋でたまたまある男性と隣り合わせて座りました。男性はもうすぐ食べ終わるところですが、私のラーメンはまだ来ていませんでした。同じテーブルでご飯を食べることはきっと縁があると思い、どうすれば彼に真相を話せるだろうと考えました。彼はずっと携帯電話を弄って、周りのことをまったく気にしていない様子でした。私はどうやって彼と話を交わせるかを悩んでいるところに、私のラーメンが来ました。この時、奇跡が起きました。男性は携帯電話を片付けて、とても真剣に私のラーメンを眺めて、「これはなんのラーメンですか」と話しかけて来ました。私達は会話を始めました。話の中で、幾つかの科学の話題に触れ(彼は科学に興味がありそうでした)、大学を卒業して、就職の話に移り、さらに神の存在があるかどうかの話になり、次第に真相を伝えるようになりました。
店には防犯カメラがありましたが、その時、私には恐れる心はまったくありませんでした。師父が按排された縁のある人だから、決してチャンスを逃さないようにしようと必死でした。話に花を咲かせて、店主でさえとても真剣に私達の話を聞きにきて、興味津津でした。店には相変わらず人が行ったり来たりして、私達の会話はまったく気にされていない様子でした。最後に、夫も真相シールを貼り終えて帰って来ました。私達はお互いに協力して、私が話している時、彼は正念で加持してくれ、彼にもっと良い話題があれば、私は発言をやめて彼を加持して、衆生を救い済度することを邪魔する邪悪要素を一掃しました。最後に、男性は少年先鋒隊を脱退しました。私達は彼に新しい卓上カレンダーをプレゼントすると、名残惜しそうに手を振って別れの挨拶をしてくれました。
あの瞬間、本当に衆生が救われることを待ち望んでいる気持ちを感じ、救われた後に自然に顕れた喜びを感じました。さらに師父がいつでもどこでも弟子の側におられ、私達の心の願いを何でもご存じで、法に則っていれば、なんでも按排してくださることを体得しました。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「正念正行」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』