修煉体験 三題
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文/中国の大法弟子

明慧日本2017年5月3日】

 一、師父は私を見つけてくださった

 今生で大法と縁を結んだあの一刻は、永遠に忘れない。

 世間で29年間が過ぎ去りましたが、まるで数百年が過ぎたように感じます。とても長く、出口が見えず、希望が見えず、一切が無常と感じていました。病魔は、私に生活する勇気を失わせていました。私は今になっても、他の人が病気になったと聞くと、心から同情します。

 何も考えていなかった私は、同僚に連れられて煉功に来ました。師父のあの響きの良い説法の声を聞いてすぐに、私の長い間の、荒漠とした魂の深いところを打ちました。まるで一つの透き通った甘泉が思いのままに流れているようで、今になってもまだ、あのときの時間を思い出すと、涙をこらえられません。私は数日間で九講の説法ビデオを見終えました。私は新たに復活したかのようで、師父は私に第二の新しい命を与えてくださいました。これは奇跡です。経験しない人は永遠に体悟出来ないものです。

 最後の説法を聞き終えたとき、師父は私の身体を徹底的に整理してくださいました。このときから病気が無くなり、身体が軽くなりました。最後の講を学んでいるとき、座禅を習いました。しかし、単盤さえも容易ではなく、手印して一時間あまり座り、痛くて目がかすみ、頭もしびれて、身体も揺れ動き、心が締め付けれられ、それでも脚を下ろしたくなく、手印が出来なくなりそうで、痛くて口の中で絶えず念じました「忍びきは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]。突然大脊椎の上から下まで、一つの強大な熱くてゆっくりとした流れが通っていくのを感じました。心身が全て温暖になり、軽く清らかになり、唯我独尊になり、また周囲の学習者を見ることが出来、また現実から離脱したような感じでした!

 このとき、煉功の音楽が停止して、私の後ろに座っていた2人の古い学習者(たぶん天目が開いている)が、前を通り過ぎるときに振り返って、微笑みながら言いました。「今日の収穫はとても大きいですね!」。私はまださっきの幸福感に浸っており、言葉が何も出ず、ただ笑うしかありませんでした。

 少ししてから、皆はゆっくりと立ち上がって階段を降りて行きました。私はその後ろをついて行き、右足をあげて階段を降りようとした瞬間、下半身が舞い上がり、ただ上半身の存在を感じるだけでした。小さい頃から神佛を見たことが無く、ただ大人が鬼物語の話をするのを聞くだけでした。私は無意識に「あ」と言うと、そのはずみでに並んで階段を降りていた古い学習者の腕を掴みました。彼女はいたって平静に微笑みながら言いました。「怖がらないで。普通のことです。先生があなたの修煉が良く出来ているのをご覧になって、励ましてくださっているのです。これからもずっとあなたを浮かばせると思いますか?」

 あの時から、私は『轉法輪』を手に掲げ、この書籍を二度と手放せなくなったのです。

 二、師父がおられるので怖くありません!

 数年前のある日、朝食を摂り、出勤しようとしましたが、勤務先のトイレは不便なので、トイレを済ませてからと思いトイレに入ったとき、不穏な感覚が突然襲って来ました。瞬間的に痛くなって、全身汗びっしょりで、とても冷たくなり、意識がだんだん遠のいていき、目を閉じると、暗闇に陥ったかのようで、動けなくなりました。

 心の中で静かに思いました。「命を取りに来たのですね。師父がおられます、怖くありません!」。すぐさま、黒い雲が瞬時に消えていきました。頭がはっきりしてきて、目の前が一面明るくなりました!

 体を起こすと、全身が軽くなっていました! これは、数秒間のことで、とても不思議でした! 私は心の中で、師父が私を救って下さったのだと分かっていました。タオルを持って来て、顔の汗を拭き、何事も無かったように、急いで仕事に行きました。このことを同修たちに言うと、こう言われました。「もし師父が見守ってくださっていなかったら、あなたは今日まで生きていないでしょう」

 三、その車に座っていたのは私です!

 数年前のある日の夕方、急用があって外出することになり、タクシーを拾って車のドアを開けて座ったとたん、若い運転手が、アクセルをふんで勢いよく飛び出しました。広い道路は、ちょうど排水の架設工事をしていて、まだ工事の途中でした。タクシーは「ガン」とセメントの大きな石にぶつかり、車輪が引っかかって止まりました。

 私は後部座席に座っていて、頭が「ドン」と前の座席にぶつかり、弾みで戻ったのを感じました。強くぶつかって、訳が分からなくなり、本能的に叫びました。「ぶつかって死んでしまいそうだ!」。その瞬間、頭頂部が痛くなって、割れそうな感じになり、喉から酸っぱいものが湧き出てきて「もしかして血が出ているのではないか」と思い、すぐに右手で頭頂部を触りました。そして「大丈夫だ!」と叫びました。このとき、心の中で師父を思い出したのです! 痛みは瞬時に消え、その瞬間、左腕に移りました。私は腕を掴んで言いました。「大丈夫!」、痛みはまた消失しました。その瞬間、次は右腕に移りました。私はまた撫でながら言いましたた。「大丈夫」、痛みはまた消失しました。そして左足に移りました。また痛みは消失し、今度は右足に移りました。しかし先ほどの骨が折れたような痛みではなかったので、私は気にしませんでした。このとき、人が必死に車の窓ガラスを叩いて、車のドアを引っ張って、大声で「大丈夫ですか!?」と言いました。

 私は車のドアを押し開けました。脚を踏み出したとき、息が通って、落ち着いてきました。たまたまあるタクシー運転手が、路肩で人を待っているときに、これを目撃し、飛んできて、私を支えて言いました。「車がドンとぶつかって、火花が出て、まるで大砲のようでした。その場にいた人たちは、しばらく動けず、震え上がりました」

 私はこの時、やっと運転手の若者をみました。驚き怖がって、何も話せないようでした。少しして、携帯電話を取り出して、うつむきながら電話をしていました。私は大丈夫なのでこう言いました。「私は急用があるので、あなたを助けられません」。私を介抱した運転手を呼んで、用事がある場所まで送ってもらいました。家に帰ってふと見ると、右足が全部青あざになっていて、恐ろしいほどでした。

 翌日の夜、学法グループに行くと、ある同修が入るやいなや、すぐに私に言いました。「今日道路のセメントの石の上に、タクシーが乗っかっていました。見た所、ひどくぶつかったようです」。私はすぐに言いました。「そのぶつかった車の中に座っていたのは私ですよ!」。皆はそれを聞いて笑いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/25/343069.html)
 
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