生死の関をいかにして乗り越えたか
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年2月14日】私は1996年から法輪大法を修煉しはじめました。20年間修煉する中、たくさんの魔難に遭い、病業の関や、生死の関を一つ一つ乗り越えてきました。私の生命は師父が延長してくださり、もし師父が守ってくださらなければ、とっくに終わっていたはずです。慈悲なる師父は、乗り越える度に毎回私に新しい生命をくださり、魔難の中、師父の偉大さ、法の偉大さを体験させてくださいました。ここでは、私が病業や生死の関を乗り越える中で体験し悟ったことについて、同修のみなさんと交流し、共に向上し共に昇華していきたいと思います。

 20年間の修煉の道のりにおいて、私は何回も生死の関、病業の関に遭遇しました。師父のご加護の下、私はこれらの関を一つ一乗り越えてきました。関を乗り越える過程において最も深く感じたのは、下記の4点です。

 一、生死を放下する

 師父は 「もしある修煉者が本当に生死を放下することができれば、生死は永遠にあなたから離れてしまいます」[1]と説かれました。

 2002年9月、修煉環境が悪くなり、私の学法煉功が緩んだとき、旧勢力に隙きに乗じられました。私は肺がんを発病した上、全身が腫れて痛くリューマチの関節炎も発症しました。夫が私をつれて病院に行きましたが、医者は私が末期の肺がんで左側の肺は全部ボロボロになり、右側の肺も上部がすべてボロボロで、ただ下部だけが少しよい状態にあるだけです。よくもっても、あと最大3日しか生きられないと言われ、院長には最大3カ月しか生きられないと言われました。

 当時は、まだまだ暑い9月の時期でしたが、私は綿入りの服を着ていました。関節が痛み、肺がんで全身が痛み高熱が出たり、体が冷えて震えが来たりを繰り返していました。医者はあまりにも痛いようなら、痛み止めの薬を飲むようにと言いましたが、薬の3割は毒だと知っているので、何を言われても薬は飲みませんでした。

 私は夫に 「師父だけが私を救えます。あなたは怖ければ、他で住んでも構わないのよ」と伝えると、夫は部屋を借りてよそ生活しました。それで当時、自宅には私1人で誰も助けてくれる人がおらず、私と交流し発正念してくれる同修もいませんでした。こうして、私はたった1人で師父のご加護の下、生死の関を乗り越えてきました。親戚も1人もいなかったため、食べ物がなくなると3日間水道の水を飲み、夜に痛みで眠れない時は学法をし、煉功をしました。

 私は師父に 「修煉がよくできていませんが、死ぬことは恐れていません。ただ大法に悪い影響を与え、大法を破壊しなければそれでよろしいです」と申し上げました。なぜなら、私は現地ではじめて法を得た者で、周囲に与える影響が割りと大きいからです。

 二、師父について家に帰ると一念を発する

 2点目に重要なことは、生死の関を乗り越える時、師父について家に帰るという一念を発することです。

 当時、関を乗り越える時、私は師父に 「師父、私は必ず師父と一緒に家に帰り、この世に残りたくありません。この世に何の未練もなく、死ぬことを恐れません。私は必ず師父と一緒に帰る一念を発し、死ぬことを恐れません。しかし、私は師父が法を正すことを助けるためにやって来ましたが、まだ誓約を果たしておらず、衆生はまだ救われていませんので、私は死ぬわけにはいきません」と申し上げました。

 私達の道のりには偶然な要素などありません。もし師父の按排された道を歩まなければ、必ず旧勢力の按排した道を歩んでしまいます。この肝心な時に、旧勢力に動かされ自分の肉身を絶対に奪われてはいけません。この点が非常に重要です。当時私はどこまでも、師父について行かないといけないと悟りました。旧勢力の按排した道を歩んではならず、強く否定すべきです。もし肉身がなければ、どうやって師父と一緒に家に帰れるでしょうか!

 三、100%師父と法を信じる

 師父は 「一部の修煉者は関がとても大きいと思いますが、実はそれほど大きくないのです。それが大きいと思えば思うほど、関は大きくなり、あなたは小さくなるのです。もし気にせず、気にかけなければ、緑の山さえあれば、薪がなくなる心配はなく、師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか? 無視すればよいのです! 放下すれば、関は小さくなり、あなたは変って大きくなり、一歩だけで乗り越えてしまいます。その難は何程のものでもありません。必ずそうなるのです」[2]と説かれました。

 当時、師父のこの段落の法の内涵が頭に浮かんできました。法を学び知っていますが、師父はすでに私達を地獄から除名されましたので、地獄の閻魔大王もあえてあなたを受け入れられません。「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」です。死ぬことを恐れなければ、必ず乗り越えられます。

 師父は 「邪悪が彼を殴った時、彼も自分が大法弟子であることを忘れ、師父に助けを求めようということに思い至らなかったのです。また、一部の学習者が師父に助けを求める時も強い恐怖心を抱いています。多くの人は殴られて非常に痛い時に、口の中で 『マヤ、マヤ』と叫んでいます」[3]と説かれました。

 私が聞いたところ、多くの同修は迫害で殴られた時の一念が、師父ではなく、みな 「マヤ、マヤ(注:中国人が痛いと感じる時の叫び声)でした。

 関を乗り越える肝心な時、必ず100%師父と法を信じなければいけません。一度、警官が私を掴もうとした時、発正念すると、彼は頭痛で耐えられませんでした。彼が足で私を蹴った時、その痛みは彼の身に返り、私は正念で邪悪を制止しました。肝心な時に、私は師父の説かれた法理を悟り、師父の法が頭に浮かびました。私が正念で邪悪を制止すると、奇跡が現れました。

 私はずっとこのような考え方をもっています。それは、師父がこうおっしゃれば、私も同じくこのようにやるべきだと考えています。私は普段から黙々と自分の給料をすべて、法を広めるために使っています。7.20以前も、自分の給料で法を広め、書籍と資料はすべて自分で購入しました。もしかして、師父は真に修めようとする私の心を見てくださっており、それで死を免れたのかもしれません。師父はいつも私のそばで見守っておいでです。

 病業の関、生死の関を乗り越える時は、師父と法に対して信じているか否かの試練でもあります。もし、100%師父と法を信じていれば、どんな関、どんな難が来ようとも必ず乗り越えることができます。

 四、法を多く学び、法の中で自分を正す    

 師父は 「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[4]と説かれました。

 生死の関、病業の関を乗り越える時、必ず法を多く学ばなければいけません。当時、私が病業、生死の関を乗り越える時、息子は大学に通っていたため、私1人だけが自宅にいました。そして、私は 『轉法輪』を手にして、誰にも邪魔されることなく読みました。午前は三講、午後に四講、夜にまた続けて読みました。そして、一度夜に 「気機に従い下へ行きます」[5]を読んでいたその時、脈がすべて通り、血が血管の中を水のように流れるのを感じました。こうして、半月ほどですべて病は治りました。すべての病症が消え、全身のむくみが消え、その晩、40分間座禅しました。

 師父は  「学習者としては、頭に詰め込まれたものがすべて大法であれば、この人はまさに、真の修煉者です。ですから、法を学ぶことについて、はっきりとした認識を持たなければならないのです。本を多く読み、本を多く学ぶことは真に向上するための鍵なのです。さらに、はっきり言えば、大法さえ読んでいればあなたは変わっており、大法さえ読んでいればあなたは向上しているのです。大法の無辺の内涵に、補助的な手段である煉功を加えれば、皆さんを圓満成就させることができます」[6]と説かれました。

 『轉法輪』 『洪吟』 『洪吟二』 『精進要旨』を私はほとんど暗唱できます。肝心な時に、師父の法が私の頭に浮かんできます。しっかり行えば、関は一瞬にして乗り越えられます。

 私はたくさんのことを体験しました。その間、大法による神の奇跡もずっと伴ってきました。多くのものは自分が意識できるだけで、大法の素晴らしさを知り、師父がいかに私を救われたかの過程も知っています。しかし、言葉では表せません。私は他でもなく大法を通読するだけで、肝心な時に、師父の法が頭の中に浮かんできます。他でもなく、多く法を学び、暗唱することがとても大切です。

 結び

 同修と交流する時、常に年配の同修、あるいは病業の関を乗り越えている同修が、うまく乗り越えられないことをよく聞きます。先週も1人の同修が関を乗り越えられず、この世を去りました。非常に残念です。彼は生死を放下できていないと私は知っています。生死を放下すれば、この関は乗り越えられます。人を救い、邪悪と人を奪い合う肝心な時に、1人の大法弟子が亡くなることは巨大な損失です。毎度このような状況を耳にすると、非常に残念に思います。

 この文章を書くことに、私はいかなる目的も顕示心も抱いていません。ただ今、関を乗り越えている同修と切磋琢磨するためです。私達はどこが間違っているのでしょうか。それが分かれば、法の中で自分を正し、法の中で自分を向上させなければなりません。特に、多くの年配の同修たちよ、私達の命は師父が延長してくださったものです。もし、法の要求通りに行わず、しっかり出来ていない時は、生命の危険に遭遇します。病業の関に遭遇した時、自分のどこがしっかり出来ていないのかを考え、法の中で自分を正し、師父の要求される三つのことをしっかり行うべきです。師父について家に帰りたいという、確固たる信念を抱いてしっかりと修煉すれば、私たちはこの関や難を必ず乗り越えることができます!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『北米での巡回説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [5] 李洪志師父の経文:『長春輔導員法会での説法』
 [6] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/8/338649.html)
 
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