最終の時間は 創世主が決められている
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年6月9日】

 再び師を信じ 法を信じる  

 常人の利益と時間に執着する同修は、師父の巨大な忍耐によって延長された時間を大切にしていません。三日坊主で精進していません。ある同修は、毎日いかにお金を儲けるかばかりを考えています。私は彼女の修煉状態を心配していますが、彼女は私に「神韻は、まだ中国に戻っていないから大丈夫ですよ」と言いました。その意味は 、終わりの時間はまだまだ先だと言う事です。私は「まだ10年あるとしたら、あなたはずっとこの状態のままですか? 師はあなたを連れて行かれるでしょうか?」と話しました。

 中国の環境はすべて大法弟子の心によって促進されたのです。大法弟子が皆精進して堅実に修めれば、環境は緩くなるでしょう。三つのことを念頭に置けば、真相が分かる人がだんだん多くなり、邪悪の妨害がなくなったとき、神韻は、必ず中国に行くでしょう。

 一部の同修は、師父が再び時間を延ばしてくださったことに対して、師を信じ法を信じることを無意識的に、その通りに行動しなくなってしまいました。

 同修よ、私たちはどこまで修めているのか、見てみましょう。私たちは緩むことなく精進して衆生を救い済度していますか? 無私無我の境地に達していますか? 人に指摘された時、心が動じず、しかも内に向けて探すことができますか? 他人から殴られても殴り返さず、罵られても罵しり返さずの境地になっていますか? それだけではなく、黙って平然としていられますか? トラブルにあったら内に向けて探すことができますか? 他人のトラブルであっても、内に向けて探すことができますか? いくら罵られても、いくら非難や不当な処遇にあっても、風のように去っていくことができますか? 真相を伝えるとき、区別する心と恐れの心が無いという基準に達していますか? 

   つまり、私たちは「真・善・忍」の基準からどれほどかけ離れているか、照らしてみてください。

 私は自分の修煉状態が師父の要求とずいぶん離れていることがよくわかります。もし、今この世で法を正すことが終わるなら、間違いなく私は円満の基準に達していません。例えば、顕示心、闘争心、名利心、人に言われたくない心、見栄を張る心、怖がる心、焦っている心、人を責める心、愚痴を言う心、人を見下す心、人より優れていると思う心などがありますが、私は終わりの時間に執着することはありません。三つのことをしっかり行うなかで、自分を堅実に修めます。さもなければ、多くの衆生を救うことができず淘汰される衆生がさらに多くなります。私たちの使命を果たしていないなら、もとの位置に戻れません。これは相互に補い合って力を発揮することができます。

 時間の流れの中で、砂は淘汰され金は残ります。砂か金かは時間が証明してくれます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/1/342515.html)
 
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