明慧法会|法に照らし合わせて理性的に知恵を持って極端に走らない
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 明慧日本2017年5月25日】

 師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1996年に法輪大法を修煉し始め、すでに19年になりました。今日はこの法会の機会を借りて、修煉の中でいかに家庭関係のバランスをうまく保ったのかについての体験を話したいと思います。

 修煉する前、私は一家の主で、何をするにしても私が決めており、自己中心的で、妻や子供の立場に立って物事を考えたり、感じたりしたことが全くありませんでした。修煉後、この状態が修煉の中にももたらされ、私が法を実証することを誰も妨害することはできず、ちょっとした隙を突いて誰かが私を妨害しようものなら、大声で家族に、これからは注意しなければならない、と怒り、さらに「私のやっていることは最も重要なことなのだ」と言いました。このようにして時間が経つと、家族は受け入れられなくなり、私を見ると逃げ出すようになりました。家族は心理的に圧力を感じ、ちょっと油断したすきに叱られるのを恐れたので、家の中で私は1人になり、やりたいことは何でもでき、誰も「妨害」せず、家に何があっても顧みず、とてもよいと感じました。

 しかし、学法するにしたがって、この修煉状態と行為がたいへんな間違いまちがいである、と少しずつ気づき始め、まったく法に則っておらず、法を実証していないばかりか、マイナスに働いていたことに気づき始めました。師父は「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行ない、何かを口にするときにも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです」[1]、「あなたが常人の中で修煉しており、専業の出家修煉者でなければ、常人の状態に符合して生活すべきです。私たちは常人の中の物質的な形式を重く見ていません」[2]と説かれました。それに対して、私はちょうど反対で、法に則っておらず、大法を実証しておらず、いわば強硬に自分を実証していました。私は家庭の雰囲気を壊し、生活に緊張をもたらしていました。

 1. 法に照らし合わせて理性的に知恵を持って極端に走らない

 問題に気づいた後、トラブルに際しては注意して、法に基づいて行わなければなりませんでした。しかし、今までに作り出された悪い影響により、すべての物事には長いプロセスが必要で「環境が一気に変わったのなら、修めて乗り越えなければならず、どこでも他の人の立場に立って問題を見て、他の人が受け入れられるかられないかを見なければならない」ということに気が付きませんでした。

 ある時、5月13日「法輪大法デー」の前日の夜、みんなでビラを貼りに出かけることになり、私も出かけることにしました。夜10時に妻が寝るのを待って、こっそりと出かける準備をしていると、戸が開けられ、妻が大声で「何をしに行くのですか? 眠らずにぐずぐずしていると思ったら、何事ですか」と言いました。なんと、妻は寝たふりをしていたのであり、もし以前の私なら「俺のことに口を出すな!」と言っていたでしょう。それだけでなく、以前の私なら話す口調もひどかったはずですが、今回は以前と同じようにはできない、と思い、ドアを締めてベッドの前に戻って座り、焦る心を落ち着かせ、平和な口調で我慢強く妻に「私たちはビラを貼りに出かけなければならない」と言いました。それを聞くと、妻はさらに焦って「すぐに行くのをやめてください、他の人に貼りに行かせればいいです。あなたは留置場から釈放されたばかりなのだから、とても危険です」と言いました。そこでさらに私は「年を取ったおばあさんでさえ貼りに行くのに、私のような若い人間が家で横になって寝ていたのでは、どこかおかしいでしょう。あなたは心根もなかなかよいのですから、考えてみてください。これではだめでしょう」と言いました。すると、妻は少しためらってから「それなら、私も一緒に貼りに行きます」と言いました。そこで「ビラを貼りに行く事を無理に求めることはできません」と言いました。すると妻は「これは私が願ったことで、意地になっているわけではありません」と言いました。見たところ、妻は本心から言っているようだったので、とても感動し、まさか結果がこのようになるとは思ってもいませんでした。

 そこで、2人して出かけ、1人がのりを塗り、1人がチラシを貼ると、すぐに貼り終わりました。貼っている間、妻は少し恐れていたようなので、私は「恐れないで、物を盗んでいるわけではなく、中国共産党の迫害の中で真相を伝える方法なのですから、私たちは人を救っており、世の中でもっとも正しいことを行っているのだ、と考えれば心が落ち着いてきます」と言いました。家に戻ると、妻は汗をかいており、おびえ疲れていましたが「気持ちがスーッとしています」と言いました。次の日、師父に線香を差し上げた時、目を閉じた時に師父が見えた、と妻は言いました。そこで私は「あなたは目がくらんだのでしょう」と言いました。すると妻が「違います」と言ったので、妻は修煉していないが大法を実証することを行ったので、師父が妻を励ましてくださっているのだ、と悟りました。

 さらにある晩、妻が寝た後学法していると、妻は何度寝返りを打っても眠れないようだったので「テレビでも見ればいいんじゃないか、だけど音は小さめにできるか?」と言いました。すると突然「自分の何気ない行動が他人にプレッシャーをかけており、自分は妻がテレビを見ることに反対していないが、それでも妻はプレッシャーを感じている」ということに気づいたので、急いで「テレビを見ていいよ、こっちに影響はないから」と言いました。妻はテレビをつけ、音は出ていたけれども、学法している私はさらに静かに感じ、なぜなら法に基づいていたからでした。

 ある時、客が来たので、やらなければならないことを途中でやめ、客が帰ってから再び行いました。なぜなら、もし客のことを顧みなかったら、人々は「修煉者はわがままだ、自分の事しか考慮しない」と言うからです。また、中国共産党による迫害のために、懐具合はたいへん苦しく、ここ数年、妻は服を1着しか着ておらず、女性がおしゃれな服を着たがるのは天性なので「懐具合はたいへん苦しいが、自分が食費を切り詰めて節約し、基本的に家族はどうにかやっていけるようにしなければいけない」と思いました。ある時、妻が帰宅すると「今日、街に行ったらxxxさんがきれいな服を着ているのを見た」と言いました。妻がその服が欲しいのだ、ということがわかったので「それじゃあ、服を1着買いなさい」と言いました。すると妻が「家にはお金がないからいいですよ」と言いました。そこで「買っていいよ、お金がないといっても、服を買うお金は別だから」と言いました。再三勧めた結果、妻は喜んで服を買ってきました。

 毎年正月になると、自ら口出しして「正月だから、服を買いに行きなよ」と言いました。いつも子供たちと交流してコミュニケーションを取り、時には万事を問わず注意深く関心を持って、温かみがあることを子供たちに感じさせなければならず「私たち大法を修める者が何も顧みず、中国共産党が革命を行うかのように自分のこと以外何も顧みない」と感じさせてはならず、なぜなら、そうなれば誰も理解しなくなるからでした。

 私のお金の使い方には透明性があり、ごまかさず隠さず、修煉のために必要なお金はすべて妻に話すと、妻はいつも支持してくれました。しかし、時にはお金の使い方を誤ることもあり、そのような時は面子を捨てて、心から妻に謝罪し、そして「師父は法の中でこのようにするようにとは説かれておらず、これは私の修煉がしっかりできていなかったからですが、安心してください、これからは注意し、絶えず努力してしっかり行います」と言いました。

 実際、自分の一言、まなざし、声調について、相手は微視的な所から私の心がどのようであるかを感じ取ることができるので、物事をいい加減にあしらったりできず、真心を以って、善を以って、辛抱強さを持たなければだめなのでした。このようにして時間が長くなると、私や大法に対して、家族は新しい認識を持つようになり、私が行わなければならないことに対して同意し、支持することができるようになり、私たちは一つに溶け込むことができました。

 2.私たちが法を実証することを家族は協力してくれるので、本心から本当に慈悲深くしなければならない

 ある時、熟睡している妻を見て「私たちは幸運にも大法に出会い、中国共産党の迫害の下、時には恐れる心が多い時もあったが、それに対して、家族はまだ迷いの中におり、まだ大法の修煉を始めておらず、私たちについて来て不安におののいており、ある程度において家族が受けている不安はさらに大きいが、家族は縁があって私たちと一緒に生活できているのであり、たとえ家族に少ししくじったことがあったとしても、家族に寛容に、慈悲深くしなければならず、多くの場合において、家族の立場に立って問題を考えなければならず、そうしてはじめて家族は私たちに良い印象を持ち、大法が素晴らしいと感じ、私たちを認め、支持してくれるのだ」と思いました。

 実際、家族と私たちが一つの家庭に転生してきたのは偶然ではなく、縁が深く「家族は私たちが法を実証するのを助けてくれ、もし私たちがうまくできなければ、家族も果たすべき役割を果たすことができず、逆の作用を起こす事になるかも知れない」ということを悟りました。妻は修煉していませんが、大法を認めたので、私たちが行うことに協力してくれたのでした。

 ある時、妻が宴会に出席するため実家に帰るので、真相資料を持ち帰って宴会に出席した人に配るように言うと、妻は結構積極的でした。しかし、資料を配っている時に問題が起き、妻がまず見た目がいい人を選んで配ると、なんと、その人は資料を拒んで受け取らず、しょっぱなからやりあうことになり、大騒ぎして気まずくなり、たくさんの人の前で、ひっこみがつかなくなってしまいました。すると突然、ある人が「1枚ください、何を恐れるというのですか? 私がもらいます」と言いました。すると、ほかの人も続いてもらい始め、資料はすぐに配り終わりました。先ほど資料をもらわなかった人も、他の人がもらっているのを見て、最後にその人も資料をもらいました。妻が帰って来てこの事を伝えた時、私は「なかなか大したものだ、私でもこんなにうまくできたかどうかわからない」と言いました。実際は、師父が妻を助けてくださってはじめて成し得た事だったのでした。

 友人や親せき、あるいは真相を知らない人に出会った時に、妻は真相を伝え、家に帰って来るといつも「きょうはxxxさんに会って、真相を知らなかったので真相を伝えると、最後にわかってくれて『なんと法輪功とはこのようなものだったのですか、テレビで言っているのとは違う』と言いました」と言いました。さらに妻は「真相を伝える時、まず相手を観察して、話しながら相手がどこを理解していないのかをまず理解してから、再び真相を伝えます」と言いました。ある人はとても頑固らしいのですが、妻は相手に理解させることができるようでした。

 妻はいつも師父に線香を立て、毎年正月と大法の祝日には果物を買って線香を立て、困難な事に出会った時、線香を立てて師父に助けをお願いすることを思い出すことができ、私が大法を実証することをしていれば、基本的に妻は支持してくれ、ある時は「安全に注意してください」と一言だけ言いました。家で大法を実証することを行っている時でも、妻はいつも手伝ってくれました。発正念の時間が来ると、家族はいつも心配して「時間だから早く発正念してください」と注意してくれました。

 家庭の中に作られた比較的楽な修煉環境は、法に照らして修煉して作り出したものであって、強硬に勝ちとったものではなく、修めることによって得られた楽な修煉環境こそ、本当の環境であり、強硬に勝ちとって得た修煉環境は本当の修煉環境とは言えないのです。

 3.絶えず家族に真相をわからせ家族の正念を充実させることが必要

 家族はこの社会環境の中で容易に汚染されるので、絶えず真相をわからせ、国内や海外での法を正す勢いをわからせ、悪事を働き法輪功を迫害して報いを受けた事例をわからせ、大法弟子の正念正行をわからせ、法に則ってこそ安全で、恐れる心や執着があるとかえって危険である道理を事例をあげてわからせなければいけません。しかし、話の内容が一般の水準を超えないように、家族の受け入れ能力に合わせてわからせなければならず、それは人によって個人差があるからでした。このようにすると、家族は多くを理解し、理解度に従って正念を持つようになり、そうすると中国共産党の妨害や迫害を阻止することができ、私たちが三つのことをしっかり行うことを更にしっかりと手伝ってくれるようになりました。

 ある日の晩、真相資料を配りに出かけようとすると、妻が行かせようとせず「今回は一度だけ私の言うことを聞いてください」と言いました。どうして突然変わったのか、妻はどうなってしまったのか、と思いました。後でわかった事ですが、最近の形勢が緊張していると聞いて、妻は少し怖くなったのでした。そこで「これは普段、いつでも常に妻の正念を充実させていないのが原因だ」と思いました。そして後で、忍耐強く妻に伝えると、大丈夫になりました。

 ある時、妻が独り言で「xxさんは車を買って家も買って、いろいろなところに旅行に行って、悠々と自由自在に生活しているのに、私たちの生活はほとんど意味がない」と言いました。それを聞いて、妻の考え方が揺らいでいる、と感じたので、タイミングを見計らって交流し、得と失の因果関係を伝えると、妻は納得しました。

 法を正す過程が進むにつれ、江沢民告訴が巻き起こったので「これは師父が再び与えてくださった向上の機会であり、最後に本当に人から神に向かう裏付けであり、特にずっとしっかりと歩んでこなかった大法弟子に、また同時に衆生や法曹機関などの人間に慈悲深く救われる機会を与えてくださったのだ」ということを悟りました。実際、師父はすでにすべてを用意してくださり、私たちがすべての人心を放下し正々堂々と行うのを待ってくださっていたのです。

 私は妻に「今、江沢民を告訴しなければならない」と言いました。すると妻は「あなたは先に書かないで、他の人が書いてから書いてください」と言いました。しかし、私が江沢民告訴の潮流に従って告訴状を書くと、妻は反対せず「あなたたちは大したものです。江沢民さえ告訴してしまうのですから」と言っただけでした。

 4.家族は大法修煉を始める次のエリートであるかもしれない

 私は「家族は私たちに最も近い人であり、自分の修煉が良いか悪いか、家族は最も直接の証人であり、私たちの一言一行を、後世の人はみな参考にするので、私たちの修煉がよくできているかどうかは非常に鍵なのだ」ということを悟りました。師父は修煉の道を必ず正しく歩むよう私たちに要求しています。なので、私たちの普段の一思一念、一行を法に照らし合わせなければならず、家族は家族だからといって大手を振っていてはならず、どこにいても正しく歩まなければならないのです。家族はまだ大法の修煉を始めていませんが、家族は大法修煉を始める次のエリートであるかもしれないのです。

 ここまでにしましょう。それぞれの家庭の情況はみな異なりますが、どこでも大法に基づいて行わなければならず、自分の情況に合わせて、理性的に知恵を持って行わなければならないのです。私の体験が少しでも交流の作用を果たすことを希望します。法に合致しないところがあれば同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。合掌。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
 [2] 李洪志師父の経文:『スイス法会での説法』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/4/318468.html)
 
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