山東省臨沂市の劉さん兄弟が数回にわたり迫害を受ける
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 【明慧日本2017年8月6日】山東省臨沂市蘭山区某派出所の者だと自称した警官が、7月7日10時ごろ、法輪功学習者の劉永超さんに嫌がらせの電話をかけ、弟の劉永進さんの行方を尋ね、また、劉永超さんの住所を聞き、法の番人が法を犯すかのような違法行為を企んでいた。

 6月26日午前9時ごろ、劉永超さんは身分がわかない人の電話を受けて、住所を聞かれたので、ただちに、相手がだれで職業は何かを聞いた。その人は船流街の村民だと嘘をついた。劉さんは自分が船流街の村民だったがそのような人を知らないので、この人が嘘をついていることがすぐにわかった。この人はさらに、劉さんの妻の楊学芳さんの状況をも聞いた。

 6月27日、臨沂市蘭山区白砂埠鎮の社会治安総合管理委員会の者と派出所の警官ら数人が、また、蘭山区白砂埠鎮船流街村の劉永超さんの長兄・劉永達の家に行き、劉さん夫婦を探し、兄嫁の写真を撮った。

 1999年7.20、江沢民の政治ごろつき集団が法輪功を迫害して以来、臨沂市蘭山区の劉さん兄弟は「真・善・忍」に基づきよい人になろうとしたために、数回にわたって拘禁された。劉永超さんは数回、嫌がらせをされ、拘禁され、臨沂市蘭山区白沙埠鎮派出所に拘禁され、鉄の檻に閉じ込められて、数回にわたり拷問された。

 劉永超さんの3番目の弟・劉永進さんは、さらに臨泝市政法委員会、610弁公室、公安局、留置場、臨沂市・思想改造施設、蘭山区610弁公室と蘭山区公安局から十数年絶えず残酷な迫害を受けた。苦しみを嘗め尽くし、懲役7年間の実刑判決を下され、山東省泰安市刑務所で迫害されたが、九死に一生を得た。

 劉永進さんは2001年正月に臨沂市蘭山区の旅客バスターミナル派出所の警官に不当に連行された。そこで、臨沂市蘭山区公安局の警官・邢永農と、旅客バスターミナル派出所の李という警官と、当時蘭山区公安局の警官(後で刑事警察大隊の副隊長になる)は劉さんに拷問を加え、後ろ手に手錠をかけて、鉄の棒で手錠を叩き、後ろ手の手錠をつかんで劉さんを宙に吊し上げた。劉さんの全体重が全部手錠を付けた手首にかかった。手錠が深く手首の肉の中にめり込んだ劉さんは、激痛で気を失いそうになった。16年が経った現在でも、劉さんの腕には依然として当時の手錠がめり込んだ痛々しい傷跡がはっきり残っている。

酷刑演示:吊铐
拷問の再現:手錠をかけたままで吊し上げる

 2000年11月、臨沂市羅庄区610弁公室、臨泝市羅庄区公安局と所轄の派出所の警官、臨泝市の610弁公室、蘭山区の610弁公室、蘭山区公安局と関係する派出所の警官らが、劉永進さん宅を家宅捜索し、家財を押収した。後で、劉さんの1歳半の子供を臨沂市の留置場に数日間拘束した。そのため、子供は極めて脅かされてひどい恐怖の後遺症が残り、パトカーを見るとワーワー泣き出して家に一生懸命走って帰り、全身を震わせ大人の胸元に潜り込んだ。親戚の者は涙を流しながら「この子は警官に脅かされて、びっくりして肝をつぶしました」と言った。

 これら臨沂市610弁公室、蘭山区610弁公室、羅庄区610弁公室と臨沂市公安局、蘭山区公安局と旅客バスターミナル派出所、羅庄区公安局と所轄派出所の警官らの違法行為は、将来の健全な法的秩序の整った社会において、法的な裁きを絶対に逃れられない。

 劉永進さんがかつて受けた迫害

 劉永進さんはかつて3回、臨泝市思想改造施設に拘禁され(1回目は臨沂市党学校、2回目は臨沂市水利技術学校、3回目は臨沂市留置場内に臨時に設置された)、思想改造施設で残酷な拷問と野蛮な灌食による迫害を受けた。また、数回、臨沂市留置場に拘禁され、残酷な迫害と灌食を受けたことがある。

 2004年、劉永進さんは臨沂市610弁公室、蘭山区610弁公室、臨沂市公安局、蘭山区公安局の人員に労働教養を3年間科され、悪名高い王村労働教養所に送られ、迫害された。

酷刑演示:毒打
拷問の再現:めった打ちにする

 2008年2月5日、劉永進さんはまた臨沂市留置場に連行され、拷問で頭を殴られ、野蛮に灌食された。のちに臨沂市思想改造施設に移送され、610弁公室の副主任・宋偉、思想改造施設の蘇偉に拷問され、棒で足を挟まれたままで人が上に乗って踏まれた。また、臨沂市人民病院、蘭山区人民病院、蘭山区第二人民病院に連行され、灌食されている時、絶えず蘇偉のこぶしで胸を殴られた。蘭山区人民病院で灌食されて迫害を受け、血が劉さんの口と鼻から吹き出して、30~60センチくらいの高さにまで血が吹き上がった。

酷刑演示:野蛮灌食
拷問の再現:無理やりに、辛い灌食を強要する

 2008年3月、臨沂市検察庁、裁判所、蘭山区検察庁は水利技術学校の中の思想改造施設で劉永進さんに対して自ら開廷し、懲役7年の実刑判決を下した。劉永進さんはまた、山東省武装警察病院に送り込まれて迫害を受け、拷問され、強制的に薬を飲まされ、採血され検査を受けた。強制的に注射をされ、薬を飲まされ、2回危篤状態に陥り、薬物中毒で全身がマヒし、一日中全く動けず、呼吸も極めて困難になった。山東省武装警察病院(済南武装警察病院)での法輪功学習者への迫害はさらに陰険で悪辣で許せないものであり、薬を使って人を毒殺したり、人の病気を治すという名目で公然と人を毒殺した。もし薬を飲まないと、受刑者を利用して学習者を滅多打ちにし、薬を飲むことを承諾するまでずっと殴り続けた。警官の指揮の下で勝手に拷問し、迫害して、無法の限りを尽くした。山東省武装警察病院(済南武装警察病院)はこのやり方でどれくらいの学習者を毒殺したのだろうか?  しかし、すべて病気にかかって死んでしまったという理由で、これらを覆い隠した。

 臨沂市公安局蘭や山区公安局の人員は、劉永進さんが山東省武装警察病院でまだ生きているのを見て、劉永進さんを山東省泰安刑務所にまた入所させ、迫害をし続けた。劉永進さんは刑務所の中で拷問や迫害をなめ尽くした。2014年6月13日、釈放された時、臨泝市610弁公室の主任の範東旭は数人の警官らを連れて、泰安刑務所の入り口で劉永進さんを待ち受け、思想改造施設やわけがわからない場所でまたも拘禁し続けた。

 劉永進さんや、劉永超さんとその子供の上記の経歴をみると、本当の犯罪者は法曹機関などの法執行機関と法の執行者や法律を超越する610弁公室機関とその人員たちであることが明らかである。今、中国の法律に従い、江沢民の政治集団に追随して法輪功学習者への迫害に加担した者達は、法によって裁かれるべきである。善悪は必ず報いを受けるので、彼らは悪の報いから絶対に逃げられない。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/11/350930.html)
 
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